退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「色事を描いた中国の古典とセンスが好ましいデビュー作」について

2024-10-05 02:05:29 | Weblog
雨。また夜に止む。

伏見冲敬訳「完訳 肉蒲団」を読む。

「才子」だが色好みな未央生は孤峯の忠告に耳を貸さず「佳人」を探す旅に出るものの。
あれこれあった挙句「放蕩息子の帰還」となるお話。

「仙術」によって小さかった陽物を「無敵」にするのが笑える。
「佳人たち」はそれぞれにその虜になるという実に「都合のよい物語」。

基本は「男目線」で。
彼にとって好ましい貪欲な女たちの姿が描かれる次第。

第一回の著者の「言い訳ぶり」もなかなか。
「道学を説いても誰も耳を貸さないので多少淫猥になっても」と言うのだけれど。

「色事」は何より「元手がかからない遊び」で。
ただし常に「道徳」に責められるもの。

安部譲二が語っていた日本航空時代の女子の姿を思い出したり。
そういうことって昔からあるのねとあらためて。

クリストファー・ノーラン「フォロウイング」(’99)を観る。

監督が「時制をいじる」のはこの頃からなのだということを確認する。
モノクロの映像と音楽がシャープで。

作家志望の男が何気なく始めた「尾行」がもたらしたものとはというお話。
なるほど今年で公開から25周年になる模様。

70分という長さで十分に描かれるのを覚えておこう。
物語はヒッチコックで言うなら「見知らぬ乗客」(’51)に近いのか。

「謎の女」ルーシー・ラッセルの魅力よ。
彼女はいわゆる「ファム・ファタール=運命の女」ということで。

大量の紙幣を持ち出す手段として。
「ガムテープで身体中に貼り付ける」のも忘れずに。

このセンスは実に好ましいけれど。
その後の監督作品はというといささか微妙かも。
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