石山寺の少し手前に月見橋がかかっていました。
川の上流方面に目をやると、トンネルのような光景が見えたので、調べてみると、この川は大津放水路でした。
「大津放水路」
大津放水路とは、大津市街地の慢性的な洪水被害を解消するため、大津市南部の8つの小河川の洪水を中流部でカットして、瀬田川へ流下させる地下トンネル放水路なのです。
・大津放水路に架かる月見橋です。
大津放水路の上流側に大津の町を守る巨大地底トンネルがあり、それは市街地の8つの河川から大雨のときの洪水流を取り込む「分水施設」と、瀬田川に地底トンネル経由で合流させる「開削水路」の3つからなる巨大システムとなっています。
普段は今まで通り河川を水が流れ、洪水時には開削水路-分水施設-地底トンネルを経由して、市街地に被害が出ないように、水をバイパスさせるという仕組みになっているようです。
・大津放水路です。
・石山寺参道沿いに並ぶ旅館や店舗です。
「石山寺東大門」
石山寺の東大門は1190(建久元)年に源頼朝の寄進により建てられ、慶長年間に大修理を施されたと伝えられています。
大門は、両脇に仁王像を従え、入母屋の屋根をいっぱいに広げて威容を見せています。
・西国十三番札所石山寺東大門です。
「金剛力士像」
石山寺、東大門の左右両側に安置されている金剛力士像は、鎌倉時代の仏師、運慶とその長男、湛慶の作と伝えられています。
金剛力士は、仏教の護法善神(守護神)である天部の一つで、「金剛杵(こんごうしょ:仏敵を退散させる武器)を持つもの」を意味しています。
開口の阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体を一対として、寺院の表門などに安置することが多く、石山寺でも東大門の左右に安置されています。
金剛力士像は一般には仁王像の名で親しまれており、阿形像は怒りの表情を顕わにし、吽形像は怒りを内に秘めた表情に表すものが多く、こうした造形は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての性格を表しています。
・東大門に向かって右側に安置されている阿形像です。
「阿形」と「吽形」の語源となるサンスクリット語は、阿=ア[a]で始まり、吽=ウーン[hun]で終わることから、万物を表す象徴的な言葉として使われています。
・東大門に向かって左側に安置されている吽形像です。