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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




水産部卸売業者売場。中央区築地5-2。2018(平成30)年2月17日

水産物部本館(事務所棟)の1階が卸売業者売場で、セリ売りが行われるところ。「卸売場」あるいは「セリ場」と言われる。扱い量が膨大なので「相対(あいたい)売り」という直接取引が主で、セリは少ないという。高級魚がセリにかけられるのだろうか。
1979年の住宅地図に、各卸売会社の売場と思われるところに会社名が入っている。本館の南側に「第一水産㈱」、本館の中央辺りに「総合食品㈱」、本館の北側に「中央魚類㈱、大都魚類㈱、東都水産㈱、築地魚市場㈱」、本館の北の水産物部第2本館の第2卸売場に「中央魚類㈱」、さらにその北の水産物部新館の第6卸売場に「大都魚類㈱」である。総合食品は鮮魚は扱わない。もう1社「丸千千代田水産」があって、全部で7社の卸売会社がある。

取引の終わった卸売場に立ってみると、両側の柱と天井の梁がトンネルのように続いているだけの通路のように見える。上には事務所が乗っているわけだ。柱と梁はコンクリートで覆われているが心は鉄骨。梁の柱との接続部分がカーブしている。梁は上下2本の鉄骨をつないだ梯子状のもので、下の鉄骨の両端が曲がっているのである。持ち送りのような構造かと思うのだが、他に例があるのだろうか。



水産部卸売業者売場階段。2018(平成30)年2月17日

左写真の階段は本館の中央辺りにあるもの。右写真の方は、柱の番号から左写真の階段の向かい側、プラットホーム側のものかと思う。

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卸売場・仲卸売場間通路。中央区築地5-2。1990(平成2)年4月7日

屋根のかかった通路で、写真左手の建物は水産仲卸業者売場。右には上の写真には写っていないが、卸売業者売場(水産物部本館の1階部分)がある。元々は屋根のない屋外の通路だった。屋根がかけられた年代は判らないが、昭和40年代になってからのことらしい。仲卸業者売場は庇が大きく張り出しているが、屋根の代わりを務めたものだろう。
卸売業者売場でセリにかけられたり直接売られた魚類はいったんこの通路に移されるのだと思う。それが仲卸業者売場やトラックの発送場に移る間は、通路は発泡スチロールの箱であふれるに違いない。『中央区図書館>地域資料集』に「朝の築地市場」という昭和37(1962)年頃の、通路を上から見下ろした写真がある。容器は木の箱や樽で、ターレーはまだないようで手押し車が活躍している。



卸売場・仲卸売場間通路。2006(平成18)年3月23日

『築地市場』(福地享子+築地魚市場銀鱗会著、朝日新聞社、2700円+税)に、通路に都電のレールが引かれ電車が場内に入ってきたことが書かれている。「(戦時中の1944年)トラックの払底を補うために、都電のレールを場内に引き込み、青果物は電車で運んだ」とある。車両が5・6両並んでいる写真もある。場所は水産物部の方の通路で、卸売場側。待機所としてレールが引かれたのだろう。



卸売場・仲卸売場間通路。2017(平成29)年7月15日

左写真は卸・仲卸売場間通路の西の出入り口。右写真はそこを入ってすぐのところで、写真右の柱が水産物部本館ビルの柱。

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仲卸売場北側入口。中央区築地5-2。1990(平成2)年4月7日

妻の窓が押上式で、竣工時のままかもしれない。『東京市中央卸売市場築地本場・建築図集』(東京市役所、昭和10年1月、非売品)には「腰屋根側面及び妻のサッシュは、オペレーターにより随時開放し換気に便せり。」とある。下の写真では鉄板だかプラスチックのような板で塞いでしまっている。西側の妻の窓はガラス窓だったが嵌め殺しのものに改修されていた。
『築地市場』(福地享子+築地魚市場銀鱗会著、朝日新聞社、2700円+税)には「窓枠は、量産体制は整ったばかりの国産スチールサッシを使用。窓ガラスは、地震や火災に強い網硝子。……イギリスから取り寄せている。」とある。


