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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

八月の終わりの入道雲(詩ではありません。メモです)

2011-08-28 02:54:39 | 写真とおしゃべり
一夏のトレーニングを終えて
いっそう立派に聳え立つ
八月の終わりの入道雲たちよ
まことに立派な姿態ではないか

   

水蒸気の造形とは思えないほど
ボリューム感があるし
気体や液体の集合とは思えないほど
確かさがある

   

しかしその成長の頂点は崩れの開始だ
てっぺんは上空の風にあおられ
下方では激しい水滴となって失われ
さすがの威容も変容を迫られる

   

入道雲にも最後の輝きがあり
もっとも美しくなる瞬間がある
それは全く皮肉にも
秋の到来がもたらすのだ

   

秋の気配につれて空の色が変わる
青いとはいえ少しくすんだ夏空から
それらの雑味が浄化されて
青空はいやましに青くなる

   

まさにそのときなのだ 
青空が広く高く色づき
透明感が鮮明になるにつれ
季節外れの入道雲はいっそう映えるのだ

   

滅びの美学などとはいうまい
それは完成の美学だからだ
完成の完が終わりであるとしたら
より良く完成したものがより良く終わるのだろう

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3 コメント

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Unknown (只今)
2011-08-28 10:38:13
 八月の終わりと聞いて想い出すのは、
 遠い日には案じられる新学期のことでしたが、
 長じては瀬戸内晴美『夏の終り』。
 口をつく歌は、オフコースや矢沢永吉の「夏の終り」ではなく、♪いまはもう秋 のトワ・エ・モアの〈誰もいない海〉だったのは何故でしょう?
 
 そういえば、尾張の地では蝉の声がはたととまったようです。田舎はどうですか?
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Unknown (六文錢)
2011-08-29 11:45:32
 蝉の声ですが、わが家にも常時数匹が来ていましたが(彼らの大好物の桑の木があるせいでしょうか)、ここ二、三日前からピタリと止まりました。
 そのかわり、仰向けになったそのむくろを見かけたりします。
 どういうわけか、蝉は仰向けになってなくなっているものが多いようです。

    哀れやな夏の終わりのセミコロン

 これはもちろん川柳以前の戯れ句です。
返信する
Unknown (maotouying)
2011-08-29 14:56:07
以前この欄に「黄土高原には蝉はいないようだ」と書いてしまいましたが、誤情報だったので訂正します。
谷の方に降りてゆくとよく鳴いていました。何蝉かまでは私には区別できません。少なくとも、棗の木には来ないようですね。

雨が降るとものすごい雑草が一気にあたりを覆うということは、つまり人間が居住しなければ、そうとう豊かな森林が育つ可能性が高いというのが黄土高原で、砂漠とはあきらかに違います。

私の部屋はおそらく村中で一番明るいので、夜になると誘蛾灯となって、大量の虫たちが集まってきます。それを待って、ヤモリが活動するのですが、その音がガサゴソ!バタン!バリン!とびっくりするほど大きくて(窓はガラスではなくて紙なので)、ウチの犬が、人が来たのだと思って飛び出してゆきます。
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