退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「失われた『本来』と『事実の共有』の重要さ」について

2017-09-19 02:04:13 | Weblog
快晴。台風一過。

中北浩爾「自民党 『一強』の実像」を読む。

どうやら「地方組織の強さ」が自民党を支えている模様。
ただしその基盤は弱体化しつつあるとも。

「政権交代」を可能にするために導入された小選挙区制はあまり機能せぬまま。
「民進党」の現在を見ればその理由がわかろうというもの。

「政党助成金」も「脱官僚主導」も
結局「本来の目的」がなしくずしにされている模様。

「勝てば総取り」の選挙制度と野党のだらしなさに支えられているのみ。
「人材」という面で野党より辛うじてマシなだけ。

かくして低い投票率が維持されれば「自公連立政権」が続く次第。
何とも「貧しい現状」だと言わざるをえず。

そして。

今回の突然の総選挙日程発表。
いったい何のための選挙なのか。

メディアも野党も「森友・加計問題」から逃げるためだと。
それ以前に「国民のためになる政治」から逃げて久しいというのに。

もっともその国民もいささか微妙だったり。
「現状」を知るための「情報共有」がなされていないことを知りたいところ。

北朝鮮のミサイルによる「危機」を煽っておきながら「政治空白」を作る選挙って?
そのミサイルが「日本に極力被害を与えないルート」を通っていることも知っていただきたい。

ちなみにその情報はマル激からなのでよろしく。
ミサイルは「宇宙空間」まで打ち上がるので落下する時に大気圏突入ですべて溶けることも。

そしてわが国にかの国のミサイルを撃ち落とす技術は今のところなく
それが完成するまでに5年くらいかかることも同様に。

「Jアラート」も「PAC3」も「コント」だという事実の共有を是非。
もちろん首相官邸はそれらを知っているはずで。

これが「現在の『大本営発表』」。
その種の「情報」に踊らされることのないように。

そしてマスメディアは「不安を煽る」のが「基本」であることも同様。
要はかつての「戦時」が繰り返されているわけで。

バカバカしいことこの上ない「現実」よ。

少なくとも国民としてはこれ以上バカにされる所以などなく。
ここまで舐められていいいんですかと問いたいだけ。
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「バラバラであることの弊害ふたつ」について

