退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ロマン主義あるいは聖人君子」について

2017-09-08 02:06:20 | Weblog
くもりときどき雨。傘は使わず。

カール・シュミット「政治的ロマン主義」を半分くらい読む。

昔のドイツを知っていた方が理解しやすい内容か。
「ロマン主義」は「機会主義」だと。

いわゆる「牧歌的なもの」にその「定義」を求めても無駄らしい。
「現実」を否定し「理想」を謳うものの自ら「現実」を変えようとはしないのだと。

その基本は「気分」だから
「状況」によってあらゆるパターンをとるというのにふむふむ。

明日どういう結末になるかが楽しみ。

さて。

TVのニュースは政治家の「不倫問題」で盛り上がっているのだけれど
「どうでもいい」としか思えず。

どんな職業であろうと「どういう仕事をしたか」のみが重要で
それ以外は大して問題ではない(犯罪は別として)。

次々に新たな女性と付き合い女性同士を反目させて楽しんでさえいたピカソが
そのことを理由に「画家を辞めろ」と言われる「おかしさ」を思ったら。

もちろん今回の政治家がそれほど「素晴らしい存在」ではないのは確か。
それでもいい加減に「他人の素行」をあげつらうのは止した方がいい。

「聖人君子」を求めるのは自分がそうでないからくらいに思ったらどうだろう。
「ゲスを求める需要」があるからこそ「ゲスの供給」もあるわけで。

要は「ゲスを求める人々」も「ゲスであること」。
そこを十分に踏まえておかないとどうにも。

ここまでされる「危険性」が明らかである以上
敢えて「政治家という職業」を選択する人々は余程の「豪胆」か「莫迦」しかいない。

かくして「政治の世界」における人材供給はますます貧しくなる一方。
「松下政経塾」を嗤っているどころではなくなるはずで。

「政治家のレベルは国民のレベル」。
むしろそう反省すべきところではないのか。

さらに言えば。

「聖人君子」は他人に求めるものではない。
自分でやれ。

それが出来なければ「お互い様」でいいじゃないの。
コメント
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