4月下旬に種豆を植えた落花生が花を付け始めました。
落花生の原産地は南米ボリビアで、日本には中国を経由して江戸時代に南京豆と呼ばれて持ち込まれ、現在でもそのように呼ばれることがあります。
名前の由来は、花が地中に落ちて、そこから豆が成長する(生まれる)事から付けられました。
・これが私の落花生の畝です。3畝で30株ほど栽培しています。
昭和34~35年頃、双子の歌手、ザ・ピーナツが歌って大ヒットした歌に“情熱の花”がありました。
双子のように二つ並んだこの落花生の愛嬌のある可愛い花、正に、ピーナッツの“情熱の花”そのものです。
・これが落花生の花です。小さな花ですが愛嬌のある形をしています。
花の跡には子房柄と呼ばれる雌しべの先が地面に向かって伸び、土の中に入ります。
そしてその先に莢が付き、その中に豆が実ります。
・針のように土の中に突き刺さっているのが子房柄です。
収穫時期は花が咲いてから3ヵ月後くらいです。10月~11月頃、茎や葉が黄色くなって枯れ始めた頃が目安となります。
今日もNHKのラジオ番組”気になることば”からご紹介します。
私たちはよく「心」という言葉を使いますが、“この「心」はどこにあるのでしょうか?”という質問に対して、NHKの“ことばおじさん”こと梅津アナウンサーが解説していました。
以下その解説です。
日本には古くから「心」は心臓の辺り、つまり"胸にある"という考えがあったようです。
「心」という漢字も"心臓の形"を表しており、「胸が痛む」「胸が弾む」というのは「心が痛む」「心が弾む」と言い換えることが出来ます。
他にも、心の中で考えていることという意味で「腹」を使うことがありませんか?
例えば「腹を探る」「腹を決める」などと言うように、心は"腹にある"という考えもあったようなのです。
更に、「"手のうち"を見せない」というと「"心のうち"を見せない」ということですが、その「手」もまた「心」と関係があったのです。
「手のひら」は「たなごころ」とも言いますが、実は「たなごころ」はもともと、「手の心→たなごころ」となった言葉だったのです。
「心」そのものは外から見ることはできませんが、"心の動き"をとらえた言葉というものがありました。
例えば【ためしに行う やってみる】という意味の「試みる」。実はこれは「心+見る→こころみる」となったものです。
また、【心に立てた目標に向かって進む】という意味の「志す」も「心+指す」からきた言葉だったのです。
「試みる」「志す」などのように、人が何か行動に移そうとする時には「心」がその基になっているということなのかもしれませんね。
言葉はその国民性や民族の考え方を表すもの。日本語に「心配り」「心づかい」「心を尽くす」など「心」という言葉がつく思いやりにみちた言葉が多くあるというのも、それだけ心を大切にしてきた国民性だということを表しているのかもしれませんね。
日本人は心を大切にしてきた国民性と解説していましたが、今の総理大臣には「心配り」、「心を尽くす」などの「心」をを持ち合わせていないのでしょうね。
100年に一度の大震災の年に、100年に一度のすっから菅総理が政権を担っている日本は最大不幸国家ですね。
今年は全国的に節電が叫ばれており、暑さ対策の一つとしてグリーンカーテンがブームとなっているようです。
我が家では、東と南の窓にゴーヤでグリーンカーテンを作っていますが、畑でもゴーヤを栽培しています。
そのゴーヤを先日初めて収穫しました。
今年は強風の日が多かったため、蔓が風で痛めつけられ、生育がよくありません。
・畑のゴーヤの棚です。
・これは雌花の蕾です。2~3日前から漸くつき始めたところです。
・これは雌花です。確実に着果させるため、オシベの花粉を人工受粉しています。
