前々回の記事の続きになるが、300人ほどの最上方の将兵が立て籠もって直江兼続が率いる2万人もの大軍の猛攻と立ち向かい玉砕(若干脱出した生存兵もあったとも伝えられている)したといわれる畑谷城は白鷹丘陵の臍の部分に在るが、南側の畑谷地区も北側の簗沢地区も高原の中の小盆地のため、まことに可愛らしい「おとぎの国」に浮かぶ山城といえる。
だが、ここで凄惨な殺戮が行われたことを忘れるべきでない。「愛」と「義」の直江兼続とて戦闘においては容赦しなかったことを物語る。
◆写真[上左]城跡中腹から望まれる畑谷集落。雨のため白鷹山等は見えず。[上右]本丸跡に向かう見学者たち [下左]山頂の本丸跡(好天ならば山形市街も望める)[下右]畑谷城将江口五衛光清と戦没者供養の墓(山麓の寺院境内)右手の墓石に3つの穴があるが、置賜風であり、上杉軍の犠牲者も供養しているようにも思える。