イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ブルースマンとキャサリン

2009-05-21 11:06:21 | ニュース

17日に亡くなっていたと公表された、元NHKアナウンサーの頼近美津子さんに、唐突で失礼ですが、月河はいま感謝したい気持ちです。

頼近さんのおかげで、2日夜に飛び込んできた忌野清志郎さんの訃報を、やっと客観化し、咀嚼し、嚥(の)み下すことができました。

夫の鹿内春雄さんと死別後、クラシックコンサートプランナーをライフワークにされていたという頼近さん、司会進行やナレーションのために、かつてアナウンサーとして鍛え愛された声を守るべく、食道癌が告知された後も、声帯に影響を及ぼすかもしれない手術より、抗癌剤による治療を選択されたそうです。

声の仕事で生き、声で自己を実現させてきた人たちは、リスクが高まっても、たとえ寿命が短くなるとしても、“死ぬまで歌える、語れる、声の出る自分”でいたいと望むのでしょう。

喉頭癌だった清志郎さんもまた、声の出なくなる摘出手術を拒否、保存治療でも唾液腺が消失してステージ歌唱が困難になることからこちらも断念、予後の劣る抗癌剤と代替療法を選んで、結局、転移に勝つことはできませんでした。

人間は生まれてくる時代も場所も、生まれてくるかこないか自体も選べません。意思に関係なく生まれてきて、意思に関係なく、多くは意に反して死んで行きます。

死が避けられない、歩を速め近づいてきているならば、せめて“命を終えるまで守りたい、失いたくないもの”一つにだけはこだわり、本当に守って死んだ。というより生き切った。

理想である“根治して完全復帰”がかなわないことは、“失いたくないもの”をプライマルに選んだ時点で、清志郎さんも頼近さんもあるいは覚悟しておられたのではないでしょうか。

NHK時代から、頻繁にではなかったけれどTVでも披露してくれた頼近さんのピアノとチェロ演奏の腕前は、かりにナレーションやMCの声を失ったとしても、いろいろな機会で活かすことができたでしょうし、派手なパフォーマンスや歌唱ができなくなったとしても、清志郎さんの作曲能力、とりわけユニークな歌詞センスだけとっても唯一無二のものでした。とことん根治を目指していたら、分野は狭くなっても活躍は続けられたかも…と思うのは、当人ならぬ他人ゆえの野暮、無神経でしかないかもしれない。

ファンや支持者たちからは惜しまれても、ご本人は後悔のない生の閉じ方だったと思いたい。少なくとも“無念の死”ではなかったと。

……頼近さんと言えば、96年のNHK大河ドラマ『秀吉』にお市役で出演されていたらしいのですが、大河には縁が薄いところへもってきて、竹中直人さんノーサンキューなので、一話も拝見していません。こんにちの女子アナ蔓延…ではなくて、猖獗…ではなくて、ええと…ロングブーム、そうだロングブームの礎を築いたと言われる美貌を買われ女優として出演されたということで言うなら、NHK退社、フジテレビに転じられた直後、81年公開の、野村芳太郎監督の映画『真夜中の招待状』のほうが、意味よくわからなかった分、記憶が鮮明なのですがね。手の組み方で心理状態がわかるとかなんとか。

遠藤周作さんのサイコミステリ『闇からの声』を原作にとった、映画としては傑作・佳作ではありませんが、少なくとも“二度とできないであろう作”であることは間違いありません。追悼放送しませんか、フジテレビ系。

コメント
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