先日、梨の袋掛けをしました。
今年は、昨年の失敗を生かし、且つ、実家が鳥取で梨栽培をしているという知人のSさんから教えていただいた“残す幼果の間隔30㎝”を目安に摘果し、袋掛けを行いました。
「我が家のナシ栽培」
我が家では「二十世紀」と「豊水」の2品種を互いの受粉用として栽培していますが、植え付けから5年になる梨の木には、共に花後の幼果がたくさん付き、その摘果作業に相当の時間を要することとなりました。
また、病害虫の予防が遅れたことから、赤星病が発生して枯葉や落葉が目立つ見苦しい梨の木となっています。
・これは直径3㎝ほどに成長した豊水の幼果です。
上の画像で、左の幼果の左右にある葉は黄色の斑点やイソギンチャクのようなものがついていますが、これが赤星病です。これが出るとこの葉は枯れてきます。
葉が枯れると幼果の肥大にに影響するので、今年の収穫は余り期待できないのではないかと思っているところです。
読者のみなさんは「穴があったら入りたい」と云う恥ずかしい思いをしたことはありませんか?
私はこのような罰の悪い思いをしたことが何回かあります。
この諺はよくご存じのように、「身の置き所がなく、そこに穴があったら入って隠れてしまいたいほど、恥ずかしくてたまらない」と云う意味ですよね。
意味は知っていても、その由来が分からないことが多々あります。
そこで今日はこの諺の出典を調べることにしました。
この諺の出典は、中国・前漢時代の政治思想家・文章家である賈誼(かぎ:紀元前200~紀元前168年)がまとめた新書からのようです。
それによれば、魯(ろ)の国の単父(ぜんぽ)と云う町に斉(せい)の国が攻めてくることを知った魯(ろ)の地方領主の季孫(きそん)は、町長である宓子(ふくし)に、実った麦を奪われないように全員で町中の麦を急いで刈り取るように命じました。
しかし、町長の宓子(ふくし)がその通りにしなかったために、麦はまんまと敵に取られてしまいました。
領主の季孫(きそん)は怒ってその事を詰問すると、宓子(ふくし)は『今まで畑仕事をサボっていたような者にまで麦を刈り取らせたら、また敵が攻めてくればよいと思うようになる。麦は来年蒔けばまた収穫できるが、曲げてしまった気持ちはなかなか直せないものです』と答えました。
それを聞いた領主の季孫(きそん)は自分の浅はかさを恥じて、「穴があったら入りたい程恥ずかしい」と云ったと言います。
この事が元となって生まれたのがこの諺だそうです。
最近、生活保護世帯の不正受給が問題となりましたが、2,200年前の中国にこのような素晴らしい考えを持っていた人がいたことを思うと、現在の日本人の生活の豊かさとは裏腹に精神の荒廃が嘆かわしい限りです。
近年、大阪・泉州の水ナスが泉州特産品として全国的に知られてきているようです。
産地の泉佐野市や貝塚市の生産農家では水ナスに傷がつかないように細心の注意を払いながら栽培してます。
水なすには多くの品種があって、泉州水ナスは泉南地区に限定されて生産・消費されていた在来種で、夏に畑で農作業をしていて、喉が乾いたときにはこの茄子を食べて、のどの渇きをいやしたといわれるほどジューシーなナスです。
泉州の気候風土や食習慣、生活実態に対応して育成されたものと思われ、江戸時代初期には栽培されていたと伝えられています。
その水ナス栽培に今年初めて挑戦することにしましたのでご紹介します。
趣味の家庭菜園で野菜を栽培している私は、今年のナス栽培では水ナス2本、長ナス4本、それに白茄子4本の3種を植え付けました。
・これが初めて植え付けた2本の水ナスの株です。
「水ナスの発祥地」
水ナスの由来ははっきりとわかっていないようですが、室町時代の書物に水なすの元になったと思われる「澤茄子」の記述があって、貝塚市沢周辺が発祥の地ではないかと考えられているようです。
