六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「あひるのオマル」と言論統制

2011-04-06 02:12:29 | 映画評論
        


 ついに垂れ流しの段階がやって来ました。
 空気中への発散はっとっくに始まっていたのに、その実情、世界的な分布に対しては全く公表されず、ドイツの観測値の逆輸入でやっと明らかになる始末です。
 それによれば、中国大陸を始めアジア各地で異常な値が観測されているようです。
 当事者たちは、チェルノブイリよりは…とタカをくくっていたようですが、現実はそれを凌駕する域に達しつつあります。

 そしてついには、海への垂れ流しが公に始まりました。「公に」と述べたのは、既にこれまでも事実上垂れ流し状態だったからです。しかし、それらは隠密裡の事態だったのですが、今回は、「さあ、垂れ流しますよ」と堂々の宣言付きです。
 「ここで垂れ流さなかったらもっとひどいことになるんだよ」という脅迫じみた言葉を添えてです。

 漁民が、あのたくましい海の男が、手放しで泣いているのをTVで観ました。こちらの胸も張り裂けそうでした。
 折も折、茨城県の漁船が美味しそうなキンキ(映像で観ました)を千葉県の漁港へ水揚げしようとしてそれを拒否されました。その漁船の船長のうつろな表情と、鮮やかな朱色のキンキとの対比に、またまた胸が潰れそうでした。

 海への垂れ流しは、近海や沿岸の漁業だけへの影響にとどまりません。
 「海は広いので拡散し被害が希薄になる」という馬鹿げた解説をTVでしている御用学者がいます。
 拡散されるということは、太平洋そのものが汚染されるということで、その潮流の行先、北海道や諸外国へも汚染が広がるということです。

 また、その海の魚を一年間食べ続けても無害だといいます。
 しかし、これらの見解はそうした毒物がそれぞれの生物の中で体内濃縮されるという事実をひた隠しにしています。
 それらをプランクトンが吸収し、それを小魚が食い、それをまた大型魚が食う、そしてそれらが最終的には人間の口に入る…その都度その毒性は濃縮されるのです。

 水俣病がそうでした。チッソは毒物の濃度はそれほどではないと強弁しましたが、しかし、上に見た濃縮作用によって多くの人的被害を生んだのでした。

 少なくとも、この垂れ流しによってどのような予測被害があるのかを明らかにすべきです。風評は止せといいます。そのとおりです。しかし、風評を生んでいるのは公の情報の曖昧さそのものなのです。
 先に見た千葉県の漁港の茨木の漁獲の引き取り拒否は、千葉県側の意地悪ではありません。千葉県側の彼ら自身、明確な判断の基準が与えられていないのです。
 断る方も断られる方も、出口なしの悲劇なのです。

 原発は大きなリスクを抱えた技術であることは、その賛否にかかわらず等しく認められるところです。したがって、この技術がすでに適応されてしまっている以上、それをめぐるリスク・コミュニケーションが不可欠なのです。
 ところが、先に見た放射能の飛来状況に関しては、気象学会そのものが通達でその公表を抑圧しています。
 
 TVや新聞の解説で、いわゆる反原発派の学者を用いるなという通達や圧力がかけられています。ですから、前にも見た、「笑って酒飲んでたら放射能の被害は免れる」というノーテンキな御用学者しか前面には出てこないのです。
 反原発や放射能被害を主題にした書物については、その広告すら載らない仕組みになっているのです。

 日曜日に数ページをさく、例えば「朝日新聞」(4月3日)の「読書」のページは、災害時のメンタル・ケアーにかんする香山リカさんの記事があるのみで、原発の「ゲ」、放射能の「ホ」の字も見当たらないのです。
 これは明らかに、見えざる言論統制であり、世論誘導です。
 原発とはなんなのか?放射能とはなんなのか?という読書子の問題意識に応ずるべき記事は意図的に隠蔽されているのです。
 週刊誌のほうがよほど質が良いといわざるを得ません。

 垂れ流しの話に戻りましょう。
 ようするに原発は、いまのところ、その放射能を垂れ流し続けるしか方法がないようです。それも月単位でそうなんだと御用学者も認めています。

 人間の赤ん坊と子供の差異はなんでしょうか?
 いろいろありますが、そのひとつは自分のシシ・ババを垂れ流さず処理できるということです。
 原発はそれが出来ません。
 まだ子供の段階にも達していないのです。
 垂れ流さないで、自分で始末できるよう、その訓練のために「あひるのオマル」を送りたいものです。
 
 ところで、この原発、垂れ流しだけで終わる保証はあるのでしょうか?


 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする