チャン・イーモウという監督に注目したのは1987年の『紅いコーリャン( 紅高梁 )』以来でした。その後、『活きる (活着) 』(1994)、『あの子を探して (一個都不能少)』 (1997)、『初恋のきた道 (我的父親母親) 』(1999)、『至福のとき (幸福時光 )』(2000)などの作品を、変貌する中国の時代背景をもったリアルな映像として堪能してきました。
そのチャン・イーモウが、ハリウッドに絡め取られ、大スペクタルを撮り始めたのは今世紀に入ってからでした。『HERO (英雄 )』(2002)や『LOVERS (十面埋伏)』 (2004)などがそれで、CGやワイヤー・ワークをふんだんに駆使した華美な映像は、「え、これがチャン・イーモウ?」と少なからずの驚きを与えたものでした。
その当否はいいますまい。映画監督が様々な経験をつむことは悪いことではありません。
そのチャン・イーモウが、久々に中国の大地に根ざした映画に復帰したというのがこの『サンザシの樹の下で』(2010)です。
路線としては『初恋のきた道 』の純愛ものになるのでしょうが、それが悲劇に終わる点では幾分違います。時代背景はともに文革ということなのですが、その抑圧の体制が若い二人の恋をストイックに留めるということに利用され、その悲劇性を盛り上げる一助にしか過ぎないのではないかというきらいがあります。
それを抜きにしたら、こうした悲劇は日本のTVドラマなどで古くから使い古されてきた手法で余り新味はないといえます。
しかし、しかしです、この映画にはうっかりすると見逃してしまいがちなキー・ポイントがあるのです。それは白血病で死に至る(ゴメンナサイ、この部分ネタバレです)ヒーローなのですが、彼が所属していたのは農村の川辺にある「地質調査隊」なのです。
で、この地質調査隊、なにを調査しているのかが具体的には出てきません。「そうか、あいつもそれにやられたのかも」とつぶやく他の隊員のコメントが重要です。
また、このヒーローが解放軍の病院にほぼフリー・パスなのもひとつの鍵です。
この映画はそこを見落とさない限り明らかに、この「地質調査隊」がウラニウムの発掘に関わり、彼がその過程で被曝したことを示唆しています。これはほんとうにしっかり見ていないと見過ごしてしまうポイントなのです。
傍証として、文革の間、あらゆる学問や研究は停滞を余儀なくされるのですが、核開発に関連する事業は着々と進行していたことを示しています。
チャン・イーモウは、単なる純愛悲劇の背後に、とんでもない問題を抱え込んだともいえます。これは彼もはっきり意識して描いていることです。にもかかわらず、それが誰にもわかるように明示されなかったのは、チャン・イーモウの自主規制なのか、当局の検閲なのか、私たちには明らかではありません。
しかし、日本がフクシマで苦しんでいるとき、それを先取りする形で放射能被害を嗅ぎ当てていたとしたら、チャン・イーモウ、なかなかのものだといえます。
主演の女優さん(チョウ・ドンユイ)、清楚で可愛いですね。『初恋のきた道 』のチャン・ツィイーもそうでしたが、チャン・イーモウ監督、女優さんを見出すのが巧いですね。コン・リーもそうかな。彼女とは個人的な関係もあったようですが・・・(おっと、俗に流れてしまった)。
いろいろな意味を含めて一見すべきでしょうね。
「地質調査隊」のくだり、決して見逃さないでね。
そのチャン・イーモウが、ハリウッドに絡め取られ、大スペクタルを撮り始めたのは今世紀に入ってからでした。『HERO (英雄 )』(2002)や『LOVERS (十面埋伏)』 (2004)などがそれで、CGやワイヤー・ワークをふんだんに駆使した華美な映像は、「え、これがチャン・イーモウ?」と少なからずの驚きを与えたものでした。
その当否はいいますまい。映画監督が様々な経験をつむことは悪いことではありません。
そのチャン・イーモウが、久々に中国の大地に根ざした映画に復帰したというのがこの『サンザシの樹の下で』(2010)です。
路線としては『初恋のきた道 』の純愛ものになるのでしょうが、それが悲劇に終わる点では幾分違います。時代背景はともに文革ということなのですが、その抑圧の体制が若い二人の恋をストイックに留めるということに利用され、その悲劇性を盛り上げる一助にしか過ぎないのではないかというきらいがあります。
それを抜きにしたら、こうした悲劇は日本のTVドラマなどで古くから使い古されてきた手法で余り新味はないといえます。
しかし、しかしです、この映画にはうっかりすると見逃してしまいがちなキー・ポイントがあるのです。それは白血病で死に至る(ゴメンナサイ、この部分ネタバレです)ヒーローなのですが、彼が所属していたのは農村の川辺にある「地質調査隊」なのです。
で、この地質調査隊、なにを調査しているのかが具体的には出てきません。「そうか、あいつもそれにやられたのかも」とつぶやく他の隊員のコメントが重要です。
また、このヒーローが解放軍の病院にほぼフリー・パスなのもひとつの鍵です。
この映画はそこを見落とさない限り明らかに、この「地質調査隊」がウラニウムの発掘に関わり、彼がその過程で被曝したことを示唆しています。これはほんとうにしっかり見ていないと見過ごしてしまうポイントなのです。
傍証として、文革の間、あらゆる学問や研究は停滞を余儀なくされるのですが、核開発に関連する事業は着々と進行していたことを示しています。
チャン・イーモウは、単なる純愛悲劇の背後に、とんでもない問題を抱え込んだともいえます。これは彼もはっきり意識して描いていることです。にもかかわらず、それが誰にもわかるように明示されなかったのは、チャン・イーモウの自主規制なのか、当局の検閲なのか、私たちには明らかではありません。
しかし、日本がフクシマで苦しんでいるとき、それを先取りする形で放射能被害を嗅ぎ当てていたとしたら、チャン・イーモウ、なかなかのものだといえます。
主演の女優さん(チョウ・ドンユイ)、清楚で可愛いですね。『初恋のきた道 』のチャン・ツィイーもそうでしたが、チャン・イーモウ監督、女優さんを見出すのが巧いですね。コン・リーもそうかな。彼女とは個人的な関係もあったようですが・・・(おっと、俗に流れてしまった)。
いろいろな意味を含めて一見すべきでしょうね。
「地質調査隊」のくだり、決して見逃さないでね。
「ジョン・ウエインは何故死んだか』という本を連想しました。核爆弾の実験場がちかくにあるところで、映画のロケをしていた大俳優が、癌で死んだのも、内部被爆だったということでしょう。
ああ、福島の子ども達はどうなるのかな。原発の現場で働かざるを得ない労働者は?
