お知らせ
メール(reimei.nakayama@gmail.com)またはお電話(059-255-1123)で、れいめい塾まで『内申の件で』とご連絡ください。
明日奈がふいに俺に尋ねる。「11期生にYさんていますか」 「ああ、Yちゃんね、おったよ。なんで?」 「私たちの中学の先生なんです」 「えっ! Yちゃん、中学の先生になったんや」 「Y先生、塾のブログを見てるとかで、そこに私が出てくるんで、明日菜ちゃん、れいめい塾に通ってるんや・・・って言われて」 「そっか、懐かしいねえ」
しばらく懐かしい話となる。かつての生徒がいまの塾生たちに尋ねる質問はほぼ3つに絞られる。
一つ・・・まだタバコを吸っているか?
二つ・・・酒を飲んで帰ってきては暴れているか?
三つ・・・塾の教室の机やイスはまだガタガタか?
一つ目の質問、まだタバコは吸っている・・・全盛期に比べたら本数は減ったが。二つ目、酒を飲んでも最近では弱くなり、すぐに寝てしまう。いたって平和だ。そして三つ目、今もガタガタ。なにせ儲からない塾だ。備品に金をかけるくらいなら講師にかける。しかし昔のように3階の窓から机を下の駐車場に向けて放ったりはしない、イスも投げなくなった。嫌になるくらい平和なのだ。
これは勇希(8期生・消防)からの紹介者の方からの質問・・・昔と変わらない塾なのか・・・にリンクする。本人は変ってないつもりだが、困ったことに年を食って元気じゃなくなったわけだ。
今日も諮問試験・・・陸人だ。ちなみに3期生の智洋(日産部品)の長男だ。
大西君(岡山大安寺れいめい塾塾頭)がやって来たとの記事に反応したのか・・・
龍神(17期生)と太郎(9期生・東海理化)が登場する。
そして大西君は最期の授業・・・高2対象の古典の授業に入った。
それにしてもYちゃん、おめでとう。晴れて中学の先生か・・・いやあ、一度会いたいねえ。
午後6時から大西君(岡山大安寺れいめい塾塾頭)の授業が始まる。今日はずっと授業が続く。
そして中学生の部屋だが・・・
静かなものだ。危険な時間帯が過ぎた7月、見事に緩む。別に悪くはない。中間試験から期末にかけてそれだけの勉強をした。精一杯緩めばいい。
中1のなかで一人、6月15日を最後に塾に来ていない生徒がいる。何度も勉強の方法について話した。基本的な動作、例えば字が汚いからきれいに書くようにとか、英単語は何度も音読、何度も手を動かすようにとかの類だ。しかし、あまり変わった様子はなく、点数もまたよくはなかった。起死回生とばかりに期末にかける意気込みもまた話したつもりだったが、危険な時間帯に対する認識はなく、塾への出席もまた滞った。
塾に姿を見せなくなってほぼひと月、俺、あるいは塾が見限られたかもしれない。己の無力さを痛感するいっぽうで、いろんな方からオファーをいただく昨今、残念ながら塾を辞めたということにさせていただきます。
今日はお袋が亡くなってからちょうど1年・・・こんな時にブログは便利だ。あの日のことを思い出したい時にはブログを読むことで鮮やかに蘇る。
亡くなる前日のブログにお袋が家に帰ることを断念したことが描かれている。そして翌朝、俺は確かほぼ完徹の状態で病院に行き、親父や奥さんを家に帰して俺一人でベッドに座って本を読んでいた。一挙に数値が下がり、看護師さんがやって来る。「お袋!」と叫び続けるものの、背中を優しく叩かれ振り向くと沈痛な表情の看護師さんたち。計器の数値は生の鼓動を停止していた。俺一人のときに逝くなよな・・・なにか大きな宿題を与えられたような気分で皆に連絡した。
それが正午前・・・その時刻には実家のお袋の位牌の前にいなくっちゃ、そんな気分で海浜公園を後にした。
「廉君はサッカーをしてても塾でいるときと同じようね」と奥さん。遠くからでも球を追う動きだけで廉と分かったそうな」
しかし軽い熱中症か・・・プリウスを運転しているときから体調が悪く、『ぎゅーとら』で花を買っている間もずっと運転席で寝ていた。実家に戻ってからもお袋と対話するどころかソファーに身体を横たえていた。いつしか肝心な時間は過ぎている・・・いいかげんなもんだ。
懸念だったトレーの交換、それも一挙に3台。汗まみれになってなんとか完成、それから東中へ。奥さんを中川駅へ送る前に寄ったがまだ久居西と南が丘・・・前の試合だ。それから奥さんを送り、塾に戻って汗まみれの作業。今度は・・・試合が同点のまま終わったようでPK戦が始まるところだ。
今夜は家でゆっくり休養をとればいい。
去年の今日の今頃・・・斎奉閣で葬式の準備で大変やったな。
ちょうど今、大西君(岡山大安寺れいめい塾塾頭)登場。