山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

悲劇の城跡(1)

2010-11-20 23:50:57 | 郷土史
 もう10日少し前の撮影だから、山の紅葉も既にかなり色あせ、緑の葉もだいぶ落葉しているのではないか。
 ここは国指定の史跡になっているが、この日は地元の人以外で訪れる人もいなかった。
 だが、今を去る390年ほど前までは歴然とした山城で、ここの城主は村山地方から最上地方にかけて豪勇ぶりで名を馳せ、山形城主の最上義光に刃(やいば)を振り向けていた時代もあったが、やがて山形城主から重臣中の重臣として重宝がられた武将父子の里方の居城でもあった。
 城主も豪勇だが、この城も見るからに典型的な山城で文字通りの天嶮の要塞であった。
 だが、元和8年に最上家が近江国へ改易されるとこの城主も城主としての身分を剥奪されて肥後熊本の加藤家預かりとなり、家臣たちの多くは帰農してこの山城は主人(あるじ)無しの城となった。そして、このあたり一帯が幕府直轄地となると城は完全に破却されるに至った。
 ◆問い:この山城の名と城主(父子)の名はそれぞれ何というか。
    ⇒ [回答]は次回以降

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