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ドアの向こう

日々のメモ書き 

北斎の挑戦

2005-11-23 | アートな時間

 北斎展を見た。 二重三重の人垣のなかで、500点近い作品を3時間半、休むことなく細部まで見ると、疲れた!が本音。 70年に及ぶ画業の、最後まで衰えない作品群にあてられ眩暈しそうだ。 
 少ない知識と、ことばで日記もしどろもどろ、昨日のことだが、まだうなされている。

 チラシには、肉筆画・版画・版本など国内はもとより、大英博物館、ベルギー王立美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館ほか多数の欧米の美術館から出品されている、とあった。 版画の色も摺具合や、摺った時期で大分変わるらしい。そのうちの、どれを見たのか、何点見られたのか。会場の混雑だけでなく、頭の中も大混乱! 整理できていない。

 北斎のエネルギーに対向するにはこちらの受け皿も大きくなくてはならない。 見合うだけの真剣さで応えよう、いつの間にか力が入った。 しかし、我が皿のなんと貧弱なこと、恥ずかしい。

 北斎は母方の親戚、中島家で養育された。軟弱な父親への悪口を聞きながら、父と訣別する。そこで鏡師の叔父や、個性のちがう職人たちの叱責にあう。ひとの心を読む術が身につく。いつも他人との距離を測るようになる。
 
 強い父親像を胸にえがくが、それは常に行く手をはばむことになる。その虚像を乗り越えようと、さらにキャンバスに向かって挑む。永遠に越えられない父親像。父親なしで育った北斎の、止むことのない、攻めの人生になった… と以前読んだ。
 その気持ちが分かる、ほんの少し近づける。
 
          -☆-

 いやはや、何でも挑戦している。すごい人だ。 常に新しい表現をさがす。探求し、努力し、ひとつのことをひたすらつづけた画狂人北斎(1760~1849)

 卓抜なデッサン力、風刺のきいた黄表紙、狂歌絵本に釘づけ。着物や櫛のデザインもある。
「百人一首うばが絵説(エトキ)」は、うたを子供にわかりやすく説いている。 作品により名前も、絵説・絵と起・恵と起・ゑと起・縁説・ゑと幾・恵とき・縁とき・衛登喜 とまことに喜ばしい。

 題名をひらがなでローマ字風に入れた「くだんうしがふち」など、エキゾチックな香りがする。これが「阿蘭陀画鏡(オランダエカガミ)・江戸八景」である。 葉書ぐらいの8点で、細密な風景画を収める袋には顕微鏡の絵。これでご覧下さいとのユーモアなのか。
 摺物の「元禄歌仙貝合」もたのしく繊細な線にひかれる。「馬尽」は様々な馬が絵の中に登場する。海馬(タツノオトシゴ)・駒下駄・相馬焼・初午詣・駒止石・御厩川岸など、馬がつくものならなんでもいい。 血眼で探した。 洒落てる、知力体力の冴えを見るよう。笑いがこみ上げる。 

 北斎漫画は魅力的、気の向くままにあらゆるものを書いた。さらりと描いたようで気迫のある筆遣い。無駄なく本質にせまる絶妙な線、いくら見てもあきない構図。一瞬の動作も、見えない風も、動く光も、天候も、時の移ろいさえ画面に現している。恐れ入りました。

 その生き方、なんども名前を変え、画風も変わる。浮世絵など興味が尽きない。 印象派の画家に影響を与え、ドビュッシーは「神奈川沖浪裏」に想を得て「海」を作曲したと聞く。
 「九十才にして猶其奥意を極め 一百歳にして正に神妙ならんか 百有十歳にしては一点一格にして 生るがごとくならん」 常に前を向いていた。

写真は 絶筆に最も近いといわれる「扇面散図」。 扇面の絵も美しいし、折り目や骨の立体感もすばらしい。 これから、もっと深く北斎を知ろうと思った。
 展示の一覧表はこちらです
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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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扇面散泪 (boa !)
2005-11-25 06:40:17
お久しぶりです。”うらやましい”!の一言で後は絶句。



 気を取り直しても、なにか不公平と叫びたくなります。海外からの展示は機を逸すと二度と実物に会うのは難しいものですから。

 以前なら多分出かけていただろうなと、ラグタイムさんと興奮を共有できないのも残念です。「北斎漫画」は特に図録でもあまりお目にかかれません。



 溜息百斗です。心底うらやましい。

乾山の竜田川向付もご覧になったのですか。

 うらやましいを通り越して、うらめしいですよ。化けて出ようかな。
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どうぞお出ましを ()
2005-11-25 10:36:24
 幽霊でも何でもお会いしたいですね。巡りながらboa!さんでしたら、ここの解釈は と深い鑑賞が出来ない自分が情けなかった。 申し訳なく思います。浅い読みしかできなくて、本当に見たい人が観られない、一極集中はいけません。

 その代わり、筑紫にあること、よだれを垂らして羨ましく思います。

 一度では見たりない、 乾山の竜田川向付までたどれませんでした。何度も足を運ぶべきです、が、地の利は活かされない。陸の孤島に住んで、これから磨きます。
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