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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

年寄りの冷や水

2013-07-21 | 地元紹介

今日は第23回参議院選挙の投票日です。
投票時間は午前7時から午後8時までなので、お出かけ前に必ず投票しましょうね。

さて、私は殆ど毎日、早朝5時頃から自宅の周りの1周約1㎞の周回コースを45分~50分かけて7周走る健康ジョギングをしています。
月間走行距離は140㎞~150㎞になりますが、半年継続しても1年経っても落ちたスタミナは戻らず、それどころか、腰痛が出てきたり、疲れが数日残ったりと、歳と共に体力の低下を痛感しています。
それでも日課の一つとして続けていますが、無理をしてこれが原因で健康を害すると、「年寄りの冷や水」と笑われそうです。

そこで今日は笑われる前に、「年寄りの冷や水」についてその由来を調べました。

「年寄りの冷や水」とは、「老人が年齢に相応しくない危うい振舞いをすること」とか「老人が出過ぎた振舞いをすること」を例えた諺ですが、この「冷や水」とは、江戸時代にいた“水売り”という職業が売っていた水のことだそうです。

当時、水売りは「氷水あがらんか、ひゃっこい。汲み立てあがらんか、ひゃっこい!」という売り声で、飲料水や、冷たい水に白玉と砂糖を入れたものを売り歩いていたそうです。
この冷や水を老人が好んで飲んだと言われていますが、この水は実は隅田川の水で、「隅田川の水はまん中がきれいだ」と言ってこの水を売っていたのだそうです。

しかし、なにぶんにも隅田川の水なのでそれほど清潔とはいえず、若者はともかく、からだの抵抗力が弱った年寄りはおなかをこわすことが多かったようで、そこから年寄りが年甲斐もなく冷たい水を飲む事を言う、「年寄りの冷や水」と言う諺が生れたそうです。

私のジョギングも「年寄りの冷や水」と言われないために、無理をせず、健康に気をつけて続けたいと思っています。


どんぶり勘定

2013-07-20 | 雑学

「どんぶり勘定」と言う言葉をご存知だと思いますが、今日はその語源について調べました。

「丼勘定 (どんぶりかんじょう)」とは、細かく計算などをしないで、おおまかに金の出し入れをすることです。
『丼勘定』 の「丼」は、丼鉢の「丼」ではなく、職人がつける「腹掛け」の前部分にある大きなポケット状の物入れのことで、これを“どんぶり”と言うのだそうです。
この中に、お金を入れて、店の主人が【無造作にお金を出し入れしていたこと】から「大まかな会計」を『丼勘定』と言うようになりました。

私は「天丼」や「かつ丼」などの“丼鉢”を想像していましたが、これは間違いだったようです。

昔は、個人商店などは丼勘定が多かったようですが、現在ではどんな小さなお店でも会計ソフトを使用して帳簿をつけ、青色申告をしていると思うので、その内この言葉も死語になるかも知れません。
否、なって欲しいものです。


ゴーヤ栽培

2013-07-19 | 家庭菜園

我が家のゴーヤが漸く収穫時期を迎えました。

今年は強風に煽られて蔓がネットに叩きつけられて傷んだり、ネットを張っている棚が倒れそうになるなど散々な状態でしたが、梅雨明け以降は順調に生育し、漸く収獲が見込めるまでにこぎつけました。

・これは6月8日に50㎝ほどになったゴーヤです。


上記から数日後に蔓を這わすための棚作りを行いました。



棚は完成しましたが、この頃は雨が少なく、畝がカラカラに乾燥していたため、生育が相当遅れました。



そして、7月3日~5日にかけて熊取地方は連日強風に見舞われたことから、倒壊寸前になったゴーヤの棚です。



強風の中、支柱を打ち込み直し、竹を斜交(はすか)いに打ち込んで補修をしました。


そして漸く収穫にこぎつけたゴーヤの棚です。
農作業で疲れた時にはこの棚の下で休憩すると涼しいのですが、蚊が多いので蚊取り線香が欠かせません。
ゴーヤやブドウなど、棚から果実がぶら下がる風景は何となく心が落ち着くので、私の好きな場所の一つです。