しかし、他の説もあって、泉佐野市に残る「日根野あずきに上之郷なす」の諺から、泉佐野市上之郷周辺が発祥とも言われており、大阪府の運営するホームページでは泉佐野市上之郷地区を発祥の地として紹介しています。
いずれが発祥地かは定かではないものの、泉州地方というのは間違いないようです。
・今年4個目の水ナスです。
専業農家が栽培している水ナスは柔らかくて、強く握れば水が滴り落ちるような、水分をたっぷり含んだな柔らかいナスですが、それには、常に畝の周りの水が無くならないように管理しなければならないようです。
家庭菜園ではそのような栽培は無理なので、少なくとも乾燥防止のための敷き藁を株元に敷き、毎日灌水をして、常に畝が湿っている状態を保つように心掛けています。
その結果、販売されているような柔らかいものは出来ないまでも、色艶の良い水ナスを実りらせることができました。
・これが昨日収穫した水ナスです。
食べ方は人にもよりますが、ぬか漬け1日だけの所謂、浅漬けが一番美味しいように思います。
今日は今年のスイカ栽培をご紹介します。
「土作り」
毎年スイカを栽培していますが美味しいスイカができません。
そこで、懇意にしている地元の農家の人に美味しいスカイの作り方を尋ねたところ、スイカ栽培は土作りが重要であり、地元では米ぬかを利用していると聞き、定植の1ヶ月くらい前に米ぬかや油粕、配合肥料などを早めに施肥して畝を作りました。
「植え付け」
今年は4本の苗を植え付けたところ、その内の2本が5月の日照りで枯れ、改めて2本の苗を植えました。
このため、最初の2本は既にスイカが実っていますが、後から植えた苗は漸く花が咲き始めたところです。
・これは後から植えた苗に咲いた雌花です。花の下に幼果があります。
「人工受粉」
雌花と雄花の違いは、幼果が有る無しも然(さ)ることながら、蕊(しべ)も雄蕊と雌蕊はこのように違っているので、花を見れば区別がつきます。
雄花(左の花)の花粉を雌花(右の花)に人工受粉して成功すれば3~4日で幼果が肥大化しますが、受粉が成功しないと幼果は落果します。
・左が雄花、右が雌花です。
「収穫目安」
最初に植えた2本の苗はこのように蔓が延び、既に4個のスイカが実っています。
私は収穫時期を把握するため、ピンポン玉くらいの大きさになった時の日付を表示し、その日から35日後くらいを収穫の目安としています。
・このスイカは受粉から10日ほど経過したもので、直径20㎝ほどに成長しています。
「防水・防獣対策」
私の畑では、田植えをした田んぼからモグラの穴を通して水が漏れてくるので、一昨年から高さ30㎝の塩化ビニールのフィルムを畝の周りに張って畝への防水対策としています。
更に、アライグマ対策として畝全体を防獣網で囲っています。
・防水・防獣対策をしたスイカの畝です。
(参考)
「野菜と果物の区分」
ところでスイカは果物でしょうか? それとも野菜でしょうか?
農林水産省における野菜と果物の分類について調べたとこと、同省の分類では次のように定義しています。
・「野菜」とは、食用に供し得る草本性の植物で、加工の程度の低いまま利用されるものをいいます。
・「果実」は統計上果樹として分類しており、永年作物などの木本類を言います。
簡単に言えば、
「野菜」とは、種を蒔いた後1年で花を咲かせ、その後枯れる1年草本類を言い、
「果実」とは、木や蔓のまま何年も成長する多年生の木本類の果実を言います。
この分類に従えば、メロン、スイカ、イチゴは野菜となりますが、農水省では果実的野菜としています。
昨日、オウム真理教の最後の特別手配者、高橋克也容疑者が東京・西蒲田の漫画喫茶で逮捕されました。
これでオウム真理教の3人の特別手配者は全員逮捕されてことになり、地下鉄サリン事件の真相解明が更に進むことが期待されています。
高橋容疑者が逮捕されるまで、連日“高橋”容疑者がマスコミを通じて報じられており、全国で約1,416,000人の高橋さんは嫌な想いをされたのではないでしょうか?
