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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

雲仙・普賢岳大火砕流から21年

2012-06-04 | 時事

昨日、長崎県島原半島の火山、雲仙・普賢岳の大火砕流から21年になるとのニュースが流れていました。
この大火砕流では、地元の消防団や住民、報道関係者などあわせて43人が犠牲となりましたが、当時、私の職場に入社してきた女子新入社員の島原市深江町の実家が被害を受け、社員全員でお見舞いをしたことが、つい先日のように思い出されます。

雲仙・普賢岳は、平成3年(1991年)6月3日午後4時8分に大火砕流が発生しました。
この火砕流で、報道関係者が避難勧告区域の中に勝手に入り込み取材を続けたため、報道関係者に傭車され独断で避難できなかったタクシー運転手、報道関係者が民家に無断で侵入(不法侵入罪が成立)し、コンセントの電気を無断で使用(窃盗罪が成立)する等したため、これを警戒すべく一旦後方に下がりながらも再度進出せざるを得なくなった消防団員、警察官が、それぞれ巻き込まれる形で殉職しました。

・時速100㎞の早さで麓の民家に迫る火砕流です。(平成3年6月3日、ネットより)


報道によれば、発生から21年となった昨日は、各地にある追悼碑の前に献花台が設けられ、市民らが花を手向けていました。
島原市仁田町の献花台を訪れた島原市の横田修一郎市長は「毎年この日を忘れることなく、災害の怖さと教訓を後世に引き継いでいくことが責務だと感じました」と話し、また当時、島原市長だった鐘ヶ江管一さんは「犠牲になった消防団員のことを思うと今でも胸が張り裂けそうな気持ちになります」と話していました。