山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

山形の陸上少女、ロス五輪、硫黄島

2006-12-21 21:57:34 | 郷土史
  
↑ 山形市中心部の街路  ↓ 硫黄島擂鉢山(写真は「硫黄島写真館」のHPより)
      
 山形市内のごくありふれた街路風景と話題の映画で有名な硫黄島の擂鉢山とはむろん普通は何の関係もない。
 この街路は1932年のロスアンゼルス五輪の陸上百㍍に出場した少女が毎日歩き、時々鍛錬がてら走ったであろう道である。というのも沿道に実家があったからである。この年も山形は大いに沸き返ったと私の母(故人)は語っていた。
 惜しくも彼女は予選で敗退したが、日本選手団の中には馬術で金メダルに輝き、男爵家の嫡男でもあったために欧米人から「バロン西」と呼ばれていた西竹一も居た。彼は軍人であり、後に硫黄島に赴任して米軍と戦い、壮絶な戦死(※1)を遂げた(自害説もあり)。
 山形の少女(※2)もこの頃は既に30歳近くになっていたが、後に彼の死を知ってどんな思いをしたであろうか。
 ※1 映画『硫黄島からの手紙』では伊原剛志が西中佐を演じた。
 ※2 私も以前初老の主婦となっていた彼女と短い会話を交わしたことがある。
コメント (1)
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