駅へ着いたとき、私のうちに近いバスの最終はもう出たあとでした。ただし、少し歩けばうちに着ける幹線道路を通るバスはまだ一本あったので、それに乗りました。
一番近いバス停で降りて歩きました。集落を抜けると、そのはずれに小さな鎮守の森があります。その鳥居の前にさしかかると、境内に灯りが見え、なにやら音曲のようなものも聞こえます。
鳥居をくぐって拝殿の方を見やると、その前に高張提灯が二本、そして小さなかがり火も揺れていて、数人の少年たちが舞をしています。音曲は静かで緩やかなもので太鼓もけだるそうに鳴っています。神楽というよりなにか地謡のような曲です。
時折、篠笛が小節の終わりにピッと高い音を鳴らすと、少年たちはその装束をなびかせながらふうわりと舞い上がります。
その装束の色合いはそれぞれ異なっているのですが、いずれもマリー・ローランサンの絵のようなパステルカラーです。
しばらく立ち尽くして見ていると、どういうわけか水色の装束の少年と何度も目が会うのです。彼もまた時折、私の方をキッと見つめているようでした。
やがて舞が終わり、一行は小休止といった恰好で静かに話し合っています。
その中から、水色の装束の少年が私の方へ近づいてきました。そして、私の手首をきゅっと握り、境内の奥、拝殿の後ろの、杉やら椎やらの森へと導きました。
灯りを逃れた夜気が渦巻きひしめき合っているようなそんな中で、少年の水色の装束と薄化粧されたかんばせとが透明な水滴のように浮き出ていました。
この森はどこかで見覚えがあります。そう、少年の日に疎開先で過ごした折のことでした。古墳を思わせる小山の上にあり、よく友だちと遊んだ鎮守の森にそっくりなのです。
ある日の放課後、だれかはいるだろうと出かけた私は、結局、誰にも会えませんでした。
で、その拝殿の後ろへいったのですが、そこは冷え冷えと静まり返っていてとても濃い静寂が支配していました。何度も友だちと椎の実を拾いに入ったこともあったのですが、その折とはまったく違う様相にただただ立ち尽くしているのみでした。
やがて一陣の風が木々を揺らし始め、次第に強まり、ゴーッと梢を鳴らし始めました。どこに潜んでいたのか鳥たちがキーッ、キーッと、警戒とも呪詛ともとれる声を張り上げて鳴き立てました。
足元から頭のてっぺんに冷気が抜けるような恐怖に襲われて、その場をかけ出して逃れました。階段を駆け下りると暖かい日差しが迎えてくれて、ほっとしました。
振り返ると、鎮守の森はその梢の先が少し揺れているかどうかぐらいに静まり返っていました。
「そう、その森なんだよ」と少年が私に語りました。
「そんな森はどこにもあるけど、みんなそれを忘れて生きているのさ」
あの森と、この森との六〇年の距離が一挙に縮まり、また少年の日に帰りたいという激しい願望に襲われました。
「それはできないさ、もうここまで来てしまったのだから。さあ、もう帰りなよ」と、少年は私にやさしいくちづけをくれました。
その甘美さに思わず眼を閉じました。なにか薄紅色の霞のようなものが体の中で静かに渦巻いていました。
しばらくのあいだ、私はその余韻に浸っていました。
目を開けるともう少年はいませんでした。
こうなることはどこかで分かっていました。
続いておこることも。
一陣の風が木々を揺らし始め、やがてそれはゴーッと梢を鳴らしました。どこに潜んでいたのか鳥たちがキーッ、キーッと、警戒とも呪詛ともとれる声を張り上げて鳴き立てました。
私は少年の日のようにやたら逃げ出したりはせず、揺れ動く木々の梢をひとわたり眺めてから、その場を離れました。
もちろん、拝殿前の歌舞の一団も跡形もなく消え失せていました。
鳥居を抜けると、折から雲を抜け出た月が、私の影をくっきりと刻みつけました。
私は歩き始めたのですが、あの少年の日のように、もう振り返ったりはしませんでした。
