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今日はなにいろ?

あれから1ヶ月

2011-04-10 08:43:35 | 震災
あっという間のような、長かったような…。

何不自由なく過ごして来た日々。
欲しいものは何でも手に入り、必要ないものはどんどん捨てる。また買えばいい。どこでもどんな時にも欲しいものはいつでも手に入るんだから。

そんな日が普通だと思っていた。
戦争があったり、天災が起きたり、世界ではいろいろなことがあっても、それは自分には関係のない世界のことだと思っていた。

ところが…。

春の高校野球で震災にめげずに出場した東北高校の選手が「野球をさせてもらっていると言う喜び」と言っている映像を見て涙がこぼれた。
あの日が来なかったら言える言葉じゃないし、それを耳にして泣けることはなかったろう。

石原知事の「天罰」云々はどうかと思ったけど、震災を経験した身として、これは今まで何にも感謝することなく、当たり前のことと傲慢に生きてきた私たちへの「警告」なのでは?と思ったりした。

私の被害は微々たる物だ。壊れたものは買いなおせばいいし。断水も1週間で終わったし。

家をなくした人、大切な人を失った人。
毎日報道されるニュースを、涙なくして見ることは出来ない。

新聞を開いた時「行方不明者」の名前が、紙面全体に、細かい文字でずらーっと並んでいるのを見たとき戦慄を覚えた。

ガソリンがなくなり、徹夜で並んでいる車の列、列、列。
わずかな食料品を求めて、ずらーっと並んでいる人、人、人。
やっと店に入れてもほとんどの棚は空。
必要なものはほとんど手に入らない。
何も変わらない町並みのようで、よく見ると壁が崩れ、窓が割れ、塀が壊れている。
瓦が落ちてブルーシートに覆われた屋根があちこちある。
ポストは封されて手紙を受け付けない。宅配便も止まった。
いまだに通らない電車。
あの地震がどれほどのものだったのか、改めて感じる日々。

それでも3週間も経つとガソリンが普通に手に入るようになって、品物も流通しはじめた。
パンも牛乳も納豆も買えるようになった。
宅配便もちゃんと家まで届けてくれるようになった。

だけど…。

毎日、気が滅入る。

時間ごとに更新されている「放射能測定値」に一喜一憂。
早く正常値になればいい、正常値までとはいかなくても、1マイクロシーベルトを切ってくれたら。

あの日から屋内避難している人と同じ生活をしている。
必要のない外出は避ける。
洗濯物は外に干さない。
エアコンは使わない。
外出する時はマスク、帽子、手袋。

そこまでしなくても大丈夫と言われている距離なのだけど、放射能量は屋内退避の土地と同じくらい多い日が続いている。どうすりゃいいの?
すっかり春めいて、こんな日はどこか花見に行きたいなと思っても、気が引ける。
布団を干したいし、洗濯物もお日様に当てればすぐ乾くんだろうけど。
誰も外に干している人いないし、外で遊んでいる子供の姿も見かけない。
むしろ、遊ばせているとクビをかしげる人もいそう。
放射線が多い地区では校庭で活動させないように、なんていう指示も出たとか。

空気が汚され、水が汚され、土地も汚された。海も汚された。
福島は農産物、海産物、そして観光で生きてきた町。
これからどうなるんだろう。

原発が金になるから誘致したんだろう、自業自得だと言う声もある。
確かにそういうところもあっただろう。あの近辺の箱モノ、尋常じゃなかったし。
だけど、その恩恵に浴していたのは一部の人、福島県民全部じゃない。

言い続けられた「安全、安心」の原発安全神話。
誰もが疑わなかった。
と言うか、原発の存在、浜通りに言った時に感じるくらいでふだんは忘れていた。

きっと、東電の人も原発関連の人たちもまさか、ああいうことが起きるなんて考えてなかったんだろう。
「想定外のことが起きた」と誰もが口にした。
でもその想定外のことを想定しておくのは関係者なら当然だろう。
そもそも、立ち上がりが遅い。なんで震災の翌日総理が視察に来るんだろう。危機感欠如。
アメリカやフランスなどに、すぐに頼らなかったのも不満。
不満はキリがない。

「放射能、心配だよね。福島の人はゼッケン付けて欲しいよね」と東京の電車で耳にした、と言う記事が地元紙に載っていた。福島の人、宿泊お断りとか、ガソリンお断りとか、入店お断りとか、福島の食べ物売れないとか。

心が折れる。

でもね、日本では福島を白い目で見ているけど世界では日本を白い目で見ているんだよね。
いつまでもごたごたしていると、世界中から嫌われちゃう。
国に殺されちゃうよ、私たち。

福島を脱出する人のニュース、いっぱい目にした。
避難勧告が出てなくても自主避難する人たち。
そういえば、福島に住んで活躍している若手の作家さんがいたけど、すぐに逃げたらしい。
北海道の新聞に「こんなところに住んでられない!」とかなんとか叫んですぐに北海道に逃げたと言う記事が載っていたとか(苦笑)
あの日から見かけなくなった地元テレビ局の女子アナもいる。
小さい子供がいる人とか、若い人とか、ある程度自由になれる人なら、それがいいのかも。
毎日原発のこと、ハラハラしながら見守るよりずっといい。
北海道に住む身内から避難するように勧められたけどいろいろあってそうもいかない。
が、もう少し様子を見てこのままだったら考えてみようと思ってる。
だけど、狭い日本、どこに行っても同じじゃないの?

余震は相変わらず続いている。
自分だけが揺れているのか、本当に地震なのか分からなくなる。
緊急地震速報メールはあの日以来20回近く届いた。
あまりビビらなくなってきたが、7日の夜中に起きた余震は度肝を抜かれた。
あの日の地震に似ている。すぐに収まったからいいけど(本震の時は3連続で5分も続いたから)

映画館がオープンした。
そろそろ映画も観たい。
ただ、暗い中で大きな地震が来たらと思うと怖い。
地震、そんなに怖く思わなかったのだが、すごく怖くなった。

「おうちでえいが」のBBSが開かない。
サイトからの連絡で不都合が起きているとか。復旧作業をしているそうでまもなく再開出来るそうです。心配して書き込みしてくれた人たちに心から感謝します。ありがとうございました。







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