2017-09-18 02:02:56 | Weblog
くもり。夜9時頃から深夜1時過ぎまで暴風。

ジョン・ロンソン「ネットリンチで人生を壊された人たち」を読む。

このネタにここまで突っ込んで取材する著者の情熱の行方やいかに。
冒頭に出てくる自身のツイッターの「なりすまし」があったせいなのか。

「記事の捏造」を暴かれた者と暴いた者の関係。
「冗談ツイート」のつもりが「人種差別主義者」として「炎上」した女性。

「下品なジョーク」を写真付きでツイートされ失職した男性。
逆にそのツイートが反感を買って同じ憂き目にあった女性など。

それ以外にもあれこれあるのだけれど
「ツイッターあるいはフェイスブック」という「メディアへの無知」が基本かも。

「全世界に公開される」ことからすると
「ネタ次第」であらゆる非難中傷にさらされる危険性があるのは当然のはず。

わが国でもこの種の「事件」はいろいろあり。
彼ら彼女らはあまりにも「無神経」だったかも。

とはいえその一方で「事実関係」も十分に把握しないまま
多くの人々が「炎上」に参加する事実を忘れずに。

「『正義』に加担すること」はおそらく麻薬のような効果がありそうな。
そのことで自身の「不全感」がカタルシスを得る仕組みの「罪深さ」。

「『気のきいた』発言」で「他者からの承認」を得たいという気持ちもおそらく。
少なくともそうした「環境」があることは確か。

ここで「灯台下暗し」という言葉を思い出したいもの。

身近な周囲からの「承認」が得られないと人はついつい「違う場所でのそれ」を求めるもの。
「不特定多数の他人からの承認」を「良し」とする価値観の「源」を思い出そう。

「数字はウソをつかない」というのは通常「他の何者も信用できない者」が発する言葉で。
その「不信」がなぜ生まれたのかを考えてみてもいいだろう。

あまりに「個人の快適」を求めると人はバラバラにならざるをえない。
「快適の基準」は人によって異なりその細かい部分を埋めるのが「快適」になるから。

マル激を観る。

毎年必ず死者が出ている水害対策に
地震と違って全く税金が投入されていないことを知る。

東京が「世界一危険な都市」であることも同時に。
世界的な保険会社の「査定」なのでよろしく(2位を5倍引き離すダントツぶり)。

地形や川のあれこれと歴史を知るのが重要な模様。
かく言う自分も「0メートル地帯の住人」のくせに水害には鈍感の極み。

地下鉄がビルやその他の施設とつながっているせいで
いったん水が来たらどこまでも流れて行くのを可能にしている事実も。

「エジプトはナイルの賜物」のように
かつて先人たちは「洪水=水害」を受け入れて暮らしていたり。

「祭り」が「共同体」を維持するためのものであるのは言うまでもないけれど
「かつての災害体験」を思い出すためのものでもあったというのにふむふむ。

「知恵」を失って久しいわれわれの「貧しさ」を噛みしめるのみ。
「手近な出費」を惜しんで「未来の損失」を見ない視野狭窄も同様。
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「素敵な古典ふたつと歯痒さ」について

2017-09-17 02:20:23 | Weblog
雨。終日そぼ降る。

今宵は仕事場の研修で老舗バーへは行けず。

D・H・ロレンス「黙示録論」を読む。

「現代人ははたして他者を愛しうるか」
この問いとその答えは今でも十分に通用する内容。

ロレンスは「コスモスとともに生きよ」というのだけれど
今さらそれが可能だとも思えず。

「個人」としては「聖人」になることがあっても
いざ他人と関わりを持った途端そこに「支配」が忍び込むこと。

そして「劣等感ゆえの優越思想」が描き出す「復讐の醜さ」よ。
第二次大戦におけるドイツを思い出すのもいいだろう。

あまりに悲惨な状況に追い詰められると誰もがそうなるのは覚えておくべきか。
福田恆存が「ここ」から出発したのは不勉強にも知らなかった次第。

「人間論」として秀逸。
このあたりが「常識」になると人は少しだけ「寛大」になれるかも。

セシル・B・デミル「海賊」(’38)を観る。

群衆シーンの素晴らしさをあらためて。
キャストについても同様。

フレデリック・マーチの「劣等感と潔さ」、フランシスカ・ガールの「田舎娘の純情」、
エイキム・タミロフの「異形の者のやさしさ」(グレチェンを異なる愛称で呼ぶユーモアよ)。

イアン・キースの「策士の狡猾」、ウォルター・ブレナンの「友情とマイペース」、
ヒュー・サザーンの「将軍の毅然」、ビューラ・ボンディの「ルールの硬軟」など。

「国籍のない」海賊のボスが愛する彼女のために「尊敬される存在」になろうとするものの
部下の行った「ルール違反」のせいでその責任を取り再び海へ戻るお話。

昔の「アメリカの歴史」のお勉強にもなる内容。
「独立の複雑さ」を知っておこう。

「町を救ったはずの英雄」が「同胞の乗った船を襲った海賊」だとわかった途端
手のひらを返す「民衆の怖ろしさ」も忘れずに。

毎日この種の作品に接していればいいものをと思いつつ
それが出来ない自分が歯痒い限り。
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「大人と子どもであること」について

2017-09-16 03:15:05 | Weblog
晴れ。やや雲が多い。

ギャビン・ランバート「ジョージ・キューカー、映画を語る」を読む。

「椿姫」(’37)「フィラデルフィア物語」(’40)「ガス燈」(’44)
「アダム氏とマダム」(’49)「スタア誕生」(’54)「マイ・フェア・レディ」(’64)。

