一夏のトレーニングを終えて
いっそう立派に聳え立つ
八月の終わりの入道雲たちよ
まことに立派な姿態ではないか
水蒸気の造形とは思えないほど
ボリューム感があるし
気体や液体の集合とは思えないほど
確かさがある
しかしその成長の頂点は崩れの開始だ
てっぺんは上空の風にあおられ
下方では激しい水滴となって失われ
さすがの威容も変容を迫られる
入道雲にも最後の輝きがあり
もっとも美しくなる瞬間がある
それは全く皮肉にも
秋の到来がもたらすのだ
秋の気配につれて空の色が変わる
青いとはいえ少しくすんだ夏空から
それらの雑味が浄化されて
青空はいやましに青くなる
まさにそのときなのだ
青空が広く高く色づき
透明感が鮮明になるにつれ
季節外れの入道雲はいっそう映えるのだ
滅びの美学などとはいうまい
それは完成の美学だからだ
完成の完が終わりであるとしたら
より良く完成したものがより良く終わるのだろう
いっそう立派に聳え立つ
八月の終わりの入道雲たちよ
まことに立派な姿態ではないか
水蒸気の造形とは思えないほど
ボリューム感があるし
気体や液体の集合とは思えないほど
確かさがある
しかしその成長の頂点は崩れの開始だ
てっぺんは上空の風にあおられ
下方では激しい水滴となって失われ
さすがの威容も変容を迫られる
入道雲にも最後の輝きがあり
もっとも美しくなる瞬間がある
それは全く皮肉にも
秋の到来がもたらすのだ
秋の気配につれて空の色が変わる
青いとはいえ少しくすんだ夏空から
それらの雑味が浄化されて
青空はいやましに青くなる
まさにそのときなのだ
青空が広く高く色づき
透明感が鮮明になるにつれ
季節外れの入道雲はいっそう映えるのだ
滅びの美学などとはいうまい
それは完成の美学だからだ
完成の完が終わりであるとしたら
より良く完成したものがより良く終わるのだろう
遠い日には案じられる新学期のことでしたが、
長じては瀬戸内晴美『夏の終り』。
口をつく歌は、オフコースや矢沢永吉の「夏の終り」ではなく、♪いまはもう秋 のトワ・エ・モアの〈誰もいない海〉だったのは何故でしょう?
そういえば、尾張の地では蝉の声がはたととまったようです。田舎はどうですか?
そのかわり、仰向けになったそのむくろを見かけたりします。
どういうわけか、蝉は仰向けになってなくなっているものが多いようです。
哀れやな夏の終わりのセミコロン
これはもちろん川柳以前の戯れ句です。
谷の方に降りてゆくとよく鳴いていました。何蝉かまでは私には区別できません。少なくとも、棗の木には来ないようですね。
雨が降るとものすごい雑草が一気にあたりを覆うということは、つまり人間が居住しなければ、そうとう豊かな森林が育つ可能性が高いというのが黄土高原で、砂漠とはあきらかに違います。
私の部屋はおそらく村中で一番明るいので、夜になると誘蛾灯となって、大量の虫たちが集まってきます。それを待って、ヤモリが活動するのですが、その音がガサゴソ!バタン!バリン!とびっくりするほど大きくて(窓はガラスではなくて紙なので)、ウチの犬が、人が来たのだと思って飛び出してゆきます。