・雄花です。この花粉を雌花に受粉しています。
・受粉の翌日には花が凋み、幼果が次第に肥大してきます。
・これが今回初収穫したゴーヤです。現時点ではこれに続く果実がなく、1本だけの収穫となりました。
2~3日前から雌花が咲き始めたので、20日過ぎからは本格的に収穫が始まるものと思います。
今日は、私の畑に咲いている「ヘメロカリス」の花をご紹介します。
「ヘメロカリス」とは、日本に自生するニッコウキスゲやノカンゾウの仲間の総称ですが、一般的には、品種改良された園芸品種のことを指しているようです。
「ヘメロカリス」の名前の由来は、ギリシャ語の hemere(ヘメラ:1日)、kalos(カロス:美しい)からといわれ、英名では「デイリリー(Day lily)」と呼ばれています。
「デイリリー(Day lily)」と呼ばれているこの花は、その名の通り、ユリに似て1日しかもたず、夕方には萎みます。
(注) キスゲとカンゾウの違いについて簡単に書いて置きます。
・キスゲ(ユウスゲ)
草丈は1m前後になり、黄淡色の花を次々咲かせます。
花は夕方に咲き始め、翌日の午前中に萎みます。このことからユウスゲともいわれています。
・カンゾウ
草丈は70cm前後で橙色の花が咲きます。
昼間咲いて夕方萎む1日花で、花は食べることが出来るそうです。
七夕伝説
今日は、五節句の一つ「七夕(しちせき)」です。
大阪地方では朝から雨が降り、夜も星空は期待できないそうです。残念ながら星に願いをかけられません。
そこで今日は「七夕伝説」発祥の地されている大阪・交野市に伝わる「七夕伝説」について調べました。
「七夕伝説」
天の川の西岸に年老いた一人の神様が住んでいました。
その神様に「棚機津女命(たなばたつめのみこと)」という一人の美しい姫がいました。この姫は小さい頃から機(はた)を織ることが上手で、いつも雲や霧や霞みの美しい織物を織っていました。
この姫のお陰で下界にはいつも自然の景色に美しい変化が起こったので、下界に住む人々は大層喜びました。
ところが、父神は、姫が年頃になってきたので、いつまでも独りでおくのも可哀そうに思い、良き婿を選んで姫と結婚させようと考えました。
そして、いろいろと男らしい立派な男を求めた結果、天野川の向こう岸にいる牽牛(けんぎゅう)という若者が一番立派で美しかったので、遂に姫の婿にしました。
美しい姫に立派な若者、それは全くの似合いの夫婦でした。
姫は若者を心から愛し、若者も世にも稀な美しい姫を愛しました。そして二人はただ夢のように父の事も仕事の事もすっかり忘れ、青春の歓喜に酔って幾日も幾日も過ごすようになりました。
しかし、二人の歓喜も長くは続きませんでした。それは、姫が牽牛を迎えてからは機など見向きもせず、二人で楽しい語らいばかりするようになったため、雲や霧や霞みが少しも織り出されなくなったからです。
天界で一日でも雲や霧や霞みを織らなかったら、地上ではいろいろな物象の障りが起きるのでした。
父神はそれを心配し、時々、姫に機織りだけは中止せぬよう注意しましたが、若い姫と牽牛には父の注意など耳にも入りませんでした。
父神は姫も婿も可愛かったのですが、それよりも自分の支配している天界や自然界に支障が起きては天神に申し訳がないというので、ある日、残酷であったが、二人の仲を割いて婿を元の天の川の東の岸に帰しました。
姫も若者も相愛の仲を割かれるのを悲しみましたが、父の命令では仕方なく、再び天の川の東と西の岸に分かれて住むようになりました。
別れた二人は、互いに川を挟んで恋い焦がれつつ一年の月日を送っていました。
悲しみに明け暮れる二人を不憫に思った父神は仕事に励むことを条件に、年に一度(7月7日)だけ会うことを許しました。