ナタマメ(鉈豆)

2013-07-18 | 家庭菜園

今日は珍しい野菜「ナタマメ(鉈豆)」をご紹介します。

ナタマメ(鉈豆)はマメ科の一年草で、刀豆(トウズ、タチマメ、ナタマメ)、帯刀(タテハキ)とも呼ばれています。
原産地は熱帯アジア、西インド諸島から中米で、日本には江戸時代に渡来しました。
国内での主な産地は中国、四国、九州地方と言われています。

・知り合いから頂いた4個の種豆を植えたところ、このように蔓を伸ばしてきました。


蔓(つる)は高さが6メートルにもなり、童話「ジャックと豆の木」のモデルになった植物と言われています。
名前の由来は30㎝から40㎝になった莢が「鉈(なた)」のような形をしているところからつけられたようです。

・丁度今、花が咲いており、終わった花には実がつき始めたところです。


この「ナタマメ」の若莢を輪切りにして醤油で漬け込んだものがは福神漬に使われており、これがたくさん入っているほうが高級な福神漬だそうです。

・長さ10㎝ほどになったナタマメの若莢です。


ナタマメは以前より漢方薬として知られており、世界中で医薬品としても利用されているそうです。
排膿、消炎作用が強力で、膿が溜まったときの民間の薬として、また滋養強壮の薬として用いられ、体液、血液の浄化作用もあるそうです。
特に歯槽膿漏、鼻炎、蓄膿症、歯肉炎、痔、化膿性の湿疹、アトピー性皮膚炎、扁桃腺炎、膝通、関節痛などに有効であるほか、血圧や腎臓の回復、花粉症にも効果があると言われています。


堂々巡り

2013-07-17 | 雑学

国会の本会議で、各議員が演壇上の投票箱に投票して戻って来る票決方法を俗に「堂々巡り」と言います。
この堂々と言う言葉は、広辞苑によれば、「容儀などのいかめしく立派なさま」、「つつみかくしのないさま」等の意味と説明し、「威風堂々」とか「正正堂々」などの言葉で使用されています。
ところがこれに「巡り」がついて「堂々巡り」になると、「考えや議論などが同じことを繰り返して進展しないこと」の意味になります。

今日はこの「堂々巡り」の語源について調べました。

「堂々巡り」とは、一説には、僧侶などが祈願や儀式のために、経を唱えながら神社や寺の堂のまわりをまわることを言いました。
そして、このぐるぐるまわる様子を江戸時代頃、子供達がまねて遊んだのだそうです。
長い列を作って、柱などをぐるぐるまわってぞろぞろ歩いたり、輪になって同じ箇所をぐるぐる廻ったりしていることから、「先へ進まないこと」を意味するようになりました。

他説では、昔、中国に二人の拳法の達人がいたそうです。
一人の名は「堂虎」 もう一人は「堂高」と言い、どちらも天下無敵と呼ばれるほど強かったそうです。
しかし、二人とも苗字が同じ「堂」であったことから、お互いに意識し合ってライバル視し、また周りの人々ももどちらが強いのかを噂するようになりました。
そして二人とも拳法家であったことから、当然のように「堂」と「堂」の二人は得意の拳法で勝負することとなりました。
しかし、三日に渡っても双方譲らず、結局勝敗はつかなかったと言います。
そしてそれ以降も両者の争いは続いたと言われ、そこから勝負がつかない、いつまでも同じことを繰り返すことを堂々巡りというようになったとする説もあります。

なお、「正正堂堂」は、「孫子の兵法」にある「正正の旗、堂堂の陣」であるらしいです。
「正正の旗」とは、高らかな経営理念やスローガンを掲げて進む、攻めに強い組織のことです。
そして「堂堂の陣」とは、基本を重視する団結した、守りに強い組織で、「勝つため」には両方の条件を備えた組織が必要であると説いており、ここからできた言葉が「正正堂堂」だというものです。

 