残念ながら観たことのある作品はこれくらいだったはず。
いずれも素敵なものばかりだけれど。

「職人気質」が「作家主義」を拒絶するのにふむふむ。
もちろん映画が「総合芸術」であることは確かで。

ただ「女優を輝かせる」という「特徴」は否定しがたく。
当人は「男女を問わず」だというものの。

上に挙げた作品ではグレタ・ガルボ、キャサリン・ヘップバーン、イングリッド・バーグマン、
ジュディ・ガーランド、オードリー・ヘップバーン。

シェリー・ウィンタースのデビューにも関わっていた模様。
ヴィヴィアン・リー、マリリン・モンロー、ソフィア・ローレンらとも。
 
詳細は本書まで。
幼い頃から上等な演劇を観ていたニューヨーカーらしい人柄が好ましい。

その一方。

きちんとしたインタヴュアーが相手から「いい反応」を引き出すことをあらためて。
「通じるものがある」と思えば人は「本音」を話す当然よ。

「理想的なコミュニケーション」のかたちを見たような。
ただしこれはほぼ「奇跡」なのが残念なところ。

深夜「女子ーズ」(’14)をながら見する。

ある程度観る気になったのは主演の5人ゆえ。
桐谷美玲・藤井美菜・ 高畑充希・ 有村架純・山本美月。

個人的にあまりお目にかかっていないのは藤井美菜。
彼女は韓国語を操る「国際派」らしい。

作品そのものはどうにも。
この「幼稚さ」と女優陣の「アンバランス」が敢えて言えば「魅力」なのか。

いやはや。

「落差」はジェットコースターどころではない模様。
「舞台」と「お遊戯会」ほどの差があり。

これも同じ「映画」と呼ばれることを思うと複雑な気持ちになる。
「可愛いだけ」じゃ物足りないこと夥しいのだが。
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「無限の宇宙と有限の自分」について

2017-09-15 02:13:11 | Weblog
晴れ。夜風が少し冷たい。

デビッド・デボーキン&ロバート・W・スミス
「ビジュアル ハッブル望遠鏡が見た宇宙 『コンパクト版』」を見て読む。

見上げれば空はいつも宇宙に続いているはずなのに
そこに何らかの思いがないのは残念なことだろう。

本書に載せられた写真はもちろん肉眼で見えるものではなく
データを元に「着色」したものだということを忘れずに。

それでもある種の「荘厳さ」を感じるのは
「宇宙の起源」に対する畏敬の念があるからか。

「宇宙の歴史」と比べてあまりにも短いわれわれの「寿命」が
「途方もない長さ」に頭を垂れているのかもしれず。

われわれの「認識能力」についても同じく。
所詮多寡の知れたものでしかなく。

思わず目が眩むような「現実」が刻々と進みつつある一方
ちまちました「現実」に右往左往するしかない卑小さよ。

そのことを噛みしめつつ
いつもとは違う視点で常に「世界」を眺めていたいもの。

職人が日々「挑戦」をし続けるのに似て。
「完成」の代わりに「新たな世界の姿」が見える楽しさが手に入るのだから。

繰り返すができれば「魅力的な人」に。
もちろん「見栄え」とは限らず。

仕事だろうと遊びだろうと「真剣」でないと。
おそらくその情熱はなにがしかの「プリズム」となって輝くはず。

肝心なのはそこに「無前提のルール」を持ち込まないこと。
それは「自分勝手にはめた箍」だと思うくらいが「まとも」だとしよう。
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「母親との『付き合い』あるいは『物語の必然性』」について

