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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




K邸。大田区山王2-12。2009(平成21)年4月12日

当ブログ前回の日本家屋のお屋敷と同じ道路の並びにある洋館。『日本近代建築総覧』に「T邸(当書では個人名で載っている)、大田区山王2-12-5、建築年=大正13年、構造=木造2階建、設計者・施工者=金子竹三郎、備考=ライト式、青図あり」で載っている。
ネット上で『日本大学生産工学部第49回学術講演会講演概要(2016.12.3)』という資料が見つかった。タイトルは「山王地区におけるT邸の建築的特徴-東京都大田区の歴史的建造物-」で、建物の外観、室内の特徴が詳細に分る。
まず、建物の沿革が簡単に述べられている。建築主は銀座で金融業を営んでいたO氏で、昭和10年頃にT家の所有になった。戦後はGHQに接収され、解除後はドイツ人へ貸していて、昭和33年にT家が再び住むようになった。大正13年の図面が現存し、金子竹三郎の名前はその図面にあったものと思われる。1924(大正13)年の建築というと、八景園の宅地分譲と時期が一致する。



路上からは2階のハーフティンバーのスタイルが目に付くので、その様式の建物かと見てしまうが、1階の外観はよほど異なる。1階は基部に大谷石、壁をスクラッチタイル張りにして、2階との境は大谷石の帯が廻っている。2階の角の出窓も特徴的だ。屋根は寄棟、桟瓦葺むくり屋根。要所の窓には植物や鳥を描いた色ガラスが使われていて、一部は路上から観察できる。
ライト風の意匠は、南側のポーチや玄関ポーチに見られという。大谷石とスクラッチタイルから帝国ホテルに連想がいくのかとも思うが、そもそもその建材の使用が帝国ホテルの影響とも考えられる。

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山王のお屋敷。大田区山王2-12。2009(平成21)年4月12日

JR東海道本線の大森駅のすこし北から線路に沿って南へ続く大田区山王1~3丁目は、線路の西はすぐ台地になっている。写真の住宅は大森駅に間近の、海抜20mの線を越えたあたりで、そこからすぐ西の大森射的場跡の碑のところが23mでこの辺りでは最高地点のようだ。
大森駅の西の高台には、「八景園」という遊園地があった。海の眺めや桜・梅の花を楽しみ料理屋もあるという場所。1884(明治20)年の開園で1万坪くらいあったらしい。そのうち、そんな優雅な楽しみは廃れて、たぶん海岸よりの享楽的な方へ人気が移ったのかと思うが、大正末には閉業、1922(大正11)年から1924(大正13)年にかけて区画分譲されて住宅地になった。写真の住宅がそれによるのかどうかは知らないが可能性はありそう。昭和22年の航空写真に写っているので戦前からある家だろう。クリーム色の壁の部分は増築した部屋だろう。
家の裏(南)は闇坂(くらやみざか)で、1枚目写真左の白い塀(今はより高級感のある煉瓦塀に改修されている)は「大森山王館八景園」というマンション。
2016年頃に取り壊されて現在はマンションと3階建て住居に替わった。



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旧高橋診療所。大田区山王3-30。2009(平成21)年4月12日

写真の診療所だった洋館は、今は「ギャラリー・クラシック」という写真スタジオ・ギャラリーになっている。池上通りの大森駅の南で、「山王ハーモニーAVE」という商店街のなかにあるようだ。
文化庁>国指定文化財等DB 』によると、1931(昭和6)年に住宅を兼ねた診療所として建てられた。木造2階建、瓦葺、建築面積75㎡、スパニッシュ風の外観。2000(平成12)年2月に有形文化財に登録された。



丸橋たばこ店。山王3-30。2009(平成21)年4月12日

旧高橋診療所の隣がたばこ屋だった。2015年頃には廃業したようだ。その隣の銅板張り看板建築との二軒長屋のようにも見える。
銅板張り看板建築の二階の壁に「ペットショップ」「八景園」の文字が残っている。袖看板もペットフードのもののようだ。
八景園(大森八景園)とは明治17年(1884)に開園した遊園地。殊に梅園と台地上から眺める海の名所として人を集めたらしい。写真右のカドヤ建設が闇坂(くらやみざか)に上がっていく交差点の角にあるが、八景園は闇坂の北の台地と池上通りに向いた斜面を整備したのだろう。

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平林酒店。大田区山王3-28。2009(平成21)年4月12日

池上通りの、大森駅の南、山王ココ商店街にある酒店。写真右(北)に山王会館入口交差点があり、ココ商店街はそこまでである。建物は戦後に建てられた看板建築のようだ。角の方はタバコ屋のようになっているが、横に看板がついているから、これも平林酒店なのだろう。明治38年の創業という。輸入ワインに力を入れているようだ。
現在は「山王メゾンドシエ」(2012年2月築、7階建12戸)というマンションに建て替って、店はその通り側の角に入っている。



