今日から「熊野古道を歩く」シリーズの第2弾を数回に分けてご紹介します。
前回の第1弾は、「伊太祁曾(いだきそ)神社から36番目の王子「祓戸王子」までの12㎞程を歩き、その経過は2月8日から14日までブログでご紹介しました。
今回は、37番目の「藤代王子」から「山口王子」までの2つの山を越える14㎞余りのハードなコースを歩くものです。
この催しは、以前、私が勤めてい会社のOB会の大阪泉州支部の中に”歴史探訪同好会”があって、数年前から”熊野古道を歩く”を催行しをしているものです。
今回の参加者10名は出発地点である紀勢本線海南駅に集合し、37番目の「藤代王子」から歩き始めました。
「小栗街道」
雄ノ山(おのやま)峠を越えて熊野へ参詣する熊野古道を「小栗街道」とも呼んでいるそうです。
説明板によれば、小栗街道と呼ばれているのは、不治の病にかかった小栗判官が照手姫の土車に引かれて熊野権現の霊験を求め、熊野を目指してこの道を通ったためです。
判官(ほうがん)は熊野本宮に参詣し湯の峰の湯を浴びてすっかり元気になり、照手姫と結ばれたそうです。
・熊野古道(小栗街道)を歩く同好会のメンバーです。
「千年楠と楠神社」
古来「子守の宮」として広く信仰され、この神様から「楠」「熊」「藤」の名前を授かる人が多いそうです。
紀州が生んだ世界的学者の南方熊楠がその一人だそうです。
「千年楠」
藤白神社(藤白王子跡)境内に鎮座する子守楠神社の「千年楠」です。この楠は熊野杼樟日命(くまのくすびのみこと)が籠る(子守る)と言われているご神木です。
「藤白王子跡(藤白神社)」
この藤白王子社(現藤白神社)は平安時代から盛んに行われた熊野詣での礼拝所で、熊野九十九王子のうち五躰王子の一つとして特に格式の高かった神社です。
「藤代王子権現本堂」
その昔、「藤代五躰王子」の神宮寺として栄えた中道寺の熊野三所権現と藤代若一王子(ふじしろにゃくいちおうじ)の本地仏(熊野路で唯一現存する最古の造像といわれる仏)を祀っています。
「有間皇子(ありまのみこ)神社」
孝徳天皇の皇子の有間皇子は、政敵であった中大兄皇子の罠にかかり、斉明4年(658年)11月に謀反の疑いで捕えられ、牟婁(むろ:今の白浜)温泉に行幸されている斉明天皇のところに護送されました。
そして、その帰路この藤白坂で絞殺されたそうです。
皇位継承をめぐる複雑な争いの中で19歳の若さで散って行った悲運な皇子です。
・このお社はその御魂をお祀りしています。
「有馬皇子の墓」