退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「HOWしかわからないこととセンスを競うこと」について

2017-09-22 02:06:39 | Weblog
晴れ。日差しはまだ熱い。

ジェイムズ・ガードナー「バイオコスム」を途中まで読む。

副題に「生物学と宇宙論の来たるべき融合」。
さまざまな理論のいいところをまとめた内容。

個人的には「目的論」にあまり意味を感じない。
われわれの想像を超える「試行錯誤」が行われた結果が現在だと思うのみ。

「宇宙=生命」というのには賛成。
人類は「進化から取り残されたガラパゴス的存在」くらいでいい。

残念ながらわれわれの想像力は多寡が知れたもののはず。
「奇岩」を見て「奇跡」だというのはその作用を知らないからで。

そもそも「意味を見つけたがる」のは何故かと言えば
「意味などないから」というのが「基本姿勢」でいいのではないか。

つまり。

「HOW」はわかるが「WHY」は永遠にわからないということ。
敢えて「なぜ?」と問うことに意味があるとは思えない。

繰り返すがおそらく「因果」はわれわれには捉えきれず。
もっとも将来の人工知能が何らかの「答え」を出すことはありうる。

ただしそれでも「何故なのか」はわからないだろう。
「鏡の中の鏡」はどこまでも続くだけ。

「プロジェクト・ランウェイ シリーズ13」を途中まで観る。

インド出身のデザイナーの評価が高いのは
おそらく「今まで見たことがない感覚」を評価するから。

ここまで集中して見るといささか飽きてくる。
番組の「形式」は同じだから。

「センスを競うこと」とそれを「審査すること」の微妙さよ。
「ダメなもの」だけがハッキリする残酷も。

観客としてはその模様を楽しむのみ。
この「世界」の忙しさにウンザリしつつ。
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