大森眼鏡院。山王3-30。2009(平成21)年4月12日

池上通りの山王会館入口交差点から北へ、闇坂(くらやみざか)に入る横町までが「山王ハーモニーAVE」という商店街で、「柳会」という組織がまとめている。昔は「柳会商店街」といったのだろうか。写真はその商店街の中程。「セカンドハンズ」という中古の本CDゲームの店、「大森眼鏡院」というメガネ屋、裏の駐車場への路地、婦人用品店?が写っている。建物は現在もそのままだが、店は全て替ってしまった。

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ハナブサ薬局。大田区山王3-24。2009(平成21)年4月12日

池上通りの大森駅の南、MEGAドン・キホーテ(旧ダイシン百貨店)の向かい辺り。「山王ココ」という商店街である。山王ココ商店街は写真左すぐのところから北の山王会館入り口交差点までの、通りの西側に230mほどの長さで続く。組織の名称は「新柳会商店街振興組合」だから、正式には「新柳会商店街」というらしい。
写っている店は左(南)から、やなか珈琲店、Place More(婦人服)、ハナブサ薬局、山王ココ組合事務所、アキタニ洋品店。
銅板張りの家は取り壊される前は「山王ココ組合事務所」の看板をつけていた。その家とアキタニ洋品店は、「ハーモニーレジデンス大森山王」(2012年9月築、15階建70戸)というマンションに替わってしまった。



旭光堂眼鏡店。大田区山王3-24。2009(平成21)年4月12日

1枚目写真の右に続く家並みで、写っている店は、Vic 5(美容院)、旭光堂眼鏡店、セレクトショップ ポラリス(金買取り)、アドレス(不動産)、?、やお源。
旭光堂は外観からも戦前築の看板建築に見える。両端の柱の上部に洋風のレリーフがある。木枠のガラス戸も元のものかもしれない。『工房ふうの日々>旭光堂眼鏡店』によると、昭和20年創業。
写真右端はやお源という八百屋。黄色地の看板は「大田青果六番 やおやの やおげん」。2017年に取り壊されて駐車場になっている。

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オオタニ眼鏡店。大田区山王3-9。2009(平成21)年4月12日

池上通りの、環七通りと立体交差する春日橋交差点のすぐ北。写真左のアーケードは「山王三番街商店街」のもので、その南の端。写真右のビルは小さな4階建てのビルで、春日橋交差点に面している。
写っている店は左から、ナカネサイクル、めだか(スナック?)、紘花園生花店、晃陽印章店、オオタニ眼鏡店、空き家?、Aloha Café、チャンポン麺の店。チャンポン麺の店はストリートビューで見ると、右の写真枠外に赤提灯が下がり、「居酒屋 九州」のスタンド看板が見える。チャンポンといえば長崎だから、「九州」がその店名なのかもしれない。
現在も写っている建物はそのままだが、今も続いている店はナカネサイクルだけのようだ。オオタニ眼鏡店は看板はそのままだが営業しているようには見えない。他は店が変わったり、空き家になったりしている。

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古澤歯科、ユカリ。大田区山王3-23。2009(平成21)年4月12日

池上通りの、環七通りとの交差点(春日橋交差点)から大森駅の方向の北へ、400mほどの距離の両側が同じアーケードが続いていて「山王三番街」という商店街になっている。三番街とは山王三丁目からきていて、「山王三丁目商店街振興組合」の結成は昭和39年9月。それ以前も昭和20年代後半から「大森新井宿三丁目会」の名称で活動していたという。昭和35年に建設したアーケードは平成10年に今のものに造り直された(山王三番街)。
その商店街に、戦前築と思われるモルタル仕上げの洋風意匠の看板建築を見つけた。三軒長屋の造りで、「池上通り古澤歯科」と「ユカリ」(陶芸教室)、そして右の店は閉まっていてなんの店だったかは不明。その、右の店は銅板張りで、これが正面の原型だったとすると、モルタル仕上げの2軒は後の改装なのだろうか? もしかすると、以外と新しい造形なのかもしれない。

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上:竹内商店、左:自販機の店
港区虎ノ門3-10。2014(平成26)年4月23日

竹内商店があるのは桜田通りと愛宕山の間の裏通りで、栄閑院という寺の境内に建てられた借家と思われる家。写真右の寺は興昭院。栄閑院(猿寺)には杉田玄白の墓がある。
竹内商店は段ボールなどの梱包資材の店。看板には「内外木箱梱包」の文字もある。簡易看板建築といった建物だ。この辺りは空襲の被害を免れた地区で、今はもうほとんど残っていないが、古い木造家屋は戦前築の可能性がある。竹内商店の建物は2015年頃に取り壊された。
東京―昭和の記憶->愛宕山西側』に1985年撮影のこの辺りの写真が見られる。そこに写っている竹内商店の家は二軒長屋で、なくなった左側は「宮入会計事務所」。