水掛け論の由来

2013-07-16 | 雑学

「水掛け論」という言葉があります。
意味はご存知のように、「双方が互いの理屈を言い張って争うこと」ですが、言い張ることが何故、水掛けなのか?
そこでその由来を調べました。

実は、この言葉は、実際に水のかけ合いをする「水掛聟”(みずかけむこ)」という狂言が由来と言われています。

「水掛聟(みずかけむこ)」とは、日照りが続いたある日、隣り合わせの田を持つ舅(しゅうと)と婿(むこ)が自分の田に水を引こうとして口論になり、いつまでも言い争った挙句、互いの顔に水を掛け合いました。
舅の娘で夫の配偶者である妻が仲裁に入りますが、最後は婿である夫と一緒になって父である舅を突き倒して終わると言う話なのだそうです。

一説には水掛け合いのように勝敗が決まらない論争の意味から「水かけ論」と言う言葉が生まれ、その後、「水掛け婿」の話が作られたとも言われていますが、さて、どちらが先なのか、これも水掛け論になりそうです。



棒に振る

2013-07-15 | 雑学

7月12日に、兵庫県宝塚市役所の1階で火炎瓶による放火事件が発生しました。
放火したのは、市から税金滞納の督促を受けたことに不満を持ち、市税課にクレームに来ていた高橋容疑者(63)です。

彼は税金滞納の原因が自分にあることを棚に上げ、市役所を逆恨みしてクレームをつけ、受け入れられないとなると放火するという、余りにも身勝手で悪質な犯罪を起こしました。
これにより、彼はこれまでの自分の人生を「棒に振って」しまいました。

さて、今日はその「棒に振る」の由来について調べる事にしました。

棒に振るとは、今までの努力や苦心を無にすることですが、その由来は、『棒手振り(ぼてふり)』からのようです。
「棒手振り」とは、お店を構えることが出来ない商人が、天秤棒を担いで品物を売り歩く「行商人」のことです。
行商だから全てを売り尽くすことが基本ですが、全部売り払っても、規模も小さく、値切られてあまり利益が上がりません。
そこで、「あまり得をしなかった様子」を例えて、「棒手振り」から「棒に振る」という言葉ができ、「全て売り尽くす」が「全て無くなる」という意味になったと考えられているようです。

昨日のニュースで、放火による宝塚市役所の損害は1億4700万円と言われており、高橋容疑者にはこの損害の賠償義務が生じます。
63歳の大人が、自分の人生を棒に振ってまで放火しなければならないような事案だったのでしょうか?
短絡的で、真に愚かで情けない犯行です。


「牝牡驪黄(ひんぼれいおう)」

2013-07-14 | 雑学

参議院選挙まであと1週間となりました。
毎回そうですが、今回の選挙でも各党、各候補者は耳触りのよい公約を訴えています。
それに飛びついて失敗したのが4年前の衆議院選挙でした。
私たち有権者はそのような甘い公約に飛び付くのではなく、日本の発展と安全・安心な社会をどのように方向付けしてくれるのか、公約の本質をよく見抜いたうえで投票したいものです。

そこで今日は、本質とは離れた、物事のうわべをさす中国故事に「牝牡驪黄(ひんぼれいおう)」がありますのでご紹介します。

秦の第9代公・穆公(ぼくこう)はある時、駿馬を1頭手に入れたいと思い、目利きで知られている伯楽(はくらく=馬の鑑定士)を呼び出しました。
伯楽は「王様、私はもう年を老いすぎて、駿馬を見分けるだけの自信がございません。私の友人の九方皐(きゅうほうこう)はどうでしょうか?
     馬については、私よりも詳しい者です。必ずや駿馬を発見してくることでしょう」と申し出ました。
王様は伯楽の意見を取り入れ、伯楽の友人の九方皐(きゅうほうこう)に依頼したそうです。

そして3ヶ月後、九方皐(きゅうほうこう)が帰ってきたので、王様はさっそく使いをやりました。
「どうじゃ、いい馬は見つかったか?」「黄色い牝馬が見つかりました」王様はそれを聞きうれしくなってすぐに馬を見に行かせましたが、九方皐(きゅうほうこう)が連れてきたのは、黄色い牝馬ではなく、黒毛の牡馬でした。

