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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「文化の日」の由来

2009-11-03 | 雑学

11月3日は「文化の日」です。そこで、今日は「文化の日」の由来について調べました。

「文化の日」とは、祝日法によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」とされており、国民の祝日となっていますが、この11月3日は戦前には「明治節」と呼ばれ、明治天皇の誕生日を寿ぎ偲ぶ日でした。

この「明治節」が「文化の日」とどのようにつながるのでしょうか?
調べてみると、「文化の日」の由来は日本国憲法と密接な関係があるようです。

「文化の日の由来」
日本国憲法はご存知のように平和主義、国民主権、基本的人権を宣言した憲法で、平和と文化を重視しています。
その憲法は、1946年(昭和21年)11月3日に公布され、半年後の1947年(昭和22年)5月3日に施行されました。(施行日の5月3日は「憲法記念日」となっています。)
そして、平和と文化を重視している日本国憲法に鑑み、1948年(昭和23年)に公布・施行された「祝日法」によって、憲法が公布された日である11月3日が「文化の日」と定められたようです。

「天長節」
一方、先にも書いたように、11月3日は戦前には「明治節」と呼ばれ、明治天皇の誕生日を寿ぎ偲ぶ日でした。
そして明治天皇が在位されていた明治時代には「天長節(天皇誕生日)」と呼ばれていました。
この「天長節」の名称は、中国春秋時代の思想家である老子の「天長地久」という言葉を取って、唐の玄宗皇帝の誕生日を「天長節」としたことに由来しているそうです。

明治天皇が崩御されて大正天皇が践祚(せんそ)されたときに、新たな天長節(大正天皇誕生日)が設けられ、11月3日は普通の日となりましたが、明治天皇の偉業を残すために先帝である明治天皇の誕生日を「明治節」として残すことになったようです。

戦後の新憲法下では、「天長節」は今上天皇の「天皇誕生日」として新たな祝日に生まれ変わり、明治天皇の誕生日を寿ぎ偲ぶ日であった「明治節」は廃止されました。
ところが、明治天皇の業績を偲ぶ当時の長老たちは何とかこの日を記念日に残したいと考え、文明開化をもたらした時代の意義を踏まえて「文化の日」として残すことになったようです。

(参考)
 ・「天長地久」とは、天地が永久に変わらないように物事がいつまでも続くことをいいます。
 ・玄宗皇帝(685~762)は、唐の第6代皇帝で、晩年に楊貴妃を寵愛するに及び、安史の乱が起り、蜀に逃れていたが、乱後、長安に帰って没したといわれて
  います。
 ・践祚(せんそ)とは、皇嗣が天皇の位を承け継ぐことです。(「践」はふむの意味、「祚」は主人が堂に登る東側の階段、ひいて天子の位の意味です)