晴れ。夜にはまた冷える。
中古智・蓮實重彦「成瀬巳喜男の設計」を今頃読む。
映画作品において美術監督が内容を決めることがあることを知る。
「プロの仕事」というものの凄さにあらためて感じ入ることしきり。
一方でその美術監督の思いをきちんと受け止められる監督がいる。
実に「贅沢で幸福なコミュニケーション」。
さらにはそうした「事実」を引き出すインタビューの技も忘れずに。
取材相手に「何事か」を感じさせることが「秘訣」。
いずれも相手の仕事ぶりを「正確に」捉えることのできる「視線」を持っているかどうか。
自らを省みると心許ない限りで。
「総合芸術としての映画」においては
「チームプレイ」の素晴らしさが浮かび上がる格好。
ある種の好ましい「水準」はたとえばサッカーにおいても同様。
「キラーパス」はそれを可能にする「出し手」と「受け手」がいて初めて「成立する」ということ。
そしてそれらを「正しく評価する者たち」も必要。
もっとも「不幸な出会い」もあるのでそのあたりは「巡り合わせ」なのか。
できれば「いいもの」を見分けることのできる「視線」を持ちたいもの。
そして「何事か」を感じさせる「発信」もできれば。
いかにも「野暮」な望みだと知りつつ
あれこれと気の多いままに。
「ゴジラ」が監督以外は「成瀬組」で撮られたことを迂闊にも初めて気付いた次第。
いやはや。
「頼りない自分」とは我慢して付き合うよりない。
中古智・蓮實重彦「成瀬巳喜男の設計」を今頃読む。
映画作品において美術監督が内容を決めることがあることを知る。
「プロの仕事」というものの凄さにあらためて感じ入ることしきり。
一方でその美術監督の思いをきちんと受け止められる監督がいる。
実に「贅沢で幸福なコミュニケーション」。
さらにはそうした「事実」を引き出すインタビューの技も忘れずに。
取材相手に「何事か」を感じさせることが「秘訣」。
いずれも相手の仕事ぶりを「正確に」捉えることのできる「視線」を持っているかどうか。
自らを省みると心許ない限りで。
「総合芸術としての映画」においては
「チームプレイ」の素晴らしさが浮かび上がる格好。
ある種の好ましい「水準」はたとえばサッカーにおいても同様。
「キラーパス」はそれを可能にする「出し手」と「受け手」がいて初めて「成立する」ということ。
そしてそれらを「正しく評価する者たち」も必要。
もっとも「不幸な出会い」もあるのでそのあたりは「巡り合わせ」なのか。
できれば「いいもの」を見分けることのできる「視線」を持ちたいもの。
そして「何事か」を感じさせる「発信」もできれば。
いかにも「野暮」な望みだと知りつつ
あれこれと気の多いままに。
「ゴジラ」が監督以外は「成瀬組」で撮られたことを迂闊にも初めて気付いた次第。
いやはや。
「頼りない自分」とは我慢して付き合うよりない。