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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



子宝湯。足立区千住元町3
1988((昭和63)年12月11日

千住柳町に、その町域を南北に分けるような割と広い道路があるが、その道路が千住元町にぶつかる先は狭い路地のようになってしまう。その路地の突き当りに子宝湯があった。路地は子宝湯の玄関の前で左右に通じているが、なんだかいかにも下町の銭湯にふさわしい立地だった。江戸東京たてもの園に移築されたが、そこでの写真を見ると大通りに面して建っているような塩梅で、建物の全体が見通せる。千住元町にあった時とはだいぶ見た感じが異なる。
下町といっても千住柳町は昭和33年4月に売春防止法が施行されるまでは遊里があり、その街に正面を向けていた形だ。そこで働く女性も客の男性も、この銭湯を利用したのだろう。
子宝湯の開業は1929(昭和4)年10月。主人の出身地石川県から職人を呼んで、思いきり贅沢に普請したという。それが消えてなくなることなく、保存されたのは喜ばしい。

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (凛太郎)
2013-04-06 16:26:06
江戸東京たてもの園に移築されたものは観たことがあります。
オリジナルの写真を見られるとは思いませんでした。
確かにたてもの園で見たものとは、スチエーションの違いで、印象は違うものですね。
 
 
 
>凛太郎様 (流一)
2013-04-08 09:17:02
実は私は撮影した日の一度しか見ていません。撮影日から推定すると、すでに廃業していたかもしれません。
毎度のことですが、もう何枚か撮っておけばよかった。塀しか画面に入らなかったかもしれませんが、横の路地からの1枚が欲しかった。
 
 
 
子宝湯前 (あつし)
2019-09-17 13:41:27
偶然このサイトを訪れましたので、突然の投稿お許しください。子宝湯の前が、元宿小学校に集団登校する時の集合場所でした。懐かしいです。江戸たてもの園で再会したときはびっくりしました。小さい時入っていた銭湯が展示されているとはなんだか不思議な感じがしたものでした。
 
 
 
千寿を遠くでしのぶ (千寿千住1010)
2020-11-23 15:31:18
 8年ほど此の銭湯に通っていました
深夜零時に成っても入れたことが助かりました。
数々の思い出の在る銭湯に、小金井に会いに行きました。
 
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