2017-09-14 02:08:31 | Weblog
晴れ。やや風が吹く。

近くのブックオフに本を売りに行くことに。

古本屋で100円で買った新書ばかりなので530円。
母親の「片付け」に従ったのみ。

ときどき日曜に図書館へ行けないことがあり
そのせいでたまった本の結果。

竹中直人「役者は下手なほうがいい」を読む。

著者は「愛の人」だと再確認する。
巻末にある幼い頃の作文を読むといっそうそのことがわかる感じ。

「なんでこの楽しい時間が終わっちゃうの?」
こういう切ない疑問は「愛」がないと思えないもののはず。

またまた母親に付き合ってグラチャン・バレーを観る。

全日本チームはサーブレシーブとブロックの技術が劣ることを知る。
相手のブロックに当てて攻撃を立て直すのも下手。

「若さゆえ」と思えば「普通のこと」か。
地元でこの出来ではまだまだ「世界」とは戦えない。

今回の経験をどう生かすかがポイントのよう。
おそらくは「全敗」になったとしても。

Gyaoで「ザ・コア」(’03)を観る。

松田聖子も出た「アルマゲドン」(’98)のさらに「廉価版」といった趣き。
おまけに主人公のカップルは助かるのだから何ともはや。

クセのあるキャラクターが集められ「戦い」に挑むのは「七人の侍」(’54)パターン。
そうなると「いかに死ぬかとその順序」がポイントだが描き方がいかにも浅い。

冒頭はちょいと科学的だったりするもののその後はほぼ「喜劇的」。
「圧力への言い訳」がなされている台詞に笑った次第。

「地震発生装置」などが出て来るのは「オウム真理教」に似て。
「コア」にまで行く乗り物がほぼ「ミミズ」なのもなんだか「哀しい」。

もちろんその構造にはある程度の「理由」はあるものの。
「ガイア理論」を採り入れたところもありそう。

「コントロールセンター」と「現場」のやりとりも薄く。
「未知への飛行」(’64)くらいの緊張感がないとどうにも。

「地球内部」の描写はまるで「ミクロの決死圏」(’66)。
「白血球」と「鉱物」にあまり違いは感じられぬまま。

まあ「突っ込みどころ満載」という意味では「楽しい作品」ではある。

「物語の必然性」を考えるとあれこれ「文句」が出る次第。
もっともそれを忘れさせる「魅力」があればこうはならないのも事実だったり。

さて。

もうちょいとゴソゴソして寝る。
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「岩石あるいは『原石』を見極めること」について

2017-09-13 02:37:39 | Weblog
くもり。夕方から晴れる。

チームG編「薄片でよくわかる岩石図鑑」を見て読む。

さまざまな岩石がどのように出来るのかを
ダイナミックな「地球の構造」とともにもっと知りたかったところ。

本書はそのあたりの「ワクワク」より
「岩石の実態と保存」に中心があったようでいささか残念。

もっとも「自然が生み出す美術」としての岩石にはふむふむ。
何とも不思議な構造と色には驚くのみ。

「分析のための実技の紹介」もあるので
この世界を目指す人々には「実用書」の役割を果たすのかも。

英勉「貞子3D」(’12)をGyaoで観る。

石原さとみの魅力はその鼻と唇にあることをあらためて。
橋本愛の相変わらずの「美少女ぶり」もありつつ。

平祐奈のキュートさはCMで観ていたが姉の可愛さとは異なるもの。
やや「和風」が強いといった感じ。

物語そのものはむしろどうでもよく。
「貞子の取り巻き」を「蜘蛛のような虫」にしたのが取り柄ではあるのか。

おぞねせいこは「魅力的」だがもったいない使われ方。
この少ない出演で印象を残す「力」は確かなものだけれど。

本作は作品の質より「女優陣」を見るべき作品だと思われる。

それにしても。

キャスト紹介がいささか「情報不足」のような。
公式サイトを見てもどうにも「愛情のない作り」としか思えず。

ちゃんと全部紹介しようよ。
もちろん「主なキャスト」だけでいいので。

少なくとも「可能性」を感じさせる俳優についてはしっかりやっていただきたい。
それがわからないようでは困るのだけれど。

さて。

明日は有給休暇。

おそらくいつものように過ごすはず。
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「傘袋=コンドームとラインのシステムあるいは評価されない才能」について

2017-09-12 02:19:41 | Weblog
くもりときどき雨。帰りにもパラパラ。

オーサ・イェークストロム「北欧女子オーサが見つけた日本の不思議③」を読む。

4コマまんがそのものはおとなしすぎて今ひとつ。
もっとも著者の日本語力不足のせいかもしれず。

「③」ということでやや「ネタ切れ」な感じもある。
唯一パンチがあったのは「透明な傘袋」を「コンドームみたい」というところ。

言われてみればなるほど。
底に水がたまっていると余計にそう思えるだろう。

ラインで友人を検索しようとしたら
「4ケタの数字」を忘れてうまくいかず。

「年齢認証」とやらがあってそれをクリアできなかったせい。
数字が書いてあるはずの書類の行方もわからず明日ショップに行くことになるかも。

その点については全く意識せずに使っていたので
あらためて「そういう仕組みなのね」と思った次第。

どうやら相手からも検索できないらしい。
この世界では「危険人物扱い」ということで。

先日観た「another sky」のすみれの回について。

「不倫は文化だ」などと言いもしない記事を週刊誌に書かれた父親のために
ハワイへの移住を与儀なくされ。

イジメに遭いつつ優秀な大学に進み演劇を学ぶものの教授から「人種差別発言」を受け。
日本に戻ってはみたが日本語より英語が自然で。

「どこへも行けない」彼女が見つけた「安住の地」はハワイ。
「ハワイ・ファイブ・オー」というテレビドラマにゲスト出演するチャンスを得て。

今年映画「アメイジング・ジャーニー 神の小屋より」で「ハリウッド」に。
歌も踊りも出来る彼女の評価はもっと高くていいはずなのだけれど。

かの名曲「黄昏のビギン」を歌っていたとは。
season in the son」も悪くない。

それにしても。

これだけ「才能と努力」を訴えても
わが国ではどうも「色物扱い」な感じが強いのはなぜなのだろう。

あまりに「不当な扱い」としか思えないのだが如何。
むしろ彼女に比べたら「劣る」はずの「父親の影」をいつまでもまとわせるのは何故。

これもわが国特有の「悪い磁場」のせいか。
素敵な才能はきちんと評価しないいとどうにも。
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「アメリカの暗部あるいは原爆の起こした『現実』を知る国の基本」について

