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今日はなにいろ?

いろんな人がいる

2011-04-19 14:06:53 | 震災
テレビで流れていたある主婦のこと。
子供が学校から貰ってきた給食献立表、葉物が使われているところをマーカーでチェック。
学校に電話して、産地がどこか聞くんだそう。

つまり、その野菜、福島とかの野菜じゃないでしょうね?って確認していることなんでしょう。

テレビ側のスタンスとしたら「これだけ気を使っているお母さん」と言うことなんだろうけど、私には単なるモンペにしか見えなかった。

そのお母さんって日ごろからもちろん、スーパーの惣菜なんか買ったことないんだろうし、もちろん冷凍食品も使ったことないんだろうね。ファストフードも食べさせないし、おやつも手作りなんだろう。
そうじゃなきゃヘンでしょ。

結局あれだね、攻撃しやすいところばかり文句を言うんだよね。今は原発汚染。これは簡単に攻撃しやすい。

この番組の〆はお水。
ある東京の主婦、実家の福島のじいちゃんからペットボトルの水が届くとか。
「俺たちはもう年だから。子供にはこの水飲ませろ」って。
コメンテーターたちが
「いい話だなあ」って。
ちょっと、ちょっと、ちょっと。
福島の水道水、汚染されてないから。
まあ、確かに一部飲めない地域もあるけど、うちの水道水、一度も引っかかったことないから。
別に年じゃなくても、全然大丈夫なんだから。
ってテレビの前でわめいたって、仕方ないんだけど。

つまり、風評ってテレビが作り出しているんじゃないの?

「放射能がうつる」
あのお話は可哀想だった。
その他、福島いじめはいっぱい見聞きする。
でも、みんながみんなじゃない。

ある人が県外に避難して、スーパーで買い物して、戻ってきたら車のサイドミラーの所に大きな買い物袋がぶら下がっていたんだって。
中には食料品がいっぱい。
ワイパーには「頑張って!」と言うメモ。
私は泣きました、その記事を読んで。

世の中いろんな人がいる。
「風評被害で福島の人が辛い思いをしないようにあたたかい気持ちで接して欲しい」って政府のタダチニさんが言っていたけど。
そんなことを言わなくたってあたたかい気持ちで接する人はいっぱいいる(って信じている)
(だいたい、あのタダチニさん、一応落ち着いてきたから、やっとって感じでやって来て、その上、あの重装備って何?)

風評被害ももちろんだけど、政府の人が発する言葉、これが一番こたえる。
東日本がだめになるとか、10年も20年も帰れないとか。
最近では「もうだめだと思ったことがあった」とか。
おいおい、まだ安定したわけじゃないのに。そういうのはすべて終わってから言って欲しいよね。
(ちなみに、それっていつの時だったんだろう?)

ネットで強く避難を勧める人がいる。
これだけの数値が一年経つとこうなるんだから、今そこにとどまっている神経が分からないとか。
私だって政府の言葉をまるっと信じているわけじゃない。
が、今すぐ他の場所に避難出来るわけがない。したくもない。
それに、子供がいるわけじゃないし、若くもないからそんなに心配してない。

だけど、やっぱり若いお母さんとか、これからここで生活の基盤を造ろうと考えている人、悩むだろうなあ。
悩んでもそれでいいって結論付けている人もいるだろうに、煽るように悪い数値を並べ立てて、将来どうなるか分からないってネットで発信している人ってなんなの?

「子供さん、妊婦さんはすぐに避難して下さい、将来白血病になったり、がんになったり、そういう事例を私はたくさん見てます」って発言、最近見た。
名前を見たら「ああ、この人…」
前から原発問題に取り組んでいた人。その手の映画を作っていた人。
いろいろ調べてるんだろうから素人よりは詳しいんだろう。
だけど、そういう事例って何だろう。チェルノブイリのことかな。
そういう事例、そんなにないと思うんだけどね。
「いっぱい見てます」
この発言はキツイよね。
動揺するよ、みんな。
親切なんだろうけど、けっしてプラスにはならないと思う。
だって、避難しようと思っていた人はとっくに避難している。そんな発言を見なくたって。
やっぱり私はここで暮らしていくって決心した人にとってはその手の発言、グラっってくるよね。気持ちも良くない。
結局、余計な記事は見なきゃいいってことなのかも。

それと、いろんな人がいるってことでもう一つ。
最近泣ける話ってのがあって。
漫画仕立てにした福島の高校生のブログだったか、なんだったか。
結局、「東京の電気のためにわたしたちがこんな思いしているのに」ってのがオチだったんだけど。