仲卸売場北側入口(解体前)。2018(平成30)年2月17日



仲卸売場(旧店舗)。左:2017(平成29)年7月15日、右:2018(平成30)年2月17日

上左写真は第四十八棟、西側入口付近で第二大通路の南。上右写真は第五十四棟、北側入口に近い第六・七大通路付近。

仲卸業者は魚の流通システムにおいては、卸売業者からセリや直接取引で魚を買い入れ、小売業者や飲食店に売るわけだが、「目利き」という商品の価値を決定する職能が重要なのだという。それがないと、値段が高くてもいいから美味いものが欲しい、という需要がなりたたなくなる。そうすると和食の文化は、多くを仲卸が担っていると言える。それが800ともいう仲卸業者の数にも関係してくるのだろう。
『現代思想7月臨時増刊号 築地市場』(青土社 2017年、1600円+税)には、そのへんのところを「食の「目利き」(専門知識)たちの体験と職人技を介在させることで、ただの商品(コモディティ)ではない、多くの人間的価値をはらんだ「富」に変えるのが、この中間機構である。」(中沢新一)と言っている。



仲卸売場(旧店舗)第二十八棟、北側入口の付近。2006(平成18)年3月23日

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上:築地市場水産仲卸売場旧店舗(西側入口)
中央区築地5-2。2017(平成29)年7月15日
左:水産仲卸売場旧店舗(屋根)
2018(平成30)年2月17日

水産仲卸売場(旧店舗)の建物は、外からは長い建物の端の二か所の入口の部分が見えるだけで、側面は卸売場(本館)と連絡通路が取り巻いていて見えない。2棟が並ぶ端は切妻屋根の妻を見せているわけだが、その大きさはやはり築地市場を代表する建物である。
鉄骨造の平屋切妻屋根の、広い空間に屋根を架けただけと言っていい建物で、長く縦に連続させた建物を平行(曲がっているから同心円状?)に2棟並べたものだ。
東京市中央卸売市場築地本場・建築図集』(東京市役所、昭和10年1月、非売品)によると、「魚類仲買人売場」(水産物部仲卸売場)は、1931(昭和6)年9月~1933(昭和8)年2月という工期。売場の面積は21,086㎡で、そのうちの6割が通路である。ちょっと意外だが、店が500位あるらしいからしかたないのだろう。基礎に松杭を打ち、屋根は波形石綿スレート葺、取引・衛生を考えて天井を高くとり、見透しをよくした、とある。
『築地市場』(福地享子+築地魚市場銀鱗会著、朝日新聞社、2700円+税)では、施工者を大倉土木株式会社(現・大成建設)としている。



水産仲卸売場(旧店舗)。2017(平成29)年7月15日

左写真には天井から下がる案内板に「第三大通路」とある。「第〇大通路」というのは長い建物を横切るための通路についた名前で、西側の一から北側の七がある。その大通路の間にも1本通路が通っている。同じ案内板の「1,000」は縦に長くとった番地で、仲卸売場の一番外側に沿った売場で、その内側が2,000、最内の8,000まである。
右写真は屋根の見え方から縦の通路。ピンコロ石と呼ばれる小さな石で鋪装されているが、開業時からのもの。
右写真上の案内板には「第六棟」と書いた左右に店名が書いてある。「第〇棟」は仲卸売場を細かく区切った番地で旧店舗に1~60、新店舗に61~88が振られている。1棟に5~10店位が入っている。第六棟は仲卸売場の最外側、第三大通路の北に位置する。

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水産仲卸業者売場新店舗。中央区築地5-2。2017(平成29)年7月15日

1935(昭和10)年の開業から2018(平成30)に豊洲に移転するまで使い続けてきた「水産仲卸業者売場」は、大屋根の外観しか目に入らないが、築地市場を代表する建物だ。その扇形平面の内側に仲卸業者売場が増設されたのが1964(昭和39)年。屋上を駐車場にした2層の建物である。
『築地市場』(福地享子+築地魚市場銀鱗会著、朝日新聞社、2700円+税)に、「1964(昭和39)年|9月30日/築地本場水産物部仲買人店舗(新店舗)の増築完成」「1965(昭和40)年|1月1日/築地本場水産物部屋上駐車場使用開始」「2月11日/東京都中央卸売市場開設30周年記念式典開催」とある。ちなみに1964(昭和39)年10月10日が東京オリンピックの開会式だった。
上の写真は新店舗の内側に設置された連絡通路から撮った。「日本丸太」は第七大通路に向いている。屋上駐車場への階段は第四大通路の辺り。



左:新店舗(第二大通路)、2017(平成29)年7月15日
右:屋上駐車場。2018(平成30)年2月17日

新店舗の屋上駐車場には小屋のようなものが縦に並んでいる。明り取りの窓だ。屋上駐車場の写真はちゃんと撮っていなかった。上右の写真の手前は青果仲卸業者売場の屋上駐車場からの連絡橋で、左奥に明り取り窓の囲いが写っている。明り取りを内側から撮った画像はストリートビューで見ることができる。

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水産物部連絡通路(出入り口)。中央区築地5-2
左:北側出入り口、2018(平成30)年2月17日。右:西側出入り口、1990(平成2)年4月7日

扇形平面の水産仲卸業者売場の内側(円の中心側)にやはり扇形の「新店舗」が出来たのは1964(昭和39)年で、9月30日が使用開始日らしい。昭和38年の航空写真では南側半分が出来ている姿が写っている。その写真では新店舗のさらに内側に通路と買荷保管所が写っていて、すでに使用している様子だ。また買荷保管所C・Dの後ろに細長い建物とその延長上に屋根が弧を描いている。築地市場買荷保管所で、「1964(昭和39)年に建て替えられ」としたが、もっと前のことらしい。
買荷保管所の後ろの建物は2階建てで1階は通路、2階は主に組合の事務所である。



水産物部連絡通路(北側出入り口付近)
左:1990(平成2)年4月7日
右:2006(平成18)年3月23日

連絡通路の北側出入り口に近い第六・第七大通路付近。水産仲卸業者売場は放射状に通路を取っていて、その主な通路が第一~第七大通路である。左写真奥の階段は屋上駐車場に上がるためのもの。右写真右奥は買荷保管所D。
左写真右の看板を書き出してみると、「太陽荷役組合、近海物業会、東京魚商業、潮待茶屋」が読み取れる。組合の事務所を入れるための建物らしく、1979(昭和54)年の住宅地図では北側入り口から「親興組合、荷役組合、中央市場労働組合、魚市場労組、太陽荷役、近海物業会、東京魚商協組、潮待茶屋組合、買荷保管組合」の記載。



水産物部連絡通路(中央部)。2018(平成30)年2月17日

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水産部買荷保管所。中央区築地5-2。2018(平成30)年2月17日

円弧を描く水産仲卸業者売場の内側(円の中心側)の、弧から突き出している屋根だけの建物を「買荷(かいに)保管所」という。買出し人が仲卸業者から買った水産物をいったん置いておく場所で、ここからトラックで行先別にまとめて発送される。買出しというと籠一つで自分の店へ直接持って帰る姿がまず想像されるのだが、買荷保管所を利用するのはスーパーなどを考えればいいのかもしれない。
買荷保管所は4カ所あり、A~Dの記号がついている。買荷保管所Aは独立した建物ではなく、仲卸業者売場の内側に沿った「水産部連絡路」の西側出入り口の方に、連絡路に沿った弧の内側(円の中心側)が買荷保管所Aとなっている。