銅板張り看板建築の自販機の店の前を右に行くとすぐ愛宕隧道。建物は右へも続いていたように見えるが、『東京―昭和の記憶-』に四軒長屋と思われる看板建築として記録されている。1969年の住宅地図では「三村塗装店、磯部タバコ店、三洋自転車、東京出版所(1982年の地図では「清水商店」)」。
現在の「菱和パレス虎ノ門」という9階建35戸のマンションは2000年12月の竣工。

下の写真は竹内商店の向かい側。写真右の門は宝瑞院という寺。古い2軒の家ははたぶん1棟の二軒長屋で、古い航空写真を見ると寄棟屋根の1棟に見える。三差路の角にあり、左のほうが「魚亀」という魚屋だった家。最近、右側の家が取り壊された。


魚亀。虎ノ門3-8。2014(平成26)年4月23日

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磯村ビル。港区虎ノ門1-1。1986(昭和61)年8月17日

外堀通りの虎ノ門交差点付近の北の裏通りを東に向けて撮ったもの。右手前から、ローレルビル、磯村ビル、虎ノ門実業会館新館(東海銀行の看板)……。磯村ビルは建て替わったがローレルビルと実業会館が今もそのままだから、景観はあまり変化していないと言えると思う。
古そうなビルがあるな、ということでとりあえずカメラを向けただけの写真で、肝心の磯村ビルに近寄って撮ることもしなかったので、磯村ビルの写真はこの1枚だけである。
『日本近代建築総覧』に「磯村ビル、港区芝虎ノ門(旧町名)、建築年=昭和11年(1936)、構造=RC5階建、設計=吉武長一、施工=大林組」で載っている。
吉武長一(よしたけちょういち、1879-1953年)は村井銀行のお抱え建築家として村井銀行の建物を多く設計して、京都に3棟が残っているらしい。東京では「安藤記念教会」(港区元麻布、1917年)がある。当ブログでは鎌倉の「日本基督教団鎌倉教会」(1926年)を収録してある。

名称からして「磯村産業株式会社」という会社が建てたビルと思われる。そのHPの「当社の歴史」には、1907(明治40)年に群馬県高崎に山林を取得して製炭業を始め、1936(昭和11)年に改組して「磯村産業株式会社」としている。写真の旧磯村ビルが建った年だが、それとの関連は書かれていない。1991(平成3)年に「港区虎ノ門に現在の磯村ビル完成」と出ている。2019(平成31)年、本社をみなとみらいクイーンズタワーに移転した。ビルの名称も変わるのかもしれない。

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日本基督教団 芝教会。港区虎ノ門1-20
2007(平成19)年3月9日

桜田通りの東の虎ノ門1丁目は、ぼくがご無沙汰している数年の間に大変貌を遂げてしまった。環状第2号線(新橋-虎ノ門間)の開通が2014年3月、同5月に「虎ノ門ヒルズ 森タワー」(地上52階地下5階、高さ247m)が竣工した。その南、愛宕1丁目に「虎ノ門ヒルズ レジデンシャルタワー」(地上54階地下4階、高さ215m、住居550戸)が2021年1月竣工予定。そして写真の教会があったところは、虎ノ門1-17~20番地の4つの街区をまとめて「虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー」(地上36階地下3階、高さ183m)が2020年1月に竣工、6月に開業した。
再開発された地区には「森ビル」が8棟あった(1982年の住宅地図による)が、まとめて建て替えてしまったことになる。

日本基督教団 芝教会」は、1874(明治7)年に創設された日本で最も古いプロテスタント教会だという。1936(昭和11)年に写真の会堂を建てて西新橋3丁目から移転した。
建物は『日本近代建築総覧』では「芝教会、港区芝西久保桜川町、建築年=昭和11年、構造=木造1階建、設計=間野貞吉」。西久保桜川町は旧町名、木造というのはなにかの間違いで、RC3階建てである。
「日本基督教団芝教会」の保存活用に関する要望書』(2015年1月、日本建築学会関東支部が、芝教会と港区教育委員会に出した要望書)には、間野貞吉(まのていきち1903~1979年)は、「新潟県直江津市(現上越市)出身、東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、復興建築助成株式会社、日本万国博覧会工務部などを経て大林組に入社し、晩年まで勤務」「大林組では、全国のゴルフコース及び施設の設計を手掛け……戦後日本のゴルフ施設建設に貢献した建築家として知られる」「父・松蔵が教会の熱心な信徒であり、その縁で教会堂建設を依頼された」などとある。施工は「竹村工務店」。

都市徘徊blog>日本基督教団 芝教会』には、2013年に撮影された内部の写真が載っている。そこに見られるステンドグラスや照明具などは、建て直された教会に移されたと思われる。

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