山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

スパルタ王と奥羽の関ヶ原

2009-09-14 23:44:25 | Weblog
 いよいよNHK大河ドラマ『天地人』も関ヶ原の戦いに近付いた。
 しかし、主人公の直江兼続は西の関ヶ原で戦ってはいない。
 上杉討伐のために北上した徳川軍は石田三成方が蜂起したという報を聞いて、急遽引き返し、そのまま関ヶ原方面に向かった。
 そこで直江兼続を総大将とする上杉軍は徳川軍を追撃するかわりに最上義光が城主の山形に向けて2万人以上といわれる大軍を進めた。
 直接兼続が指揮する主力軍は山形盆地に入る前に白鷹高原にある山形城の支城の畑谷城(山城)を攻撃したが、籠城していたわずか300人余の最上軍の将兵たちは大軍の猛攻により玉砕したと伝えられている。
 畑谷城を突破した上杉軍は山形盆地に下ると、山形城攻撃の前に最上方の長谷堂城の攻撃を始めたが、長谷堂城をめぐる戦いは10日間以上にも及んだ。
 奥羽の関ヶ原とは長谷堂合戦を中心とした一連の戦いのことである。
 最近はその『天地人』効果で、県外からもかなりの観光客が畑谷城址を訪れるようになったが、私も先日ミニ・ツァーで本丸跡がある山頂まで訪れた。
 そこで、古代ギリシァの詩文とそっくりな詩文が刻まれた碑を見つけて驚いた。
「旅人よ行きて伝えよ、ラケダイモンの人々に、我等命に服してここに伏すと」
 ラケダイモンとは古代ギリシァの都市国家スパルタのことである。
 紀元前5世紀に強大なペルシァ帝国がギリシァに大規模な攻撃をかけたが、狭隘な地形のテルモピュライ(テルモピレー)にてスパルタ王レオニダスが率いるわずか300人からなるスパルタのファランクス(重装歩兵密集隊)がペルシャの大軍との奮戦空しくレオニダス王を始めとして全員が玉砕した。
 上の詩文はその故事を詠んだものである。
 スパルタ軍の戦死者は約300人。
 同じく玉砕した畑谷城の最上軍も約300人であった。
 さて、畑谷城跡の本丸に立つ石柱の碑文は以下の通りである。
「旅人よゆきて伝えよ最上のために戦いたおれし者を」
◎写真[左上]スパルタ王レオニダスと武将(映画より)[左下]畑谷城跡の丘陵「右」畑谷城跡本丸に立つ詩碑
コメント
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