山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

浅井三姉妹でなく最上三姉妹(5) 竹姫

2011-02-21 23:55:34 | 郷土史
 最上家関係の系図は8通りほど知られているが、たいていは「氏家尾張守妻」として記され、「竹姫」としてではないが、最上義光の3人の娘の第一番目の位置に記されているから、あたかも長女のようであるが、実際はむしろ末娘の三女と思われる。
 長女の松尾姫は延澤城主の子息(後に城主となる)に嫁ぎ、二女の駒姫は豊臣秀次のもとに輿入れしたものの、三条河原にて秀吉により惨殺されてしまった。
 そして竹姫であるが、成沢城主の氏家尾張守に嫁いだ。
 松尾姫も竹姫も父義光の重臣の中の重臣に嫁いだわけだが、二人とも必ずしも常時それぞれの夫の居城である延澤城や成沢城に居住していたとは思えない。
 竹姫の夫の氏家氏の城は山形城に至近距離の成沢城であるが、山形城の絵図を見ると、山形城三の丸内の、しかも二の丸東大手門のすぐそば(元の県立中央病院敷地)に広大な屋敷を与えられており、竹姫もそこに住まいすることが多かったと思われる。[同じことは松尾姫の場合についても言え、延澤氏の山形屋敷も三の丸内の西北部にあった。]
 つまり、二人の姫はともに他家に嫁いだとはいえ、父が住む山形城本丸のすぐそばに住むことが多かったようである。

※写真は成沢城跡公園の旧本丸広場から望まれる山形市の中心市街地 霞城セントラルビルがひと際目立つが、その辺りは三の丸部分で、二の丸と本丸はその背後右手前方
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