「吾亦紅(われもこう)」はご存知ですよね。日本列島や朝鮮半島、中国大陸に分布するバラ科・ワレモコウ属の植物です。
では、「吾無口(われむこう)」をご存知でしょうか?
今日は僧侶の世界で用いられていた数字の符丁をご紹介します。
符丁とは、合図の隠語、合言葉、記号、符号等のことで、数字の符丁の基本は、数字と一対一に対応する言葉を定めることです。
一番簡単なのは、いろは歌や五十音表の一文字を一つの数字に対応させるもので、例えば、質屋さんの符丁は「あかさたなはまやらわ」で、「あ」が一、「か」が二、と進んで、「わ」が十となり、たばこ商の符丁は「いろはにほへとちりぬ」で、「い」が一、「ろ」が二、「は」が三と続くようです。
そして、僧侶の符丁は、漢字を分解して一から十の数字を作る「字謎」と呼ばれるもので、例えば、「大無人・だいむじん」と言えば、「大」から「人」を取る(無くす)と、「一」になるので、数字の「一」表す符丁と言う訳です。
そこで冒頭の「吾無口(われむこう)」ですが、「吾」から「口」を無くすと「五」になることから、僧侶の隠語では数字の「5」を表すということです。
この事は、先日の某新聞のコラム欄に載っていました。
その記事とは、
「切無刀(せつむとう)」さて、何のことでしょうか?
刀なしに切るのは秘剣の極意かと思えば、さにあらず。「切」の「刀」がなくて「七」。ものの本によれば、僧侶の世界で用いられた数字の符丁だという。
「一」が<大無人・だいむじん>(大から人を取る)、「二」」が<天無人・てんむじん>(天から人を取る)・・・と続く。
年の暮れに残りの日数が少なくなることを「数え日」という。駆け足で去りゆく時を惜しむ方は、足取りの重々しい<切無刀>式で数えてみるのもよろしかろう。
指を折って数えてみると、今年も残すところ9日になった。九は<鳩無鳥・はとむちょう>と数えるらしい。
内には振り込めサギが後を絶たず、外にはガン(銃)の悲劇が続き、自然災害のキジ(記事)も記憶に生々しい。
地球儀を回してテロの傷痕を辿ってみれば、出会った鳥の中に平和を告げるハトの姿はまだない。(中略)
そして、数え日の「五」も味わいが深い。<吾無口(われむこう)>。年の瀬はときに人を無口にする。
で結んでいます。
このコラムを読んで、何故僧侶の世界で符丁ができたのか?
考えてみるに、お札を数える時の人の顔は、その人の地顔がでるといわれています。
「数える」という行為には、何か人間の本質をむき出しにしてしまう力があるようであり、僧侶の場合、お布施にほころぶ顔を見せないために、符丁が作られたのではないだろうか。
その僧侶の1~10までの符丁をご紹介します。
・一は<大無人・だいむじん> (大から人を取る)
・二は<天無人・てんむじん> (天から人を取る)
・三は<王無中・おうむちゅう> (王の字の中の棒を取ると三になる) <王無棒・おうむぼう>とも言う。
・四は<罪無非・ざいむひ> (「罪」から「非」を取る) <置無直(ちむちょく)>とも言う。
・五は<吾無口・われむこう> (「吾」の字から「口」を取ると五になる)
・六は<交無人・こうむじん)> (交の字から人をを取ると六になる) <立無一(りつむいち)>とも言う。
・七は<切無刀・せつむとう)> (切の字から刀を取ると七になる)
・八は<分無刀・ぶんむとう)> (分の字から刀を取ると八になる) <木無十(もくむじゅう)>とも言う。
九・は<丸無点・がんむてん)> (丸の字から点をを取ると九になる) <鳩無鳥(はとむちょう)>とも言う。
・十は<千無点・せんむてん)> (千の字から点を取ると十になる) <針無金(しんむきん)>とも言う。
流石お坊さんの符丁(隠語)、何となくお経の言葉のように読めるから不思議です。