2017-09-11 02:10:59 | Weblog
晴れ。久方ぶりに昼寝する。

町山智浩「最も危険なアメリカ映画」を読む。

観たことのある作品からそうでない作品まで。
基本は「差別の歴史」をあらためてという感じ。

あまり映画を観ていない向きには
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(’85)「フォレスト・ガンプ」(’94)が意外なはず。

個人的に懐かしいのは「國民の創生」(’15)「エルマー・ガントリー」(’60)
「群衆」(’41)「影なき狙撃者」(’62)「オール・ザ・キングズメン」(’49)など。

「アメリカの暗部」を知りたければいずれの作品も是非というところ。
ビリー・ワイルダー「地獄の英雄」(’51)が採り上げられてもよかったような。

ウォルト・ディズニーが案外「ヤバい人」だったことも覚えておこう。
要は「人と作品は別物でもあり同じでもある」という「複雑さ」について。

著者の判断の良し悪し以前に
「人の複雑さ」を知るためには絶好の教材だと言っておく。

このあたりを踏まえていると
「単純な決めつけ」がいかに「世界」を捉えていないかがわかる次第。

NNNドキュメント「なぜアメリカ人はヒロシマに? 高まる核の脅威の中で」を観る。

おそらくはオバマ前大統領の広島訪問も手伝って
今まで以上に多くのアメリカ人が広島に来るようになっている模様。

「原爆のもたらしたもの」を自分の目で確かめると
当然のことながら「核兵器廃絶」に賛成な人が増える。

高齢者より若い世代がより敏感に反応しているのにふむふむ。
戦後72年目にしてようやく伝わる「事実」よ。

これがアメリカだけでなくもっと広まって「世界の常識」になれば。
広島・長崎の人々が敢えて北朝鮮を訪問するというのも「アリ」ではないのか。

「わが国の歴史」を活かす手段をもっとあれこれ考えたいもの。
おそらくそれは一国の「勝敗」には関係なく「万人のため」になるから。

いずれにせよ「核爆弾による悲劇」を知っているのはわが国。
より多くの人々に事実を伝えることをさらにしていかなければならず。

もっともわが国が「核の平和利用」などということに邁進した事実も。
そして東北大震災で大切な「故郷」を失ったことも。

それらを「国のあり方の基本」にしなければどうにも。
「歴史に学ぶこと」の意味はそこにしかないだろう。
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「たまねぎと虚構の姉妹あるいは素人役者の魅力」について

2017-09-10 02:03:07 | Weblog
晴れ。だったはず。

今宵も老舗バー。

神経科のお医者さんが「グチャグチャ言うのがうるさい」とグチャグチャ言う。
おすそわけで飲んだウイスキーは気が抜けたのとまろやかなのと(高価なものらしい)。

八丁味噌和えのたまねぎが案外サッパリしてうまい。
このところたまねぎばっかり食べている感じ。

牛丼のそれとオムレツのそれ。
飲んだ後のスッキリ感が違うような。

帰宅後シャワーを浴びて二階へ。

ちょいとすっきりしたかったゆえ。
いつもの焼酎を飲み直しつつ。

マスターが「うまいものが食いたい」と言う。
「某えびふらい県」のデパートの食べ物屋がマズイのは何故かと聞いたり。

「タモリ倶楽部」の再放送を観る。

阿佐ヶ谷姉妹の微妙な面白さにふむふむ。
「姉妹という虚構」の味わい。

それで言えば「叶姉妹」もそうか。
両者にはいかにも「格差」がありそうだが案外似ている。

「空耳アワード 2017」を引き続き。

有田久徳の「脱ぎ業」が相変わらず。
「おやすみアンコ」と「お先に」が素敵。

主演男優賞の藤田佳彦の魅力よ。
58歳独身。

みやぞんも出ていたりした模様。
ちょいと笑える世界。

さて。

眠くなったら寝る。
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