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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【新聞から二題】マスコミ人の自戒と不気味な話

2011-04-10 15:00:39 | よしなしごと
          


【その1】

 大部分のメディアが、「放射能は笑っているひとには来ない」(長崎大)や「このくらいの放射能は健康に良く、持病が治る」(東大)といった薄ら馬鹿のような御用学者を動員し、「風評を抑える」というお題目のもと、「原発安全神話の補完」を、そして何よりも「今後のその必要性」のキャンペーンを継続している中、以下は、マスコミ人の真摯な言葉だと思いました。

《筆洗》「 東京新聞」2011年4月7日  コラムより

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011040702000024.html

▼庶民感覚で本質を突く本紙の時事川柳には、はっとさせられることが多い。<専門家こんなにいたのに事故起こる><原発を薦めたタレント知らん顔>。その通り、と膝を打った?
▼<マスメディア原発後押し一休み>。「原発ルネサンス」などと浮ついた言葉を吐いて、政府が進めてきた原子力政策に無批判だった新聞やテレビへの痛烈な批判と受け止めた
▼いま、こんなことを考えている。殺人や汚職事件の取材にかける百分の一の労力を、政局の取材に使う百分の一の知恵を、プロ野球や五輪、サッカーのワールドカップの取材に向ける百分の一の情熱を、国の原発政策の監視に注いでいれば、この人災は防げたのではないか、と
▼大地震が起きた場合、原発が暴走する危険性を指摘するなど、原発問題と真摯(しんし)に向き合っている記者は本紙にもいた。残念ながらその警告は大きな流れにはならず、大半の記者は目の前の事象を追うのに精いっぱいで原発の危険性に大きな関心を寄せなかった
▼高レベル放射能に汚染された大量の水が海に排出され、漁業への被害も深刻化している。暴走する福島第一原発は解決の道筋が描けない迷宮に入り込んでしまったかのようだ
▼マスメディアとして、原発の「安全神話」をつくることに加担した責任を自らの手で問い直さなくてはならない。新聞の再生はそこから始まるのだと思う。   





【その2】

 こちらは4月8日付け「朝日」の投書欄からです。

 三重県の主婦が「この頃アリを見かけない。砂糖を庭の端においても現れない」と、投書していました。
 これを読んでドキッとしました。というのは、私のうちでもまったく一緒で、多少庭いじりをするのですが、かなりの面積を掘り起こしてもアリに出会いません。以前は、「アリさん驚かせてごめんね」というほどわんさかいたのにです、
 そればかりではなく、以前にいたオケラやダンゴムシ、それにミミズににもお目にかかりません。
 地中の小動物たちが著しく減っているのは明らかです。
 これはわが家が山土の埋立ということによるのかなぁとも思いましたが、それにしてももう40年経っていますし、それにかつて確実にいたものがいなくなるのも変な話です。
 
 なんだか気味が悪い思いがします。
 みなさんのところではいかがでしょうか?
コメント (8)
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往く春への感傷的な回想

2011-04-10 01:30:26 | 想い出を掘り起こす
 春はいつも何がしか淫靡なものを伴っている。
 加えて今年は、禍々しい気配が漂っていて、僕らの口笛はいつの間にか陳腐なエレジィになってしまう。

        

 それにしても花の吸引力は凄まじい。
 ここしばらく、ディスクワークに没頭していて外へ出る機会もなく、花便りは聞こえてくるもののそんな誘惑には乗るもんかと無視してきたが、ひと通りの仕事が片付いたのをきっかけに、では、往く春ぐらいは見届けてやろうかと、自宅から徒歩5分ほどのマイ・お花見ロードへと足を運んだ。

        
        ビッシリと花筏 どうしてここで止まっているんだろう

 こんな近場へさえ来なかったのだから、僕は多分、軽い自閉症だったのだろう。
 そういえばここ10日ぐらい、誰かと有意味な会話を交わしてもいない。あまり人と会話をしていないと、急にその機会が訪れたとき声が出ないことがある。

        

 自己との対話というといささか生意気だが、これはしている。ほとんどが自己肯定にもとづく怠惰な会話なのだが。
 もっとも、この自己との対話が著しく乖離した場合、かつての用語の「分裂症」のように、いささか厄介なことになる。

        

 進学の是非やらなんやらで悩み続け、人と会うのが億劫でそれを避け続けたのは、半世紀以上前の高校2年生の春から夏にかけてであった。あとにして思うのだが、このときは危機的であった。
 あの年に、僕は花を見たであろうか。
 感傷的で短い小説を一篇書いて、新しい道に踏み出る決意をした。

        

 それから先はその延長線上というわけでもない。
 幾度かの挫折に翻弄されながら、いまもなおそれを過去形で語れない状況のうちで生きている。
 ただし、あの高校2年生の折の人格破壊をも賭けた決断に比べればその後のそれは大したものではないとも思う。あの時の決断のうちにその後の亀裂はすべて含まれたいたように思うからだ。

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 それはいわば、いささかこそばゆい言い方をすれば、被投された自己を企投するという意味で実存的に生きるということであったのだが、困ったことに僕は今やそうした実存主義者でもないのである。

        
        桜並木が終わったあとには春の陽光に煌めくせせらぎが…

 屁理屈はともかく、私の72回目の春が往く。
 冒頭に戻るが、春は常に淫靡で、時として禍々しいものである。
 もし、それを見ることができたとしたら、来年の花はどんな色合いで僕の前に現れるのであろうか。

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