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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




民家。足立区千住寿町22。2012(平成24)年7月24日

千住寿幼稚園の南の住宅地である。大正通りから路地のような狭い横丁を東へ入った奥に戦前からある古い住宅が3棟並んでいる。この辺りは敷地いっぱいに建った住宅がぎっしりと立ち並んでいるのだが、写真の住宅は近隣のものと比べると広さが倍くらいもある。写真では3戸が写っているが、今は写真右の家が建て替わったようだ。


2012(平成24)年7月24日

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子宝湯。足立区千住元町3
1988((昭和63)年12月11日

千住柳町に、その町域を南北に分けるような割と広い道路があるが、その道路が千住元町にぶつかる先は狭い路地のようになってしまう。その路地の突き当りに子宝湯があった。路地は子宝湯の玄関の前で左右に通じているが、なんだかいかにも下町の銭湯にふさわしい立地だった。江戸東京たてもの園に移築されたが、そこでの写真を見ると大通りに面して建っているような塩梅で、建物の全体が見通せる。千住元町にあった時とはだいぶ見た感じが異なる。
下町といっても千住柳町は昭和33年4月に売春防止法が施行されるまでは遊里があり、その街に正面を向けていた形だ。そこで働く女性も客の男性も、この銭湯を利用したのだろう。
子宝湯の開業は1929(昭和4)年10月。主人の出身地石川県から職人を呼んで、思いきり贅沢に普請したという。それが消えてなくなることなく、保存されたのは喜ばしい。

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民家。足立区千住元町20。2012(平成24)年7月14日

タカラ湯のすぐ西の向かい側に、千住桜花苑という老人ホームがある。区立第三中学校があった跡地に2006(平成18)年7月に開設したもの。第三中は2003(平成15)年に第一五中と統合されて千寿青葉中学校(千住元宮町)になって移転した。
第三中は、 『東京知ったかぶり!>足立区』には、「昭和9年千寿高等小学校として開校し、同16年東京市足立第一国民学校、同18年東京都足立第一国民学校と改称し、同22年3月31日に閉校した同校の跡地に、翌4月1日に開校した。」とされている。
第三中の体育館とプールがあった場所は「元宿さくら公園」になった。上の写真は、その公園の向かい側に残っていた古い民家。

下の写真はタカラ湯のはす向かいの路地を入ったところ。たぶん、平屋の長屋の端の一軒が残っていると思われる民家。写真右の真新しい民家のところは、以前「一久」という魚屋があった。


民家。足立区千住元町18。2012(平成24)年7月14日

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田上タイル倉庫。足立区千住大川町42。2012(平成24)年7月14日

荒川土手から見下ろした千住大川町の一画。蔵は2012年の住宅地図に「㈲田上タイルソーコ」となっている建物。戦後まもなく建てたものらしい。その後ろに水色の屋根の倉庫があり、2階建ての白い壁はアパートだろうか。アパートの後ろに見える入母屋屋根の家はY邸。倉庫やアパートはY邸の敷地に建っているような気がする。
Y邸の右の繁みは庭の木々である。ひときわ大きい木が「足立区指定第778号保存樹林すだじい」らしい。「すだじい」とはぼくは初めて聞く名前だが、シイの木と理解しておいていいようだ。その案内板がブロック塀に張ってあった。それに以下の文章があるので採録しておく。「昭和20年2月28日大雪の夜、B29からの爆弾が我が家の庭近くに落ち、家は崩壊し、その中で母が亡くなった。一瞬にして変わり果てた風景に、スダジイとクロガネミチだけが残り、戦争の悲しみを今も伝え続けている。」
Y邸のご主人が書いたものらしい。Y邸は、昭和22年の航空写真に写っていて、戦前からある屋敷の母屋のように思えるが、あるいは戦後の建築なのだろうか。




上:Y邸。2012(平成24)年7月24日
左:Y邸の門。2012(平成24)年7月14日

1枚目の写真を撮って10日後には取り壊しの最中だった。今は8戸の建売住宅が建って売出し中である。

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左:旧星野雑貨店。足立区千住大川町30
右:足立屋秋間酒店。千住大川町28。2012(平成24)年7月14日(5枚とも)

前の道路は、ここから5・600m西(写真左)へ行った墨堤通りの帝京科学大学入口交差点からタカラ湯の前を通って氷川神社の東の荒川土手下の五叉路に出る通りである。昔は半ば商店街だったような感じだが、今は住宅地の中にパラパラと商店が見受けられる狭い通りだ。たぶん昔からある、荒川放水路の開削前は、小菅方面につながるけっこう主要な道だったのではないかと思う。




上左:平屋の民家。千住大川町36
上右:片岡測器製作所

1枚目の写真、旧星野雑貨店の向かい側は区立千住公園で、その西側の横丁に古い家が残っていた。
千住公園は1937(昭和12)年1月に開園した。東京府南足立郡だった時代に郡立の伝染病防疫隔離病院があった跡地だそうだ。病院が置かれた頃は、周りは田圃か畑が広がっていたのだろう。
以前はプールがあったようだが、現在、それをつぶして再整備をしている。

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喫茶みき。足立区千住大川町2
2012(平成24年)7月24日

日光街道の千住5丁目交差点から西へ「いろは通り」が入っている。大正通りとの交差点までは「いろは通り商店街」その先は「ニコニコ商店街」という商店街である。日光街道に都電が走っていた頃は、とても賑わっていたという。現在は、店をたたんでしまった家が目につくし、店舗を住宅に建て替えている家も多い。
左写真はいろは通りに入ったすぐのところで、奥のマンションは「日神パレステージ北千住」(2006年3月築、13階建て、39戸)で、日光街道に面している。「喫茶みき」と「焼肉ソウルハウス」は1989年の住宅地図では「アモール菓子店」と「酒処ひさご」。

下の写真は国道の入り口から100mほど入ったところ。1990年の撮影で、まだ古い建物が並んでいる。もっと細かく撮っておけばよかったが、この頃のいろは通りの写真はこの1枚しかない。写真右端が「藤井商店(文具)」、以下、「吉田観光」「理容いろは」一軒おいて「中松屋(履物)」。ここまでは、現在では駐車場になったり、住宅に建て替わったりしている。


吉田観光。千住大川町2。1990(平成2)年4月30日


三軒長屋。千住大川町5
1990(平成2)年4月30日

日光街道の千住5丁目交差点から少し北へいった次の横丁との角にあった三軒長屋の店舗。
このすこし手前に都電の終点「千住四丁目」停留所があった。新国道4号と千住大橋が完成するとすぐ、市電も千住大橋を渡って延長され、1928(昭和3)年7月16日から営業を開始した。水天宮-北千住(電車の行先表示)の21系統の都電は、1968(昭和43)年2月24日に、千住四-三輪橋が廃止され、1969(昭和44)年10月25日に全線が廃止された。

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旧石川酒店。足立区千住大川町24。2012(平成24年)1月15日

前の通りは大正通り。大正通りは荒川土手の下の氷川神社のところからまっすぐ南に延びている。写真は氷川神社からすこし南にいった辺り。写真右のそばやは「いづみや」で、建物は「嶋田荘」。出桁造りの家は「石川酒店」だった。裏に住居があったと思われるが、アパートに建て替えたらしい。
大正通りは、大正天皇の即位の大典を記念して、千住町の有志が通したもの。西掃部堀という排水路を埋め立てて造った。幅7.2m、延長1084mである。1916(大正5)年6月に着手、9月に完成した。荒川放水路の開削により、西掃部堀が不要になるからだが、荒川放水路の工事で出た残土を使ったのだろうか。当時は荒川放水路の工事は始まったばかりの頃なので、なんともいえない。完成時には南端の掃部堤の際に「大正記念道碑」が森鷗外の撰文で建てられた。「大正記念道」というのが当初の正式な名称だったようだ。



