まずは、今回の事故で亡くなられた方に哀悼の意を捧げます。
事故後、今後の安全対策など検討されているようですが、そうしたものは早いに越したことはありませんから、改める点は即実施したほうがいいでしょう。
ところでこの事故、第一報を見た時からなんか違和感を感じていたのでした。
というのは、この天竜下りを体験したことはないのですが、かつて天竜川沿いを走っていて、天龍下りの船がまさに眼下を滑るように下ってゆくのを高い橋脚の上から見やった覚えがあるからです。
それと、今回の事故の報道で映しだされるTVの画面とはなにか違和感があるのです。
しかも、その運営責任の会社は天竜浜名湖鉄道というではありませんか。浜松市にあるこの会社が、私が目撃したあの辺りにまで勢力を伸ばしているのだろうかとも考えました。というのは、私がそれを目撃したのは、長野県の飯田市から程遠からぬところだったからです。
これはイメージで、天竜川ではありません
そこに至って、いかに鈍感な私でもひょっとしたらと思いました。
急いでネットで「天竜下り」を検索してみました。
その結果、私は脳天に一撃を食らわされた思いをしました。
そこには「遠州天竜下り」と「信州天竜下り」がちゃんと区分されていて、まったく別のものだったのです。
一方は、今回の事故があった「遠州」のそれで、天竜川がやがて遠州灘へ至る中流域のものでした。他方、私が目撃したのは天竜川がまだ渓谷の色彩を色濃く持つ辺りの、つまり「信州」ものだったのです。
この二つの「天竜下り」は、距離もはるかに隔たり、まったく別のものなのです。
TVの画面で私が違和感を覚えたのはそのせいでした。
そして、私が、「脳天に一撃」と感じたのは、「天竜下り」という「名称」にたぶらかされて、あやうく私の違和感がもっていた「事実」の方を消去しようとしていたことです。
しかし、私のおせっかいはこうした自己批判にとどまりません。
事故を起こした「遠州」の方も気の毒といえば気の毒ですが、より可哀想なのは「信州」の方です。今頃キャンセルの波が押し寄せていると思います。また、夏休みの後半、そこへと予定した人たちの取りやめは相当数あるだろうと思います。
私のようにある程度土地勘のあるものでも、早とちりするのですから、遠隔地のみなさんが「天竜下り」と聞いただけでその区分も明確でないまま「信州」のものをも忌避するのではないでしょうか。
信州の天竜下りに関わる人たちの嘆声が聞こえるようです。
そこで、新聞やTVの報道ですが、彼らは私よりも賢明ですから、この二つの「天竜下り」の違いをもちろん知っているはずです。
だったらどうして一言、あるいは一行ののテロップで、「これは上流の《信州天竜下り》とは関わりがありません」という報道をしないのでしょうか。
私たちは、メディアが必要以上に言い過ぎることによって起きる「風評被害」を数多く知っています。
しかし同時に、今回の事例のように、メディアがちゃんと述べないことによる風評被害もあるようです。
あの事故以後、「遠州」の方は当事者ですから致し方ないとしても、今なおさまざまな対応に追われ、それでも減収は免れ得ないであろう「信州」の方を思いやってしまうのです。
晴天の一日、みんな幸せそうに川くだりを楽しんでいた私の目撃映像を今更のごとく思い出します。
市丸姐さん ったって若いひとには何のことかわかんないだろうなぁ
<付記>芸妓さんから歌手なった市丸姐さんが、楚々とした風情で歌った「天竜下ればしぶきに濡れて、咲いたサツキに虹の橋」という『天竜下れば』(作詞:長田幹彦 作曲:中山晋平)は、もちろん「信州」のそれです。
なお、市丸姐さんは、松本の出身でした。
事故後、今後の安全対策など検討されているようですが、そうしたものは早いに越したことはありませんから、改める点は即実施したほうがいいでしょう。
ところでこの事故、第一報を見た時からなんか違和感を感じていたのでした。
というのは、この天竜下りを体験したことはないのですが、かつて天竜川沿いを走っていて、天龍下りの船がまさに眼下を滑るように下ってゆくのを高い橋脚の上から見やった覚えがあるからです。
それと、今回の事故の報道で映しだされるTVの画面とはなにか違和感があるのです。
しかも、その運営責任の会社は天竜浜名湖鉄道というではありませんか。浜松市にあるこの会社が、私が目撃したあの辺りにまで勢力を伸ばしているのだろうかとも考えました。というのは、私がそれを目撃したのは、長野県の飯田市から程遠からぬところだったからです。
これはイメージで、天竜川ではありません
そこに至って、いかに鈍感な私でもひょっとしたらと思いました。
急いでネットで「天竜下り」を検索してみました。
その結果、私は脳天に一撃を食らわされた思いをしました。
そこには「遠州天竜下り」と「信州天竜下り」がちゃんと区分されていて、まったく別のものだったのです。
一方は、今回の事故があった「遠州」のそれで、天竜川がやがて遠州灘へ至る中流域のものでした。他方、私が目撃したのは天竜川がまだ渓谷の色彩を色濃く持つ辺りの、つまり「信州」ものだったのです。
この二つの「天竜下り」は、距離もはるかに隔たり、まったく別のものなのです。
TVの画面で私が違和感を覚えたのはそのせいでした。
そして、私が、「脳天に一撃」と感じたのは、「天竜下り」という「名称」にたぶらかされて、あやうく私の違和感がもっていた「事実」の方を消去しようとしていたことです。
しかし、私のおせっかいはこうした自己批判にとどまりません。
事故を起こした「遠州」の方も気の毒といえば気の毒ですが、より可哀想なのは「信州」の方です。今頃キャンセルの波が押し寄せていると思います。また、夏休みの後半、そこへと予定した人たちの取りやめは相当数あるだろうと思います。
私のようにある程度土地勘のあるものでも、早とちりするのですから、遠隔地のみなさんが「天竜下り」と聞いただけでその区分も明確でないまま「信州」のものをも忌避するのではないでしょうか。
信州の天竜下りに関わる人たちの嘆声が聞こえるようです。
そこで、新聞やTVの報道ですが、彼らは私よりも賢明ですから、この二つの「天竜下り」の違いをもちろん知っているはずです。
だったらどうして一言、あるいは一行ののテロップで、「これは上流の《信州天竜下り》とは関わりがありません」という報道をしないのでしょうか。
私たちは、メディアが必要以上に言い過ぎることによって起きる「風評被害」を数多く知っています。
しかし同時に、今回の事例のように、メディアがちゃんと述べないことによる風評被害もあるようです。
あの事故以後、「遠州」の方は当事者ですから致し方ないとしても、今なおさまざまな対応に追われ、それでも減収は免れ得ないであろう「信州」の方を思いやってしまうのです。
晴天の一日、みんな幸せそうに川くだりを楽しんでいた私の目撃映像を今更のごとく思い出します。
市丸姐さん ったって若いひとには何のことかわかんないだろうなぁ
<付記>芸妓さんから歌手なった市丸姐さんが、楚々とした風情で歌った「天竜下ればしぶきに濡れて、咲いたサツキに虹の橋」という『天竜下れば』(作詞:長田幹彦 作曲:中山晋平)は、もちろん「信州」のそれです。
なお、市丸姐さんは、松本の出身でした。