退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ほぼ90年前の世界でさまざまに暮らしていた人々のあれこれと『異常』は『常識』によって測られることあるいは『貧しさ』を認識できない事実」について

2021-10-28 02:44:24 | Weblog
くもり。晴れの予想だったが。

谷譲次「踊る地平線(下)」を読む。

「血と砂」の闘牛のスペインからポルトガル。
モナコはモンテ・カルロのカジノの妖しさに至り。

イタリアの「スパイ騒動」やスイスはサン・モリッツの「冬のスポーツ」など。
そしてようやくの「帰国」まで。

いろんな姿で生きていた人間たちよ。
そこに少し「物語」を加えて。

しっぷ・あほうい!
「そして船は行く」という趣き。

繰り返すが1928年からその翌年までのあれこれ。
この旅を知らないのは損なはず、えいんねっ?

2作ほど映画を観たのだけれどいずれも微妙。

前者は「エロもの」で後者は「カルト+エイリアンもの」。
たまにはこういう日があってもいいか。

「欲望がそそられる」のは実は「隣の芝生は青い」せいだったり。
「ひたすら好きにすればいいだけ」なのに。

「神経症」を映画にしても面白くなく。
「狂う」なら魅力的にと思うのみ。

いずれにせよ「異常」は「常識」によって測られる。
もっともややこしいのは「常識」が「時代によって変わること」。

ニュースで熱湯をかけて幼子を殺した夫婦の事件を知る。
「ふたりだけの世界」が好ましいなら「養子」に出せばいいのに。

「そうした手段」を知らないゆえの「貧しさ」を覚えておこう。
「無知がもたらす残酷さ」はかつての「間引き感覚」に近く。

かくも「弱きもの」が悲惨な目に遭うのは。
夫婦が「その種の存在」だったからと思えばいいだろう。

実はあらゆる場所で起きている「現実」。
例えば息子による「母親の死体遺棄」は「どう処理したらいいのかわからない」だけだったり。

「無職」ゆえに「年金」を得たいがためもあるのだろう。
つまりは「最低限の生活」を維持する方策を「知らない」ため。

こうした「圧倒的な貧しさ」が各地に。
残念ながらこの種の事実をマスコミは「事件」としてしか報じず。

「貧しい者たち」の「娯楽」は「弱い者いじめ」になりがちで。
彼ら彼女らの「貧しさ」をどうにかしないとどうにも。

つまりは。

「現実に関する認識」がどこまでいっても「まとも」ではなく。
わが国はすでに「発展途上国」で「途方もない貧しさ」が「普通」であるのだから。
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