7月7日(七夕)になると父神の命を受けた鵲(かささぎ)が天の川に橋を架け、これを渡った二人は夏の短い夜を楽しく一緒に過ごしたと言います。 (交野市・伝説の河内より)
しかし、当日雨が降ると天の川の水かさが増し、姫(織姫)は渡ることが出来ず牽牛も会うことが出来ません。
この日に降る雨は催涙雨といわれ、姫と牽牛が流す涙と言われています。
・この鳥が鵲(かささぎ)です。スズメ目カラス科に分類される鳥類で、カチガラスとかコウライガラスとも呼ばれています。(ウィキペディアより)
今日は「下仁田ネギ」の植替えについてご紹介します。
「下仁田ネギ」は、群馬県下仁田町を中心として、その周辺で栽培される根深、夏型ねぎの品種で、白根のながさは20cmほど、直径は6cm~8㎝と他の品種のネギに比べて太いのが特徴です。
このネギは1805年(文化2年)の頃に、殿様に献上していたと伝えられていることから、地元では「殿様ネギ」と呼ばれているそうです。
秋植えの下仁田ネギは、翌年の4月頃と7月頃に植え替えを行い、その年の11月末~12月に収穫を行います。
我が家では、昨年秋に植えつけた下仁田ネギの1回目の植え替えを4月に行い、そして7月に入った先日、2回目の植え替えをしたものです。
・これが4月6日に1回目の植替えをした下仁田ネギです。
1回目の植替えから3ヶ月後にはこのように太くなりました。これを一旦掘り起こし、畝を作り替えて植替えします。
掘り起こした下仁田ネギです。太い物で直径3㎝~4㎝くらいです。
同じ場所を耕し、石灰、発酵ケイ糞、化成肥料等をよく混和して畝を作ります。
畝の中央部を20㎝以上掘り、ネギの白根の部分が長くなるように深く植え付けます。
植替えが完了したところです。
この後、成長に合わせて土寄せを行います。
下仁田ネギは収穫までの約15ヶ月の間、土寄せをする都度、太くなって行く野菜です。
梅雨前線
昨夜、大阪南部の熊取地方は激しい雷雨に見舞われました。
稲光と同時に大きな雷鳴が響き、その後“バケツをひっくり返した”と云う形容がぴったりするほどの豪雨が十数分間続きました。
天気予報では大陸に北上していた梅雨前線がゆっくり南下し、昨夜のこの時間に近畿地方を通過したようでした。
そこで今日は、昔、中学校で習った梅雨前線について取り上げました。
先ず「前線」とは、元々は戦争で敵と味方が接する境界線のことですが、気象用語では、寒気と暖気の境目を意味して使われています。
寒気の勢いが強くて暖気を押している場合は「寒冷前線」と言い、その逆の場合は「温暖前線」と言います。いずれの場合も上昇した暖気が上空で冷やされて雲が出来、雨が降りやすくなります。
「梅雨前線」は寒気と暖気の勢力が釣り合っている「停滞前線」の一種です。
温帯低気圧に伴う寒冷前線や温暖前線は、普通は数日で西から東へ通過しますが、梅雨前線は1カ月以上も停滞します。
この梅雨前線は、南に勢力を持つ太平洋高気圧と北側にあるオホーツク海高気圧の間にできます。これらの高気圧は偏西風の影響を強く受ける比較的小さな温帯低気圧とは異なり、動きが鈍いのが特徴です。
このため梅雨前線は長いこと同じ場所に居座ることになり、南北の高気圧の勢力差によって梅雨の時期が毎年違ってくることになります。
一般的には、太平洋高気圧の勢力が強くなり、前線を北に押し上げ、やがて消滅し、本格的な夏へと移行します。
今年は5月下旬から梅雨前線が太平洋側に停滞し、6月中旬から下旬にかけて太平洋高気圧が強くなって前線を北に押し上げました。
このため各地で6月としては観測史上最高の気温を記録したようですが、7月に入り再び梅雨前線が南下してきたと云う天気推移になっています。
4月20日に植え付けしたスイカの初収穫をしました。
