晴れ。今日もおだやか。
小林信彦「現代<死語>ノート」を何度目かの再読。
1956年(昭和三十一年)から1976年(昭和五十一年)までの言葉たち。
「ほんのきのうのこと=only yesterday」として敗戦から1955年(昭和三十年)も。
F・L・アレンによる1920年代を描いた同名の本を知っているかどうかがポイント。
「流行語による戦後史」という視点はもっと評価されるべきか。
著者には「時代観察者の冒険」という作品もあり。
その中の「アダルト伊代ちゃんの暴力性」という文章を思い出したり。
元々は蓮實重彦編集の雑誌「リュミエール」に載ったものだったはず。
繰り返すがこのふたりの対談は出来ないものだろうか。
「英文vs仏文」というのもあるのだけれど。
例えばマルクス兄弟に関する評価の違いを知りたいところ。
マル激を観る。
今回は「機能性表示食品」というインチキについて。
製造する企業が当てにならない「論文」を添えて出しさえすれば認められるもので。
そもそもは「規制緩和」という名の下の「アベノミクス」。
全く非科学的で企業の「売りやすさ」を優先しただけ。
「不足しているかどうかもあいまいな栄養素」が。
「長寿」ゆえに「老後」を心配する層に「ウケて」しまい。
何より「特定のもの多く摂取すること」で「健康」が維持されるわけもなく。
むしろ「過剰摂取」による危険も少なくないことも知らず。
「健康」の基本は「いろんなものを食べること」。
われわれの「認識の単純さ」がもたらすものを忘れずに。
スティーヴン・ソマーズ「ハムナプトラ 失われた砂漠の都」(’99)を再見。
VFX=特殊効果が面白いのはいいとして。
イムホテップ、アーノルド・ヴォスルーの「顔」がいい(南アフリカ共和国出身)。
オコーネル、ブレンダン・フレイザーは「アイルランド系アメリカ人」で。
イヴリン、レイチェル・ワイズは「父方がハンガリーで母方がドイツ」のイギリス人。
今回観直して思ったのは。
「コメディ・リリーフ」のベニーの魅力が「弱い」こと。
そしていつものことだが「長すぎる」。
90分程度にすればもっと面白くなったはずなのに。
なぜそれが出来ないのか。
そのことを本気で考えた方がいいと思うのだが如何。
小林信彦「現代<死語>ノート」を何度目かの再読。
1956年(昭和三十一年)から1976年(昭和五十一年)までの言葉たち。
「ほんのきのうのこと=only yesterday」として敗戦から1955年(昭和三十年)も。
F・L・アレンによる1920年代を描いた同名の本を知っているかどうかがポイント。
「流行語による戦後史」という視点はもっと評価されるべきか。
著者には「時代観察者の冒険」という作品もあり。
その中の「アダルト伊代ちゃんの暴力性」という文章を思い出したり。
元々は蓮實重彦編集の雑誌「リュミエール」に載ったものだったはず。
繰り返すがこのふたりの対談は出来ないものだろうか。
「英文vs仏文」というのもあるのだけれど。
例えばマルクス兄弟に関する評価の違いを知りたいところ。
マル激を観る。
今回は「機能性表示食品」というインチキについて。
製造する企業が当てにならない「論文」を添えて出しさえすれば認められるもので。
そもそもは「規制緩和」という名の下の「アベノミクス」。
全く非科学的で企業の「売りやすさ」を優先しただけ。
「不足しているかどうかもあいまいな栄養素」が。
「長寿」ゆえに「老後」を心配する層に「ウケて」しまい。
何より「特定のもの多く摂取すること」で「健康」が維持されるわけもなく。
むしろ「過剰摂取」による危険も少なくないことも知らず。
「健康」の基本は「いろんなものを食べること」。
われわれの「認識の単純さ」がもたらすものを忘れずに。
スティーヴン・ソマーズ「ハムナプトラ 失われた砂漠の都」(’99)を再見。
VFX=特殊効果が面白いのはいいとして。
イムホテップ、アーノルド・ヴォスルーの「顔」がいい(南アフリカ共和国出身)。
オコーネル、ブレンダン・フレイザーは「アイルランド系アメリカ人」で。
イヴリン、レイチェル・ワイズは「父方がハンガリーで母方がドイツ」のイギリス人。
今回観直して思ったのは。
「コメディ・リリーフ」のベニーの魅力が「弱い」こと。
そしていつものことだが「長すぎる」。
90分程度にすればもっと面白くなったはずなのに。
なぜそれが出来ないのか。
そのことを本気で考えた方がいいと思うのだが如何。