高橋さんは全国の名字ランキングで佐藤さん、鈴木さんに次いで3番目に多いのようです。
そこで今日は名字ランキング10を調べてみました。(2010年現在:ウィキペディア、国内に多い名字より)
(ランクと全国分布はウィキペディア、人口と始祖は別のHPを参照しました)
ランク 姓 人口 始祖
全国分布
1.佐藤 約1,928,000人 藤原秀郷の後裔、左衛門尉公清が佐藤を称するに始まる。
北海道・東北地方をはじめとする東日本(特に秋田県)や東九州に多い名字で、関西圏では大阪府・兵庫県を除きそれほど多くはない。
2.鈴木 約1,707,000人 物部氏族穂積氏の後裔、紀伊国熊野の豪族で熊野神社勧請で広まる。
愛知県・静岡県及び南関東・東北地方に多い。南関東のランキングでは1位。発祥地は和歌山県海南市だが、西日本にはさほど多くはない。
3.高橋 約1,416,000人 物部氏族の高橋連、伊勢神宮祠官、弥彦大宮司など全国的に諸流多し。
この名字も東北地方をはじめ東日本(とくに岩手県の北上市周辺)や中国・四国地方に多い傾向がある。
4.渡辺 約1,135,000人 嵯峨源氏、源融四世の孫、渡辺綱の後裔。摂津国西成郡渡辺発祥
発祥地は大阪市中央区で、沖縄県を除く全国に満遍なく分布するが、密度は山梨県や静岡県など東日本南部または中京・九州地方に多い。
5.田中 約1,336,000人 蘇我氏族の田中臣、清和源氏、桓武平氏、藤原氏、橘氏などの諸流多し。
全国満遍なく分布し、大半の都道府県で上位にランクされるが、密度では西日本(沖縄県を除く)の方が多い。大阪府・山陰地方・福岡県のランキングでは1位で
あり、西日本全体でも1位を誇る。東日本では埼玉県入間・比企地域、や甲信越地方、特に長野県や北海道では密度が高い。
6.伊藤 約1,080,000人 藤原秀郷の後裔、佐藤公清の曾孫基景が伊勢に住み称したのに始まる
中京地方及び東北地方・関東地方・近畿地方・山陰地方に多い。件数は愛知県が最も多いが、密度では三重県の方が多い。
7.山本 約1,077,000人 賀茂社神職家、清和源氏、桓武平氏、藤原氏、日下部氏など諸流多し
どちらかといえば西日本に多い。北陸地方、山陽地方では1位、近畿地方、山陰地方では2位。東日本でも埼玉県や静岡県では上位にランクされるが、東北地方は
多くない。
8.中村 約1,058,000人 中村連、清和源氏、宇多源氏、桓武平氏、藤原氏など諸流多し
全国に分布するどちらかといえば西日本に多い。特に近畿地方近畿地方・九州地方に多い。
9.小林 約1,019,000人 大神姓、清和源氏、桓武平氏、藤原氏秀郷流など、神官系が多い。
関東・信越・近畿地方・中国地方に多い。
10.斉藤 約980,000人 藤原利仁の子、斎宮頭叙用が斎藤を称するに始まる。
11位からは加藤、吉田、山田、佐々木、山口と続いています。
名字ランク上位10位までの名字は確かに多いように思います。
現役の頃、転勤を十数回繰り返しましたが、各職場において10位までの名字の人が必ず数人はいました。
この人達の始祖を見ると、遥か古の昔から続く謂れある名字であることから、現在それらの姓を名乗る人が多いのも当然と言えば当然かも知れません。
テレビドラマを観ていると台詞の中で「がせねた」という言葉が出てくる場合があります。
特に刑事ドラマではよく耳にするのではないでしょうか?