今年は梅雨入りが5月下旬と早く、6月中旬まで連日雨に見舞われたため、蔓の勢いは悪く、雌花が咲いても落果し、果実も十分肥大せず、全体に小ぶりのスイカとなりました。
地元の専業農家の人も同様の作況であり、熊取地区は全般に悪いようです。
・5月28日、株元から13節目についたこの幼果が本日の初収穫となったスイカです。
この時点では順調な生育状況でしたが、6月に入って連日の雨により、このような幼果の殆どが肥大化しなかったり、落果したりしました。
下は、上記から33日目の今回収穫したスイカです。
大玉スイカですが果実の肥大が見られず、小玉スイカと間違うほどの大きさです。重さは4.1kgしかなく、不本意な結果となりました。
棒が建ててあるところにスイカがついていますが、いずれも4kg前後の小ぶりの物ばかりです。
初収穫のスイカを切って見ると棚落ちとなっていました。
以前、出来るだけ15節目以降に実らす方が皮が薄くて、棚落ちしないスイカが出来るように聞いたことがあるので、原因は株元から13節目に生らせたことかと思っています。
しかし、小粒で棚落ちはしていても、味は満足できるものでした。
私が住まいしている大阪南部、熊取町の山の手台住宅団地には、公園や遊歩道の草花を植栽・管理しているボランティアグループ “フラワー山の手” があります。
先日から4回にわたってそのグループが管理しているお花をアップしてきましたが、今日は5回目として「リクニス・コロナリア」の花をご紹介します。
リクニス・コロナリアはナデシコ科、リクニス(センノウ)属の多年草です。
原産地はヨーロッパ南部で、日本には江戸時代に渡来したようです。
全体が白い毛で覆われ、ビロードのような感触を持つところから、「フランネルソウ」とも呼ばれており、「スイセンノウ(酔仙翁)」の別名もあります。
草丈は70~80センチ、葉は披針形で茎と共に白い柔毛で覆われており、夏に枝の先端に紅色や白色等の五弁花が咲きます。
この「リクニス・コロナリア」はアルバと言う品種と思われますが、白色の花は清楚でとてもきれいです。
家庭菜園をしながらラジオを聴いていると、為になる話題をたくさん提供してくれます。
その中から、以前、NHKのラジオ番組“気になる言葉”の中で、「ことばおじさん」こと梅津アナウンサーが方言にも尊敬表現があることをご解説していたのでご紹介します。
関西では京都・大阪を中心に使われる『~はる』という表現があります。
この表現は尊敬語の「なさる」が「なはる」から『はる』と変化したものだそうです。
例えば、、「どちらに行かはりますか?」「行きはりますか?」のようにいうと、共通語の「行かれますか?」という表現と同じで軽い尊敬表現になります。
かしこまり過ぎず、くだけ過ぎず、親近感を持ちながら相手を立てる表現なので関西ではよく使われています。
但し、共通語の尊敬語と違う点があります。
それは、共通語では身内に対して尊敬語は使用しませんが、関西弁のこの言葉は身内に対しても使用するところです。
特に京都では、「母が言うてはった」、「うちの子はよう食べはります」のように身内にはもちろん、「きれいな花が咲いたはる」、「犬が寝てはる」のように動植物にまで『~はる』が使われます。
これは、身内や動植物を敬うというよりは、話す相手に対してことばを丁寧にしようという気持ちが働いているといいます。
大阪や京都では「お芋さん」や「お豆さん」のように食べ物に「お~さん」をつけるなど、物にも親しみをこめた言葉づかいをします。
このようなことから、動植物に『~はる』を使うのも親愛の情を表しているともいわれます。
方言の尊敬表現は共通語の尊敬語と違って柔らかく親しみがあっていいですね。
と解説していました。
関西弁に限らず、日本各地には尊敬語とか丁寧語や謙譲語などから変化したその地方特有の尊敬表現の言葉があるのでしょうね。