『白と黒』は第14話。以前ここで“話が小さくて狭い”“コップどころかお猪口の中の嵐”とネガティヴに書いたことがありますが、礼子(西原亜希さん)の、“客観的に突き放して見れば考え過ぎ、思い過ごしとも見える”程度の疑念と、そこにこだわって不器用に、あてどもなく藪をつつこうとする行動をお話の発端にもってきたことが、3週め後半のいまじわじわと、しかし加速度的に効いてきています。
一年前の沖縄旅行でけじめがついたはずの一葉(大村彩子さん)の章吾(小林且弥さん)への想いを再燃させたのは、実は礼子が章吾の求婚で舞い上がった、ホヤホヤ湯気の立つなまなましい喜びを無防備に一葉にさらけ出してしまったことから発しているとも言える。
1話冒頭の、研究所への道すがら一葉自身冗談めかして礼子に語っていますが、たとえ章吾と一葉の過去の付き合いがなかったとしても、お見合いを繰り返して「残念な」結果が続いている同年代の女友達に「あこがれていた人からいまさっき、ソコでプロポーズされちゃった、夢みたい」なんて幸せまる出しでベロンと言ってしまったら、そりゃ人身事故起こすほどじゃなくても心中穏やかならなくなろうというもの。ここらが“善意と理想の人”ゆえの礼子の弱点。
研究所を主宰する桐生父(山本圭さん)と、不動産屋の一葉父・秋元(浜田晃さん)との反目対立を表面化させるきっかけとなった東谷(ひがしだに)の土地の借用・買取り問題にしても、いきなり舞い戻ってきた聖人(佐藤智仁さん)が若く異性免疫のない女子研究員・珠江(斉川あいさん)にちょっかいを出して動揺させうわのそらにさせた(←聖人に画才だけでなく“女心の洗脳制御力”があることを観客に提示し、のちの一葉への注進作戦へとつなぐ重要なエピでした)ことが起因していますが、そもそも4年も音信普通だった聖人が桐生家に再び腰を落ち着ける気になった最大の動機は礼子の存在です。
1話であわや引火炎上の事故車から動けないところを救出した女性が、優等生で父の覚えめでたい、癪に障る兄・章吾の婚約者であること、しかも章吾と一葉の過去の関係に一抹の不安を抱いてタオルを持ち出したりしていることを知ったのが、聖人のアンテナに見事にひっかかり、「あんた、おもしろいな。…おもしろいよ」となった。
聖人は章吾によれば「天才的な嘘つき」(14話)だそうですが、むしろ“どういう人がどんなものを見聞きすれば、どういう状況になれば他人を疑ったり恨んだりするか”を察する感覚において天才的と言うべき。清廉潔白をもってみずから任じ、自分を出来損ない息子と疎む父と、そのイエスマンである兄への積もり積もった憤懣に「こうすればひとアワふたアワ吹かせてやれるな」という“霊感”を与えたのは、自身は気づいていませんが、実は礼子。
いま現在劇中で出来している状況のほとんどは聖人の“黒い”意図的行動によるものですが、端緒には“人を疑うことに慣れていない”礼子の“白さ”がある。
人の善意・善良さが、別の人の悪意・負の感情をインスパイアし増幅させる可能性の怖さを、このドラマは見事に切り取っています。序盤の“話の小ささ狭さ”“悩んだりじたばたしたりするほどでもないことにこだわり過ぎ”と見えたのは、人物たちの情動と行動のここまでの連鎖に是非とも必要な要素だったのです。
“白”の地にぽつんと点じた芥子粒ほどの“黒”が、徐々に灰色の波紋を広げ、濃くし、大きな“黒”を喚起し覚醒させていく、言わば“白→黒わらしべ長者”ストーリー。
今後も「新たな展開を生むのは“白人物”もしくは“白部分”のほう」と肝に銘じて観るべきでしょう。
それとは別に目下の興味は、礼子の存在をツールにして父と兄の鼻をあかしてやるはずだった聖人が、本音では礼子を自分のものにしたいと思いはじめているのが、表層の出来事や台詞の応酬の下にしっかり透けて見えるようになってきているところにあります。
12話で「あんたと兄貴を別れさせようと思って(章吾と一葉の交際→別れのいきさつがわかるような仕掛けを)やったんじゃない」と礼子に弁明していますが、すでに「あんたがいないとつまんねぇ」どころか、礼子なしではいられないカラダ(?)になっていることを、嘘つきの天才・聖人がまだ自覚していないという皮肉が、このドラマのいまの“最深部”です。
昨日(16日)放送の13話で礼子のアパートを不意打ちキス後、ともに縁が薄かった親との昔話などしてしんみり盛り上がり姉弟のように清らかに眠ったあと、朝食の買い物に行くと言って出かけたまま帰らなかった(実は入れ違いに訪ねてきた章吾が礼子と抱擁するのをドア外から目撃、黙って立ち去った)聖人と、章吾の二度めの求婚に和解して再び桐生家に来た礼子が、階段をはさんで顔を合わせる場面が、14話ではなかなかよかった。
13話で仲直りの後、章吾が聖人のサングラスを礼子の卓上で発見し「聖人がここに来たのか、一晩過ごしたのか」と不審を示したときに、礼子は「ええ昨夜、バイクで転倒して怪我をして」「誤解されるようなことは何もなかったわ、私を信じないの?」と悪びれもせず。これは礼子らしいのですが、本当にきれいさっぱり“顕微鏡レベルまで無菌状態”だったら言ってもよかった「朝食の材料を買いに行くと言って、あなたがここに来るちょっと前に出かけたのよ、来るとき会わなかった?もう帰ってくる頃よ」は、実は言っていません。
“疚しいことがなければ堂々としていればいい”“私は白なのだから、人も白と見てくれるはず”と信じて疑わない礼子は、その“白さ”ゆえに、ここで再び“黒”の聖人と思わず知らず秘密を共有している。
それでも、“なぜ聖人さんはあの後、帰って来なかったのかしら”という疑問、“一緒に朝ご飯を食べるところだったことは章吾さんに知られなくてよかった、章吾さんはああいう真面目一方の人だし、聖人さんを実際以上にワルく思っているようだから、あらぬ誤解を重ねさせるもとだったわ、くわばらくわばら”という安堵は多少なりとも胸中に去来しているはずで、聖人はまたもそこを見透かすように、「今朝はこれこれこういうわけで帰らなかったんだよ」というエクスキューズをひと言もせず、“ひとつ貸しだよ”と言わんばかり薄く笑んだまま礼子から視線を外すのです。
少なくとも「唇が知っているだろう」と。ここらへんの心理の綾の描出が見事。
礼子と章吾とをつなぐ目下の絆の象徴が、鉢植え=フェアリーホワイト。
同じく聖人とをつなぐそれが、礼子養父母の唯一の形見=白天馬ペガサスのオルゴール。
どちらも“白”グッズなのも象徴的です。本当に怖いのは人間の“黒”部分ではなく、むしろ“白”部分であることをも象徴しているのかも。