山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

旧盆だ、首塚の前で鎮魂を

2009-08-13 23:53:42 | 郷土史
 今日13日が旧盆の盆の入り。
「盆の入り」に因んでの投稿というわけではないが、上山市最南端の小さな地に入ったのは先月のことで、中山地区全体が小盆地なのだが、その小盆地の中にまた小盆地のような所がある。
 盆地というからには、それなりの平地があり、昔、戦国の軍勢が駐屯するにはやはり適地といえたのかもしれない。
 現在ではのどかな農地になっているが、伊達や最上、蒲生、上杉の軍勢が駐屯したり、ほんのしばし進軍の歩を休んだこともあつたのかもしれない。
 すぐ近くには湖沼もあり、小川や地下水などの水の便もよく、それゆえ現在は豊かな農地になっているのであろう。
 だが、道路がやや暗がりにさしかかった所に「首塚」という名の慰霊碑があり、凄惨な悲劇が伝えられている場所でもあることを物語っている。
 ここは関ヶ原の戦いの最大の余波戦ともいうべき慶長出羽合戦の激戦地の近くであり、上杉軍と最上軍(上山城兵が主力)との戦いで多数の兵士たちが戦死し、その鎮魂のために後に建立されたのがこの首塚だという。
 勝利した上山軍により狩り集められた上杉兵たちの首は長谷堂城の周囲に並べられたために、それを見た直江兼続の上杉軍の将兵の士気はひどく低下したという。
 だから、この首塚には上杉兵の首が埋葬されているとは思えない。
 もし、文字通り首が埋葬されているとすれば、追撃のために上杉領内まで押し寄せた最上軍と迎撃した上杉軍との「広河原の戦い」で戦死して遺棄された最上兵の首ではなかろうか。
 ともかく、この慰霊碑(墓碑でもある)は両軍将兵の鎮魂のためのものであり、409年昔の惨劇を想起すると、霊よ安かれと祈らないではいられない。

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