太公望
昔は近くの海岸や波止場によく釣りに行ったものです。
投げ釣りではキスやカレイ、テンコチ(地元ではガッチョ)等が、ウキ釣りではアイナメや小鯛(地元ではチャリコ)等がよく釣れました。
夜釣りでは泉佐野の漁港で立ち魚を釣った事もあります。
家庭菜園を始めてから釣りとはすっかり疎遠になりましたが、今でも釣り場には大勢の釣り人が糸を垂らして楽しんでいます。
ところで、釣り人の事を「太公望」と言いますが、何故なのでしょうか?
今日はその謂れを調べました。
太公望の出典は「史記」で、紀元前11世紀頃の話です。
殷(いん)という中国古代王朝の末期、人民は暴君の紂(ちゅう)王に苦しめられていました。
その頃のある日、貧しそうな老人が一人釣りをしているところへ「釣れますか?」などと言いながら近づいてきた人物がいました。
その人物とは、西伯昌(せいはくしょう)(後の周の文王)で、狩りの途中に声をかけたのでした。
彼は猟に出る時、どんな獲物があるか占ってもらったのです。
すると、「竜でもなければみずち(竜に似た怪物)でもない。熊でもなければ虎でもない。獲れるものは諸侯の長を助ける者であろう」との卦が出たそうです。
釣り糸を垂れて世を避けていた老人は呂尚(りょしょう)と言う人でした。
いろいろ話をしてみると、身なりは貧しいが学問があり、なかなかの人物だったようです。
西伯昌(後の周の文王)は、嘗て、父の太公が「やがて立派な人物が現れて、その力でこの国は盛んになるだろう」と語っていたことを覚えていました。
我が太公が久しく待ち望んでいた人はこの人に違いないと思い、一緒に連れて帰り、自分の師と仰ぎ、「太公望」と呼んで尊敬したのだそうです。
後に、呂尚は武王(文王の子)を助けて暴君紂王を討ち、天下を統一して周朝創業に尽くしたと言うことです。
この故事にちなみ、日本では釣り好きを「太公望」と呼ぶようになったと言うことです。
因みに、中国では「太公望の魚釣り」(太公釣魚)と言えば、「下手の横好き」と言うニュアンスだそうです。