山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

おとぎの国に立つ玉砕の山城

2009-09-17 12:12:42 | 郷土史
 
 前々回の記事の続きになるが、300人ほどの最上方の将兵が立て籠もって直江兼続が率いる2万人もの大軍の猛攻と立ち向かい玉砕(若干脱出した生存兵もあったとも伝えられている)したといわれる畑谷城は白鷹丘陵の臍の部分に在るが、南側の畑谷地区も北側の簗沢地区も高原の中の小盆地のため、まことに可愛らしい「おとぎの国」に浮かぶ山城といえる。
 だが、ここで凄惨な殺戮が行われたことを忘れるべきでない。「愛」と「義」の直江兼続とて戦闘においては容赦しなかったことを物語る。
 ◆写真[上左]城跡中腹から望まれる畑谷集落。雨のため白鷹山等は見えず。[上右]本丸跡に向かう見学者たち [下左]山頂の本丸跡(好天ならば山形市街も望める)[下右]畑谷城将江口五衛光清と戦没者供養の墓(山麓の寺院境内)右手の墓石に3つの穴があるが、置賜風であり、上杉軍の犠牲者も供養しているようにも思える。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スパルタ王と奥羽の関ヶ原 | トップ | 歴史スポット巡り依存症の勧め »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

郷土史」カテゴリの最新記事