【その1】
大部分のメディアが、「放射能は笑っているひとには来ない」(長崎大)や「このくらいの放射能は健康に良く、持病が治る」(東大)といった薄ら馬鹿のような御用学者を動員し、「風評を抑える」というお題目のもと、「原発安全神話の補完」を、そして何よりも「今後のその必要性」のキャンペーンを継続している中、以下は、マスコミ人の真摯な言葉だと思いました。
《筆洗》「 東京新聞」2011年4月7日 コラムより
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2011040702000024.html
▼庶民感覚で本質を突く本紙の時事川柳には、はっとさせられることが多い。<専門家こんなにいたのに事故起こる><原発を薦めたタレント知らん顔>。その通り、と膝を打った?
▼<マスメディア原発後押し一休み>。「原発ルネサンス」などと浮ついた言葉を吐いて、政府が進めてきた原子力政策に無批判だった新聞やテレビへの痛烈な批判と受け止めた
▼いま、こんなことを考えている。殺人や汚職事件の取材にかける百分の一の労力を、政局の取材に使う百分の一の知恵を、プロ野球や五輪、サッカーのワールドカップの取材に向ける百分の一の情熱を、国の原発政策の監視に注いでいれば、この人災は防げたのではないか、と
▼大地震が起きた場合、原発が暴走する危険性を指摘するなど、原発問題と真摯(しんし)に向き合っている記者は本紙にもいた。残念ながらその警告は大きな流れにはならず、大半の記者は目の前の事象を追うのに精いっぱいで原発の危険性に大きな関心を寄せなかった
▼高レベル放射能に汚染された大量の水が海に排出され、漁業への被害も深刻化している。暴走する福島第一原発は解決の道筋が描けない迷宮に入り込んでしまったかのようだ
▼マスメディアとして、原発の「安全神話」をつくることに加担した責任を自らの手で問い直さなくてはならない。新聞の再生はそこから始まるのだと思う。
【その2】
こちらは4月8日付け「朝日」の投書欄からです。
三重県の主婦が「この頃アリを見かけない。砂糖を庭の端においても現れない」と、投書していました。
これを読んでドキッとしました。というのは、私のうちでもまったく一緒で、多少庭いじりをするのですが、かなりの面積を掘り起こしてもアリに出会いません。以前は、「アリさん驚かせてごめんね」というほどわんさかいたのにです、
そればかりではなく、以前にいたオケラやダンゴムシ、それにミミズににもお目にかかりません。
地中の小動物たちが著しく減っているのは明らかです。
これはわが家が山土の埋立ということによるのかなぁとも思いましたが、それにしてももう40年経っていますし、それにかつて確実にいたものがいなくなるのも変な話です。
なんだか気味が悪い思いがします。
みなさんのところではいかがでしょうか?
我が家のネズミも、周りの捨て猫も、どんどん増えています。困っています。
タレントさんはテレビ芸者ですから、責められないでしょう。八千草薫に「皇潤って、本当に効くの?」とは言えないでしょう。
オバマ大統領も、原発推進を訴えていますので、ここは付いていきましょう。今回壊れた原発は、GE社製だそうです。日立、東芝、新日鉄、日本製鋼所などが共同開発すれば、きっと、安全な原発ができますよ。サンフランシスコ講和も安保も自衛隊も、結局、アメリカに従っていて正解だったのですから(安保、自衛隊が否定されていたら、日本はどうなっていたかと、今考えるとぞっとしますね。当時反対した人は反省してね)。
「アメリカに従っていて正解だった」の一言は、
「誇り」とか「毅然」とか「自主・自立」といったことと一切無縁、今後これに類する言辞を発する時には、大嗤いされること忘れないでください。
「20世紀はまことに悲惨も、モーツアルトを発見した」というピーター・ゲイにならっていえば、「太平洋戦争はまことに悲惨も、ともかくも9条を変形させながらも現存させてきた」。
震災後の13日に、水俣に行った森まゆみは、「一度汚染された環境は、いかに莫大な費用と労力をかけても元に戻すことはできません」とある碑の前で胸突き刺されたという。
それから9条護さん、ブログ主のテーマにできるだけ沿ってコメントしてください。そうでないと、単に幼い物言いとして寒心されるばかりか、土足で汚しにきた無法者のそしりを免れませんよ。
おそらくイデオロギー退治の桃太郎さんのおつもりでしょうが、それ自身がある種のイデオロギーのように思います。
しかもかなり古~い色眼鏡のようにも思えます。
いまもなお、「陰謀」めいた「左翼」がいて、それらが「売国」的な動きをしているという先入観がありませんか。
原発問題はそうしたイデオロギーの問題ではなく、もっとリアルなその成否をめぐる問題だと思います。
ここで詳しくは論じませんが、 九条護。さんが以下のようなエゴイストだとは思いたくないのです。
この発言は、原発反対派に対するある女性のネット上での発言です。
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原発は必要です。
今の生活を変えたく無いしね。
今まで通り誰かがリスクを背負えば良い。
福島の人間も関東の人間も今まで知ってようが知るまいが、そうしてきた。
私も関東に住んでるけどさw
みんな事が起きたから馬鹿みたいに騒いでるだけだし、口で反対したって別に何をする訳でもないしw
まぁ1年もしたらすっかり忘れてるだろうなw
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原発問題が、同時に差別の構造をも持っていることが見て取れます。
「過疎地の連中にはそれなりの助成金や雇用機会をやったのだから、リスクを背負うのは当然だ。
我々都会人はその上でのうのうとしていて何が悪い・・・」
これまでアメリカの言うなりにならなかった(なれなかった)ことがありました。
それは朝鮮戦争時、ベトナム戦争時、そして最近ではイラク征伐の時、戦闘に武器を持って参加するようにアメリカは叱咤指示しましたが、それはできませんでした。9条が存在していたからです。
戦闘に参加すべきだったということなら別ですが、そうでなかったら「9条護」なんていうおためごかしのネームは取り下げなさい。
福井県にはもんじゅがあります。福島と仕組みが違いプルトニュウムという地球上にないものを使う技術です。
http://getnews.jp/archives/109213
これもどう考えても悪い。
このコメントの登録したメールアドレスやIPアドレスで、私の仕事や会社がわかりますが、それでも悪いものは悪いのです。