左:買荷保管所D、C、1990(平成2)4月7日。右:買荷保管所B、2017(平成29)年7月15日

写真の買荷保管所は1964(昭和39)年に建て替えられたもの。東京オリンピックがあった年だ。その前は1921(昭和10)年の開業時に建てられたものが使われてきた。旧買荷保管所は写真の建物の1/3くらいの大きさの建物で8棟があった。運搬道具としては人が引く荷車などが想定されたのだろう。
戦後の車社会の到来に対応して駐車場を増設したが、それが仲卸業者売場の内側に沿った「新店舗」の屋上駐車場である。その新店舗のさらに内側に「水産部連絡路」を取った。それらが旧買荷保管所があった場所である。ついでに買荷保管所もトラックに対応した形に建て替えたということだろう。



買荷保管所(C?)。2006(平成18)年3月23日

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築地市場青果部本館。中央区築地5-2。1990(平成2)年4月7日

塔屋のある水産物部本館の向かい側に直列で並んでいて、2階が渡り廊下でつながっていた建物。1階は「第2卸売業者売場」、2階は郵便局や事務所などが入っていた。
『日本近代建築総覧』では水産物部本館のほうになりそうだが、「東京中央卸売市場築地本部、建築年=昭和8年、構造=SRC4鉄、設計=東京市、施工=銭高組鴻池組?、備考=「建築世界」27巻による。様々な施設の集合よりなる 〇」で、青果部本館は2階建だが同じ仕様になると思う。
写真右の2階建ての建物から後ろに伸びているのは、引込線のプラットホームの屋根で、昔はトラックの止まっているところに貨物列車が停車した。開業時では下右写真の左奥がそれである。下左写真は新大橋通りの入口(青果門、あるいは裏門)の辺りから撮っている。『東京市中央卸売市場 築地本場・建築図集』から流用した。



左:背面車置場ノ展望。右:卸売人売場プラットホーム
東京市中央卸売市場 築地本場・建築図集』(東京市役所発行、昭和9年12月、非売品)より。



上左:青果部本館東面。上右:同北面。2018(平成30)年2月17日
下左:青果部本館中央築地郵便局。下右:同北側の廊下。2017(平成29)年7月15日


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青果部卸売場。中央区築地5-2
上:2017(平成29)年7月15日
左:2018(平成30)年2月17日

築地市場の青果部のうち、南半分が「卸売場」と見ることにする。上の写真はその南の端で、水産物部との間の連絡橋のある棟は「青果部本館」、その右が「通信棟」になるらしい。左写真は通信棟から北側が写っていて、2階建ての立体駐車場の1階部分が卸売場の主要部分。青果部本館の1階も「第2卸売業者売場」である。
卸売場(立体駐車場)の建物ができたのは案外新しく、1980年代前半。仲卸売場の立体駐車場ができた約15年後。1980年では昭和10年に市場が開業した時の建物があった。

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築地市場青果部仲卸業者売場。中央区築地5-2。2017(平成29)年7月15日

築地市場の青果部卸売場は、北側の「青果部仲卸業者売場」と南側の「青果部卸売場」とがある。仲卸業者と卸売業者の違いだが、卸売業者がセリで仕入れて仲卸に売り、仲卸は外から来る一般の店などに売る、という形だ。
写真右の2階建て立体駐車場は正門の通路の上に建てられた「正門仮設駐車場B棟」で、割と最近(1990年頃?)増設されたもの。また、青果部も建物としては立体駐車場の1階部分に売り場を設けたものと言っていい。
仲卸業者売場は、『築地市場』(福地享子+築地魚市場銀鱗会著、朝日新聞社、2018年、2700円+税)の年表に「1965(昭和40)|1月1日/築地本場水産物部屋上駐車場使用開始」とあるので、その頃に建てられたと思われる。写真左奥が青果部の駐車場と水産部の駐車場との連絡橋。



正門の通路から覗いた青果部仲卸業者売場。2017(平成29)年7月15日

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