この言葉はご存知のように「でたらめ情報」などの意味で使われていますが、何故そうなのか、今日はその語源を調べました。
「がせねた」は、露天商や盗人仲間の隠語として生まれた言葉だそうです。
「人騒がせ」「お騒がせ」の前半が省略された「がせ」と、【商品、材料】を意味する「種」を後ろから逆さに読んだ「ねた」が組み合わさり、“本物ではない人騒がせな物”と云うことから【でたらめの情報、いんちき商品】という意味になったと考えられているそうです。
このように言葉を省略したり後ろから逆さに読んで作られた隠語の中には、「だふ屋(札屋)」「とうしろう(素人)」「げん担ぎ(縁起担ぎ)」など、既に一般に定着している言葉もあります。
刑事を「でか」と言うのも、明治時代、盗人仲間が内々でそう呼んでいたことに由来するそうです。
即ち、その元となったのが、当時の刑事が着ていた「角袖(かくそで)」と呼ばれる、袖を四角く仕立てた和服です。
スリなどの捜査にあたる場合、制服では警官と一目でばれて都合が悪いので、庶民に紛れる意味から和服だったようですが、そのため刑事は「角袖巡査」又は略して「角袖」と呼ばれていました。
これを後ろから逆さに読んで「でそくか」、さらに真ん中を略して「でか」となり、戦後に一般化したと言われています。
このような隠語は、特定の集団や仲間内だけで通じるように仲間以外には内容を隠したり、仲間意識を高めるためにと生み出された言葉ですが、今では一般化して違和感なく普通に使われているようです。
先日の新聞に、“自殺者が14年連続3万人を超す”という痛ましい見出しが載っていました。
報道によれば、2011年の自殺者数は2010年に比べ1039人減少したものの3万651人で、14年連続3万人を超えたということです。
男女別では男性が1328人減の2万955人、女性が289人増の9696人となっています。
そして年齢別では、60歳代が5547人で最も多く18・1%を占め、次いで50歳代が5375人、40歳代は5053人の順となっています。
また職業別では、無職が1万8074人(前年比3・2%減)で6割近くを占めており、自営業・家事従業者、被用者・勤め人は前年比で減少しましたが、学生・生徒らは1029人で10・9%の大幅増となったそうです。
遺書などから原因・動機が判明したのは2万2581人で、「健康問題」が最も多くて1万4621人(前年比7・5%減)、次いで「経済・生活問題」が6406人(前年比13・9%減)と減少していますが、逆に「家庭問題」は4547人(同1・1%増)、「学校問題」が429人(同15・6%増)と増加しています。
都道府県で最も多いのは東京都の3100人、次いで大阪府が1899人、神奈川県が1824人と続き、逆に自殺者数が最も少なかったのは徳島県の150人となっています。
3万651人と云う自殺者数は、1日平均でおよそ84人が自殺に追い込まれている計算になり、本人、家族だけでなく、社会全体にとって放置できない事態と言えます。
自殺した人の7割が死ぬ前に相談機関を訪れていたという調査結果もあるそうです。
相談体制の拡充やメンタルヘルス(精神的健康)の問題にも政府や行政が積極的に対応することが求められています。
今日はトマトの防鳥網張りについてご紹介します。
今年のトマト栽培は、初めての畝に植え付けたことから、全般的には比較的順調に生育してきました。
しかし、土作りの時の石灰が少なかったのか、カルシウム不足から起こる尻腐れ病の茎が1本発生しています。
・左側の畝の中央付近の茎に尻腐れ病が発生しました。
各茎の1番生りのトマトはこのように果実の緑色が薄くなってきており、間もなく色づくまでになっています。
ところが一昨日、まだ青いこのトマトの1個が野鳥(多分カラス)の被害に遭っていることを見つけ、急遽、防鳥網を張りました。
・この2個のトマトの中央上部の茎に付いていたトマトが被害に遭いました。
昨年までは、このような青いトマトが鳥の被害に遭ったことはなく、色づき始めた頃にヒヨドリとアライグマからの被害を防ぐため防鳥網を張る予定にしていたところです。
無残にもこのように青く、そしてまだ酸っぱい実まで食べると云うことは野鳥の世界も食糧不足なのでしょうか?