何でもその言葉で押しつぶそうとしても、もう無理な事態まで来ていることに、気がつかない原発鈍感症の人は、可哀相ですね。
ネトウヨの九条を名乗るキミよ。
脱原発を訴えた東電株主に対する侮辱問題はまだ終わっていません。「職免」手続きとられましたか。
中谷元県知事が教育長であった頃、名フィルの援助を要請に行くと、「今からこの音楽会に行くところですが一緒にいかが、「職免」とらないと駄目ですか? ハハハハ」
ということがありました。
私人であれば、どのような見解披瀝も問題とはなり得ません。
しかし「N響大好き」と名乗っておられた頃に、官吏であることを漏らされたことがあり、その点で問題にしているのです。勤務中に職場のパソコンでコメントするほどのことは目くじらたてる様なことではないと思います。
しかし、勤務時間中に、「あのこと」「このこと」をされていませんか! 「あのこと」とは何か、ご自分で胸に手を当ててみてください。
>> 原発アレルギー。
その通りです。
この惨状を前にして私たちはそうあるべきですし、そうある権利をもっています。
フクシマ第一の周辺では最低でも10年間は居住不可能との結論が出ています。土地はもちろん、職も学校も含め、生活を根こそぎ奪われ、内部被曝に関しても学者の見解が右往左往するなか、モルモットなみの人体実験の対象にされているのがその地区の人達の現状です。
長崎大の山下教授は、福島県や東電に委託され、「100ミリシーベルト以下なら大丈夫」、「100ミリシーベルトまでは、妊婦も含めて安全」との説を福島県下の講演で繰り返してきました。
しかし、この教授、福島県のHPのなかで福島県の担当者の口を借り「『10マイクロシーベルト/hを超さなければ』の誤りであり、訂正し、お詫びを申し上げます。」と言わせています。
これが単なる言い間違いではないことは、それらの講演のなかで「5とか10とか20とかいうレベルで、外へ出ていいかどうかということは明確です。昨日も、いわき市で答えました。『今、いわき市で、外で遊んでいいですか?』と聞かれました。『どんどん遊んでいい』と答えました。福島も同じです。心配することはありません。」と答えていることで明らかです。
県や東電からお金をもらっている以上、彼らに都合のいいことは大声で語り、その訂正はこっそりやってのけるわけです。
九条護。さんを始め、各電力会社の原発推進の株主たちは、こんな無責任な「学者?」を雇って、原発安全のキャンペーンを行っているのです。
ほかにも「プルトニュウムはコップに一杯ぐらい飲んでも大丈夫」といった東大教授や、「これくらいの放射能は健康にいい、ほら肩こりが治ったでしょう」といった東大教授もみんな原発推進をはかる電力会社、及び、九条護。さんのような原発推進派の株主に雇われています。
この人たちの無責任な原発安全論に今後とも依拠して行けますか?
私たちはさらに「原発アレルギー」の立場を堅持し、脱原発の旗色を鮮明にすべきなのです。
九条護。さん
原発で生活を破壊され、農産物の出荷も出来ず、将来の健康不安に怯える原発被災の人たちのところを回って 、「あなたたちは原発アレルギーだ」と説得する自信がおありですか?
「原発アレルギー」は、今回の事態を受けて、日本人の多くに受容された極めて健全は反応だと思います。
逆にいうと、そうではない人は、ある種のイデオロギーに囚われて現状を見ようとせず、また、現実に悲惨があるにもかかわらずそれを思いやる想像力を欠いた人でもあると思います。
一度電力株を売り払って、株主というメガネを外し、一人の人間として現状をご覧になってはいかがでしょう。
一つは、「福利厚生」、副語として「元気回復」という場合があります。
職場対抗の野球とかバレーボールとかの各種スポーツ大会に出場の場合、時には観劇もありますが、そうした場合「職務に専念する義務」は免除されます。
二つ目に多いのは、労働組合関係の集会、会議に出席する場合などです。
ちなみに「中電」の株主会議には県・市とも委任状参加ですが、実際に会場に参加する場合は公務。個人が個人株主として参加加する場合、「職免」なんてとんでもない話であることは言うまでもありません。