石山寺散策の最終回は石山寺本殿をご紹介します。
天下の名勝真言宗石山寺は、山号を石光山、寺号を石山寺と言い、大津の南端、清流瀬田川の畔、伽藍山の麓に位置しています。
西国第十三番の札所であり、奈良時代からの最古の歴史と伝統を持つ霊山です。
「石山寺本殿」
石山寺は、縁起では天平19年(747年)聖武天皇の命により良弁(ろうべん)が開いたと言われています。
14年後の天平宝字5年(761年)に伽藍が整備されました。
平安時代後期には貴族の女性らに信仰され、後には西国三十三所観音霊場の13番札所として庶民の信仰を集めました。
「源氏の間の紫式部」
案内によれば、
『今を去る約千年の昔、寛弘元年八月十五夜、紫式部この部屋に参籠し前方の金勝山よりさし昇る中秋の名月が下の湖面に映える美しい景色に打たれ構想の趣くままに筆をとられたのが有名な「源氏物語」であります。それからこの部屋を「紫式部源氏の間」と申すようになったのであります。』
と記されています。
「経蔵」
経蔵は高床の校倉造りで、嘗ては国宝の淳祐内供筆聖教(しゅんゆうないくひつしょうぎょう)を収蔵した建物です。
建物は頭貫木鼻(かしらぬきばな)の意匠や桁や垂木に反り増しがあることなどから桃山時代の16世紀後期頃の建立と考えられています。
なお、淳祐内供筆聖教とは、菅原道真の孫である石山寺第3代座主の淳祐(890年~953年)が書写した60巻1帖からなる聖教類です。
「多宝塔」
本堂を出て石段を数段登ると校倉造りの経蔵があり、そこを抜けてさらに石段を上がると多宝塔の前に出ます。
この多宝塔は建久5年(1194年)に源頼朝が寄進したと伝えられる日本最古の多宝塔で国宝に指定されています。
ご本尊の大日如来坐像は建久5年(1194年)塔と同時期に制作された、像高102㎝寄せ木作りだそうです。
均整のとれた優美な建築で、内部の柱や天井の廻りなどには仏像や草花などの絵が描かれているということです。
「光堂」
案内によれば、
『平成20年に、東レが会社創立80周年を記念して、創業の地のここに物故者慰霊塔を建立し、故人となられた諸先輩の尊いご努力に対し、衷心より感謝と敬意の念を顕す。併せて慰霊塔建立の場をご提供頂き、また、永代供養していただく大本山石山寺に感謝の念を込めて光堂を復興建立の上、これを寄進し、慰霊法要の場とする。』
と記されています。
「紫式部銅像」
光堂のすぐ傍に、紫式部の銅像が設置されています。
源氏物語の構想を練る紫式部の姿は各時代の絵師によって絵画化され、特に中世では、紫式部はそのまま観音菩薩であるとする「紫式部即観音」という信仰もあったほどです。
「くぐり岩」
この辺りの岩は全部大理石だそうです。
奇岩怪石の幽邃(ゆうすい)の境中天然自然に体内くぐり状態をなすこのくぐり岩の手前にある池は天平時代のものだそうです。