六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

光と影<1>・・・どうやって出来た?

2006-10-06 17:33:10 | 写真集
 写真は光と影の芸術だといわれる。
 もっとも私の場合、芸術写真とは無縁だから、対象に当たる微妙な光と影のバランスを美として固着せしめるなどという芸当は出来ない。

 せいぜい、もっと直接的な光と影の、明確なコントラストが面白い場面に出くわした折りなど、それを撮ることしかできない。それも今のところデジカメだから(マニュアルカメラは勉強中)、私の努力が入る余地はほとんどない。


          

 
 ところで、光と影などと簡単にいってしまうが、それはどうして生まれたのだろうか?
 「はじめに光りありき」といい、そしてそれにより影と、そしてその光そのものが生じたことは分かるが(それはおそらく在るということ、存在者の存在の始まりなのだが)、では、その光そのものはどうして生じたのだろうか。

     
           

 
 神の一撃? 光自身の自己触発?
 これは、ビッグバンとは次元の違う話である。ビッグバンは既にしてある質量を前堤にし、宇宙の成り立ちを語る仮説としての問題だが、光と影の問題は、そうした物理的現象が成立する場の問題としてそれに先行する。

 そもそも、光が生じる前は何だったのだろう。無?カオス?
 でもそれらは光が生じた後、事後的に名付けられるものではないか。無なき無。カオスなきカオス。


           

 話は幾分飛躍するが、悠久の無限にあっては、私たちの生命そのものが火花の一瞬の閃きのごときものに過ぎない。
 しかし、しその一瞬の閃きなくしては、悠久そのものがない。それは、光のない無が、もはや無ですらないのと同様である。
 
 絶対的な有限が開示する絶対的な無限。永劫回帰。


           


 
 小難しい屁理屈を付けながら並べてきた写真であるが、上の3枚については、愛知芸術文化センター12階で9月末に撮ったもの。
 
 最後の一枚は同センターの外観。これのみ4月の撮影。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする