山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

イザベラ・バードが歩いた二連アーチ橋

2012-10-13 06:33:13 | 郷土史
 
 清掃工場の建設候補地となっている農地のすぐそばに日本の近代史を象徴する構築物がある。
 それが上山市川口地区を流れる前川にかかる明治11年3月に竣工した堅磐橋(かきわばし)である。
 むろん、明治以前の日本には石造りの橋はほとんど見られなかった。
 まさしく石造りのアーチ型の橋の建造は日本の近代化・欧風化を象徴する事象であり、堅固な石橋は重い馬車や重い建材や穀物を輸送するのに不可欠な交通インフラである。
 山形県内、特に上山市界隈にはこの種の石造りのアーチ橋(めがね橋)は数基現存する。
 しかし大半が1連だけで、2連はこの堅磐橋だけである。
 その意味だけでも堅磐橋は貴重であると言わなければならない。
 それに加えてこの橋が完成して間もなくの同年にかの有名なイザベラ・バードが通り、上山の温泉街に向かっている。
 むろん、この橋はかつての羽州街道に架けられてているから、まさしく「歴史の道」の上に架けられた「歴史の橋」である。
 しかし、・・・・(↓ 写真の下に続く)

 この堅磐橋のすぐ向こう側に武骨な外観の清掃工場が建てられたら、上の写真のような武骨でしかない景観に変貌するだろう。
 たぶん、清掃工場の建設によりこの橋までが壊されることはないであろうが、ともかく歴史的景観が壊され、ますます忘れ去られてしまうことだけは確かであろう。
 えっ、そんな歴史的景観が破壊されたって「痛くも痒くもない」って?
 それに、大気汚染の心配もないとお役所のお墨付きだから、いいではないか、という声も聞こえてきそうだ。
 だが、自然景観と歴史的景観の破壊は「日本全体をゴミのような景観」にしてしまいかねないのだ。
 現代人が量産した「ゴミ」の蔓延は同時に日本の国土全体を「ゴミ的景観」にしてしまうようだ。
 まさしく、たかがゴミ、されどゴミである。
※ 写真の清掃工場は某都道府県の某市の清掃工場

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 色気のない景観どころでなく... | トップ | ここは新宿のど真ん中 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

郷土史」カテゴリの最新記事