廃屋。千住大川町24。2012(平成24年)7月14日

石川酒店の裏手でみつけた廃屋。空き家になってかなり経つらしく、ガラス戸が壊れて風雨が吹き込んでいたり、屋根がめくれたりしている。庭付きの一戸建て住宅だろうか。

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千住四ツ木の灸。足立区千住大川町13。2012(平成24年)1月15日

写真右に荒川の堤防が写っているように、堤防のすぐ下。右奥へいくとすぐ氷川神社がある。堤防沿いの道路に3本の道路が交わる角に正面を向けた、お屋敷といっていい大きな住宅。写真左端に写っているのは「リバージュ北千住」というマンションだが、1998年の住宅地図では「新橋湯」という銭湯だ。同地図には正面の住宅に「千住四ツ木の灸」の記載がある。『東京いま・むかし』(桐谷逸夫、日貿出版社、平成8年、2978円)に、1994年に土手の上からスケッチした絵が載っている。そこには、住宅右手の門の奥に「家傳/千住四ツ木の灸/専用駐車場」の看板があり、新橋湯も描かれている。
最近だと思うのだが、「千住四ツ木の灸」の石碑が門の前にたてられたようだ。



楽食拉麺・菊や。千住大川町10。2012(平成24年)7月14日

住宅街のなかにポツンとあるラーメン屋。興味のある方はネット上に幾つかレポートがあるのでそちらで。意外と永く営業してきているようである。
建物は平屋の長屋になるのだろうか。古い航空写真を見ると、周辺には同じような規模の家が密集していたような感じだ。現在はおおかた建て替わっている。
下の写真は右奥に見えている赤い屋根の家。

平屋の民家
千住大川町10
2012(平成24年)7月14日

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上:三軒長屋。足立区千住寿町30
1990(平成2)年4月30日(左も)

左:宮本美和夫建築設計事務所
千住寿町27

千住寿町の北半分の地区に今も残っている古い町屋、長屋、商家の3軒である。日光街道の背後に広がる住宅地、といっていいかと思うが、商店や中小の工場もけっこう見受けられる。同地区で有名な建築物というと、大黒湯である。大戦期の空襲を免れてその昭和初期の木造大建築が残っているわけで、当然、周辺にも同じころに建ったと思われる家が残っているのだが、建て替えが進んで、いまやすかっり減ってしまった。ここに出した3軒は、お互いにわりと離れて存在していて、当記事のためにかき集めた、という形になってしまった。
中村畳店は昭和5年の建築という( 『日々想うがままに>「新足立百景」No4中村畳店』)。



近影。2012(平成24)年1月15日



中村畳店。千住寿町21。2012(平成24)年1月15日

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喜代川玩具店。足立区千住寿町35。1990(平成2)年4月30日(2枚とも)

当ブログ前回の「エフジーマート」が左端に、その後ろの瓦葺き寄棟屋根の家は岩槻家で国道沿いの家の裏にある民家。茶色のモルタル塗の看板建築は「喜代川玩具店」。その隣の家はうなぎの「石岡」と「西山花店」。屋根を突き破ってやぐらのようなものが出ているが、看板にしていたものだろうか。あるいは調理の煙抜きか。この家の右から裏道が入っていて、やぐらの二軒長屋は裏道に沿って日光街道からは少し斜めになっている。
写真右の白い建物からは千住寿町39になる。下の写真に移って、「喫茶ロリー」の隣は、「青柳菓子店」。さらにパチンコの「田丸センター」と「今村無線」のビル。古い航空写真を見ると青柳菓子店と田丸センターとは一体の建物にも見え、元は五軒長屋だったのかもしれない。今村無線の先は、撮影時では協和銀行千住支店が千住5丁目交差点(いろは通りの入り口)の角にある。
現在、写真の範囲は4棟のマンションに替わった。「ランドシテイ北千住」(14階建て40戸、2009年8月築)、「ライオンズローベル北千住シティマークス」(14階建て64戸、2004年3月築)、「レーベンリヴァーレ北千住プライムアート」(15階建て71戸、2011年8月築)、「ライオンズシティ北千住」(13階建て36戸、1997年3月築)である。


田丸センター。千住寿町39

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