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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

北方領土の日

2013-02-07 | 時事

今日2月7日は「北方領土の日」です。
そこで今日は北方領土と国境の変遷について調べました。

「北方領土の日」とは、「北方領土」問題に対する国民の関心と理解を深め、全国的な北方領土返還要求運動の一層の推進を図ることを趣旨として、1981年(昭和56年)1月6日の閣議で、2月7日を「北方領土の日」とすることを決定したものです。

この2月7日は、安政元年(1855年)伊豆の下田で日露通好条約が締結され、択捉(えとろふ)島とウルップ島の間に国境を定め、択捉島以南の北方4島が我が国の領土として国際的にも明らかにされた歴史的な意義を持つ日であり、平和的な話し合いの中で領土の返還を求める「北方領土返還要求運動」推進の目的に最も合った日として設けられたものです。

以下「国境の取り決めの推移」について北海道HPからそのままご紹介します。
①日露通好条約
1855年(安政元年)の日露通好条約において日露両国の国境は択捉島と得撫(ウルップ)島に決められ、択捉(えとろふ)島から南は日本領土とし、得撫島から北のクリル諸島(千島列島)はロシア領土と確認しています。
・北方領土と千島列島の間に国境が設定されています。


②樺太・千島交換条約
1875年(明治8年)の樺太・千島交換条約で、日本は樺太を放棄する代償としてロシアから千島列島(得撫島から北の18の島々)を譲り受けました。
・これがその時の国境で、カムチャッカ半島までが日本の領土です

③ポーツマス条約
1905年(明治38年)、日露戦争後のポーツマス条約によって、北緯50度以南の樺太が日本の領土となりました。


④サン・フランシスコ平和条約
1951年(昭和26年)、サン・フランシスコ平和条約によって、日本は千島列島と北緯50度以南の南樺太の権利・権原及び請求権を放棄しました。
しかし放棄した千島列島には固有の領土である北方4島は含まれていません。
・①の境界図に戻る筈ですが、ソ連(現ロシア)が領有している状態が続いています。


この北方4島はかつて一度も外国の領土となったことはなく、日本が固有の領土と主張する根拠はここにあります。
日本政府では、「日本はロシアより早くから北方領土の統治を行っており、ロシアがウルップ島より南を支配したことは太平洋戦争以前は一度もない」と主張して、領土返還交渉を行っていますが進展はみられません。

ソ連(現ロシア)の領有は、1945年(昭和20年)8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定した後の1945年8月28日から9月5日にかけてソ連軍が北方領土に上陸し占領したもので、現在に至るまでソ連およびそれを継承したロシアが実効支配をしている領有状態にあるため、日本が領有権を主張しているものです。