・これが鳥に食べられたトマトです。
私のトマト栽培では防鳥網の他にも、数年前から「トマトの雨除けシート」を張っています。
「トマトの雨除けシート」は、雨による裂果防止と、梅雨時期の水分の抑制、更に、疫病、葉かび病などの予防目的で行っているもので、近畿地方の梅雨入り発表(8日)の後に急いで張ったものです。
支柱は高さ1.8mの市販のアーチ状のものを使用してます。
畝をまたぐように設置し、その上から幅1.5mのビニールシートをアーチに覆い、支柱の左右を洗濯バサミで止めたり、ビニールテープで抑えたりしていますが、この簡易な雨除けで、裂果防止の目的は十分果せます。
原発の依存度が高い関西電力では、現在全ての原発が停止しており、この夏の電力不足が懸念されています。
当初は大飯原発の再稼働ができなければ計画停電も止む得ないとして、企業や家庭に不安を与えていました。
野田総理は先日、関電大飯原発3・4号機の再稼働の安全宣言を宣言し、福井県知事や地元の大飯町長は今週中にも再稼働を表明する見込みですが、関西電力では再稼働が実現するかどうかにかかわらず計画停電の準備を進めているようです。
その詳細は今週中に発表される予定ですが、報道では関電管内を6グループに分けて2時間ずつの計画停電を実施するようです。
昨年の関東の皆さんが経験した辛い夏が、今年は関西にやって来そうです。
そうした中、少しでも夏の猛暑を和らげるため、我が家ではグリーンカーテンの準備をしました。
我が家のグリーンカーテンは暑さ防止とゴーヤの収穫を兼ねたもので、昨年同様、鉢植えのゴーヤを3鉢で作りました。
・鉢植のゴーヤは既に60~70㎝ほどの蔓になっています。
東側の窓に作ったグリーンカーテンの蔓ネットです。
これは南側の窓に作ったグリーンカーテンです。
こちらも3株のゴーヤを1株ずつ菊鉢に植えて作りました。苗はまだ15㎝位です。
このグリーンカーテンが少しでも暑さ対策になればいいのですが・・・。
家庭菜園をしていると、地元の農家の人たちともよく世間話をします。
その中で『農家』とか『百姓』の言葉もよく出てきます。
農家や農民は読んで字の如くなので分かりますが、農民を何故『百姓』と呼ぶのでしょうか?
調べてみました。
百姓は古代では「ヒャクセイ」と読み、「百」はたくさんの意味、「姓」はかばね(豪族が氏の下につけた称号)のことで、古代においては諸々の姓(かばね)を有する公民の意味であり、農民に限らずひろく一般人民を指して、万民という言葉と同様な意味で用いられた身分呼称であったようです。
元来は一般庶民を指す「百姓」の語が、明確に農民と同義とされるようになるのは、江戸時代からとされています。
儒者である伊藤東涯(1670-1736)は、著書の『操觚字訣(そうこじけつ)』で「農ハ百姓ノコト也」とし、寺島良安が1712年頃に刊行した『和漢三才図会』では、「農人」を「俗に百姓と云ふ」としつつ、「農を以て百姓と為すは非なり」と書かざるを得ない情況になっていたようですが、やがて、社会的身分と職業が相応するようになった中世頃より、百姓と農民は同じという見方が通俗の「常識」として広くひろがっていったと云われています。
百姓の家に生まれながらその謂れを知らず、古稀の歳になって初めてその語源を知りました。