王様はむっとして伯楽に「おまえはなぜ、あんな馬鹿なやつを紹介したのだ。あいつは、馬の色やオスメスさえも区別がつかんようだぞ」と言いました。
伯楽は「王様、それこそがあいつが優れているところです。」
     「あいつは馬を見るとき、あまりに馬の風格、品格などの本質ばかりを見るので、うわべのことなど気にしないのです。」
     「その証拠に、あいつの鑑定は完璧です」と言いました。
しかし、王様は信じられず、実際にその馬に乗ってみることにしました。
すると、その足は他の馬の何倍も速く、いくら乗り回しても疲れることを知らない、まさに名馬でした。

この故事から、本質とは離れた、物事のうわべをさす、『牝牡驪黄(ひんぼれいおう)』と言う諺ができたそうです。
なお、「牝牡驪黄」の「牝牡(ひんぼ)」はメスとオス、「驪黄(れいおう)」は黒馬と黄色です。


はなむけ

2013-07-13 | 雑学

〽 晴れの門出の はなむけに
  唄に踊りに 手拍子を
  今日はめでたい 心の船出
  辛いこの世の 荒波越えて
  ドンと漕ぎ出す 祝い船

ご存知門脇陸男の祝い船の歌詞です。
今日はこの歌詞に出てくる「はなむけ」の語源について調べました。

“はなむけ”は「旅立ちや門出を祝って別れて行く人に金品、詩歌、言葉などを贈ることですが、この“はな”は、実は「馬の鼻」のことなのです。

昔、日本では、送別の際、旅立つ人が、無事であることを願い、その人の馬の鼻を目的地の方へ向けたのだそうです。
「鼻」を「向ける」ことから「はなむけ」となりました。
従って、「はなむけ」は、元々、「送別」で使われていた言葉なので、入学式など「迎え入れる」場面には相応しくない言葉なのです。

では、結婚式ではどうでしょうか?
「二人にとって門出」、「新たな出発」と考えると、間違いとは言い切れないようですが、ただ、元々が「送別」で使われる言葉なので違和感を感じる人もいるようであり、気を付けた方がいいと言われています。

しかし、歌詞にもあるよう、次第ににめでたい場面で使用される言葉となってきているようですね。


だらしない

2013-07-12 | 雑学

指導していた大学の女子柔道部員を合宿先のホテルで、準強姦(ごうかん)した、アテネ、北京両五輪の金メダリスト・内柴正人被告を始め、指導実態がないのに日本スポーツ振興センターからの助成を受けていた全日本柔道連盟の指導者たち。
詐欺的な行為にも拘らず、上村会長を始めとする上層部にはその意識が全くなく、保身行為に走るのみで反省もない体たらくです。

内村被告のように女性にだらしない人や、柔道連盟の役員のようにカネや役職に固執するだけのだらしない人たち、柔道に限らず公務員や一流企業に至るまで、現在の日本には「だらしなさ」が目立ちます。
そこで今日は「だらしない」の語源について調べました。

“だらしない”とは【きちんとしていない・締まりがない】ことですが、この言葉は「しだらない」が変化したのではないか、と言われています。

しだらとは【好ましくない状況】のことで、“自堕落”が転化したともいわれています。
これに強調の意味の“ない”がついて「しだらない」となって【締まりがなく、秩序がないこと】をいい、「しだらない」が「だらしない」に変わったと言われています。

さて、冒頭の柔道は、「道」を究める日本発祥の代表的なスポーツです。
「道」とは、人として守るべき条理、即ち道理・道徳です。
人生経験のある指導者たちがこのような倫理観も自ら律する能力もない、だらしない人間であれば組織の存在価値が問われることになります。
上村会長は2013年内での全柔連会長職退任を発表しましたが、時期を明確にしていません。
会長を始めとする役員は即刻退任し、総入れ替えして新しい役員の下で出直すべきではないでしょうか?