夜空のどこかで、少年の笑い声が響いているようでした。
一番近いバス停で降りて歩きました。集落を抜けると、そのはずれに小さな鎮守の森があります。その鳥居の前にさしかかると、境内に灯りが見え、なにやら音曲のようなものも聞こえます。
鳥居をくぐって拝殿の方を見やると、その前に高張提灯が二本、そして小さなかがり火も揺れていて、数人の少年たちが舞をしています。音曲は静かで緩やかなもので太鼓もけだるそうに鳴っています。神楽というよりなにか地謡のような曲です。
時折、篠笛が小節の終わりにピッと高い音を鳴らすと、少年たちはその装束をなびかせながらふうわりと舞い上がります。
その装束の色合いはそれぞれ異なっているのですが、いずれもマリー・ローランサンの絵のようなパステルカラーです。
しばらく立ち尽くして見ていると、どういうわけか水色の装束の少年と何度も目が会うのです。彼もまた時折、私の方をキッと見つめているようでした。
やがて舞が終わり、一行は小休止といった恰好で静かに話し合っています。
その中から、水色の装束の少年が私の方へ近づいてきました。そして、私の手首をきゅっと握り、境内の奥、拝殿の後ろの、杉やら椎やらの森へと導きました。
灯りを逃れた夜気が渦巻きひしめき合っているようなそんな中で、少年の水色の装束と薄化粧されたかんばせとが透明な水滴のように浮き出ていました。
この森はどこかで見覚えがあります。そう、少年の日に疎開先で過ごした折のことでした。古墳を思わせる小山の上にあり、よく友だちと遊んだ鎮守の森にそっくりなのです。
ある日の放課後、だれかはいるだろうと出かけた私は、結局、誰にも会えませんでした。
で、その拝殿の後ろへいったのですが、そこは冷え冷えと静まり返っていてとても濃い静寂が支配していました。何度も友だちと椎の実を拾いに入ったこともあったのですが、その折とはまったく違う様相にただただ立ち尽くしているのみでした。
やがて一陣の風が木々を揺らし始め、次第に強まり、ゴーッと梢を鳴らし始めました。どこに潜んでいたのか鳥たちがキーッ、キーッと、警戒とも呪詛ともとれる声を張り上げて鳴き立てました。
足元から頭のてっぺんに冷気が抜けるような恐怖に襲われて、その場をかけ出して逃れました。階段を駆け下りると暖かい日差しが迎えてくれて、ほっとしました。
振り返ると、鎮守の森はその梢の先が少し揺れているかどうかぐらいに静まり返っていました。
「そう、その森なんだよ」と少年が私に語りました。
「そんな森はどこにもあるけど、みんなそれを忘れて生きているのさ」
あの森と、この森との六〇年の距離が一挙に縮まり、また少年の日に帰りたいという激しい願望に襲われました。
「それはできないさ、もうここまで来てしまったのだから。さあ、もう帰りなよ」と、少年は私にやさしいくちづけをくれました。
その甘美さに思わず眼を閉じました。なにか薄紅色の霞のようなものが体の中で静かに渦巻いていました。
しばらくのあいだ、私はその余韻に浸っていました。
目を開けるともう少年はいませんでした。
こうなることはどこかで分かっていました。
続いておこることも。
一陣の風が木々を揺らし始め、やがてそれはゴーッと梢を鳴らしました。どこに潜んでいたのか鳥たちがキーッ、キーッと、警戒とも呪詛ともとれる声を張り上げて鳴き立てました。
私は少年の日のようにやたら逃げ出したりはせず、揺れ動く木々の梢をひとわたり眺めてから、その場を離れました。
もちろん、拝殿前の歌舞の一団も跡形もなく消え失せていました。
鳥居を抜けると、折から雲を抜け出た月が、私の影をくっきりと刻みつけました。
私は歩き始めたのですが、あの少年の日のように、もう振り返ったりはしませんでした。
夜空のどこかで、少年の笑い声が響いているようでした。