私は原発がああなった時から、そんなこと一度も思わなかった。
だって、タダでくれていたわけじゃないし、大きな利権が動いていたこと知っていたし。
いや、ほんとのこと言うと一瞬そう思ったことはありました、はい。

でも、すぐに東京の人たちが「自分たちの電気を作ってくれていた福島の人たちのためにも」と言う言葉を発信してくれたのを聴いて、分かってくれているんだって思った。

原発のトラブルが起きたときに、原発のことが分かる動画というのがYoutubeにあって(うんちとおならにたとえるあれ)それを見たとき「今まで長いこと東京やその近辺に電気を送り続けてくれた福島の人たちのためにも祈ってください」と言うようなメッセージを聞いたとき涙がこぼれた。

改めて福島県民が「東京の人に~」って声高に発言することもない、ってそう思った。

いまさら原発がどうこう言ったって仕方ない。
特別なこともないけど、穏やかで静かで普通の福島に戻ることだけが今の願いです。








一歩踏み出す

2011-04-13 08:59:26 | 映画
映画を観て来た。
町の映画館は4月の始めに再開した。
それでもなかなか映画館に足が向かなかった。

理由は二つ。

一つは今、映画を観ていていいんだろうか、と言うこと。
いまだ避難暮らしをせざるをえない人がいっぱいいるというのに。

映画館の支配人の言葉が新聞の記事に載っていた。
「映画が人々の心の癒しになればいいと思って、復旧を急いだ」
その支配人さん、年間200~300本の映画を観ているのだけど、震災後は1本も観てないそう。復旧のためにその時間を費やしたんだろうか。

自粛していて、映画館の灯を絶やしてしまったら、それこそ本末転倒。
彼らの気持ちに応えるのは映画を観ること、それだけだろう。

そしてもう一つの理由は余震。

ようやく収まってきたと思った余震。
7日の夜にどかんと来て。
丸1ヶ月経った11日には本震を思わせるような揺れが続く。
せっかく片付けた品や本がまたバラバラ落ちて来た。
最近、趣味の一つになったペーパークラフトで作った「サクラダ・ファミリア」が落っこちてきて塔が何個か崩壊した。
もう、いや、この地震。

出かけようと思った朝には緊急地震速報が2回も鳴り。
さらには映画鑑賞中にも鳴り響く。
それでも、何とか最後まで無事映画鑑賞することが出来た。

映画を鑑賞した、と言うより、無事最後まで映画を観ることが出来た、と言うことで満足。マラソンで完走したような気分。

桜が咲き始めた。
思わず笑みがこぼれる。
桜って人をあったかくする。
でも、ふと目をそらすと…。

巨大な石灯籠の頭が転げている。
まだまだあちこち、震災の爪あとが残っている。

どんな時にも桜は咲く。
これから先、桜を見るたび悲しい思い出に胸を痛める人、たくさんいるんだろう。
それでもいつか、笑顔で桜を見られる時が、きっと来る。

映画を観て来てよかった。

あれから1ヶ月

2011-04-10 08:43:35 | 震災
あっという間のような、長かったような…。

何不自由なく過ごして来た日々。
欲しいものは何でも手に入り、必要ないものはどんどん捨てる。また買えばいい。どこでもどんな時にも欲しいものはいつでも手に入るんだから。

そんな日が普通だと思っていた。
戦争があったり、天災が起きたり、世界ではいろいろなことがあっても、それは自分には関係のない世界のことだと思っていた。

ところが…。

春の高校野球で震災にめげずに出場した東北高校の選手が「野球をさせてもらっていると言う喜び」と言っている映像を見て涙がこぼれた。
あの日が来なかったら言える言葉じゃないし、それを耳にして泣けることはなかったろう。

石原知事の「天罰」云々はどうかと思ったけど、震災を経験した身として、これは今まで何にも感謝することなく、当たり前のことと傲慢に生きてきた私たちへの「警告」なのでは?と思ったりした。

私の被害は微々たる物だ。壊れたものは買いなおせばいいし。断水も1週間で終わったし。

家をなくした人、大切な人を失った人。
毎日報道されるニュースを、涙なくして見ることは出来ない。

新聞を開いた時「行方不明者」の名前が、紙面全体に、細かい文字でずらーっと並んでいるのを見たとき戦慄を覚えた。

ガソリンがなくなり、徹夜で並んでいる車の列、列、列。
わずかな食料品を求めて、ずらーっと並んでいる人、人、人。
やっと店に入れてもほとんどの棚は空。
必要なものはほとんど手に入らない。
何も変わらない町並みのようで、よく見ると壁が崩れ、窓が割れ、塀が壊れている。
瓦が落ちてブルーシートに覆われた屋根があちこちある。
ポストは封されて手紙を受け付けない。宅配便も止まった。
いまだに通らない電車。
あの地震がどれほどのものだったのか、改めて感じる日々。

それでも3週間も経つとガソリンが普通に手に入るようになって、品物も流通しはじめた。
パンも牛乳も納豆も買えるようになった。
宅配便もちゃんと家まで届けてくれるようになった。

だけど…。

毎日、気が滅入る。

時間ごとに更新されている「放射能測定値」に一喜一憂。
早く正常値になればいい、正常値までとはいかなくても、1マイクロシーベルトを切ってくれたら。

あの日から屋内避難している人と同じ生活をしている。
必要のない外出は避ける。
洗濯物は外に干さない。
エアコンは使わない。
外出する時はマスク、帽子、手袋。

そこまでしなくても大丈夫と言われている距離なのだけど、放射能量は屋内退避の土地と同じくらい多い日が続いている。どうすりゃいいの?
すっかり春めいて、こんな日はどこか花見に行きたいなと思っても、気が引ける。
布団を干したいし、洗濯物もお日様に当てればすぐ乾くんだろうけど。
誰も外に干している人いないし、外で遊んでいる子供の姿も見かけない。
むしろ、遊ばせているとクビをかしげる人もいそう。
放射線が多い地区では校庭で活動させないように、なんていう指示も出たとか。

空気が汚され、水が汚され、土地も汚された。海も汚された。
福島は農産物、海産物、そして観光で生きてきた町。
これからどうなるんだろう。

原発が金になるから誘致したんだろう、自業自得だと言う声もある。
確かにそういうところもあっただろう。あの近辺の箱モノ、尋常じゃなかったし。
だけど、その恩恵に浴していたのは一部の人、福島県民全部じゃない。

言い続けられた「安全、安心」の原発安全神話。
誰もが疑わなかった。
と言うか、原発の存在、浜通りに言った時に感じるくらいでふだんは忘れていた。

きっと、東電の人も原発関連の人たちもまさか、ああいうことが起きるなんて考えてなかったんだろう。
「想定外のことが起きた」と誰もが口にした。
でもその想定外のことを想定しておくのは関係者なら当然だろう。
そもそも、立ち上がりが遅い。なんで震災の翌日総理が視察に来るんだろう。危機感欠如。
アメリカやフランスなどに、すぐに頼らなかったのも不満。
不満はキリがない。

「放射能、心配だよね。福島の人はゼッケン付けて欲しいよね」と東京の電車で耳にした、と言う記事が地元紙に載っていた。福島の人、宿泊お断りとか、ガソリンお断りとか、入店お断りとか、福島の食べ物売れないとか。

心が折れる。

でもね、日本では福島を白い目で見ているけど世界では日本を白い目で見ているんだよね。
いつまでもごたごたしていると、世界中から嫌われちゃう。
国に殺されちゃうよ、私たち。

福島を脱出する人のニュース、いっぱい目にした。
避難勧告が出てなくても自主避難する人たち。
そういえば、福島に住んで活躍している若手の作家さんがいたけど、すぐに逃げたらしい。
北海道の新聞に「こんなところに住んでられない!」とかなんとか叫んですぐに北海道に逃げたと言う記事が載っていたとか(苦笑)
あの日から見かけなくなった地元テレビ局の女子アナもいる。
小さい子供がいる人とか、若い人とか、ある程度自由になれる人なら、それがいいのかも。
毎日原発のこと、ハラハラしながら見守るよりずっといい。
北海道に住む身内から避難するように勧められたけどいろいろあってそうもいかない。
が、もう少し様子を見てこのままだったら考えてみようと思ってる。
だけど、狭い日本、どこに行っても同じじゃないの?

余震は相変わらず続いている。
自分だけが揺れているのか、本当に地震なのか分からなくなる。
緊急地震速報メールはあの日以来20回近く届いた。
あまりビビらなくなってきたが、7日の夜中に起きた余震は度肝を抜かれた。
あの日の地震に似ている。すぐに収まったからいいけど(本震の時は3連続で5分も続いたから)

映画館がオープンした。
そろそろ映画も観たい。
ただ、暗い中で大きな地震が来たらと思うと怖い。
地震、そんなに怖く思わなかったのだが、すごく怖くなった。

「おうちでえいが」のBBSが開かない。
サイトからの連絡で不都合が起きているとか。復旧作業をしているそうでまもなく再開出来るそうです。心配して書き込みしてくれた人たちに心から感謝します。ありがとうございました。