退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「気付くことと気付かないこと」について

2012-03-14 03:16:36 | Weblog
晴れ。夜にはまた冷える。

中古智・蓮實重彦「成瀬巳喜男の設計」を今頃読む。

映画作品において美術監督が内容を決めることがあることを知る。
「プロの仕事」というものの凄さにあらためて感じ入ることしきり。

一方でその美術監督の思いをきちんと受け止められる監督がいる。
実に「贅沢で幸福なコミュニケーション」。

さらにはそうした「事実」を引き出すインタビューの技も忘れずに。
取材相手に「何事か」を感じさせることが「秘訣」。

いずれも相手の仕事ぶりを「正確に」捉えることのできる「視線」を持っているかどうか。
自らを省みると心許ない限りで。

「総合芸術としての映画」においては
「チームプレイ」の素晴らしさが浮かび上がる格好。

ある種の好ましい「水準」はたとえばサッカーにおいても同様。
「キラーパス」はそれを可能にする「出し手」と「受け手」がいて初めて「成立する」ということ。

そしてそれらを「正しく評価する者たち」も必要。
もっとも「不幸な出会い」もあるのでそのあたりは「巡り合わせ」なのか。

できれば「いいもの」を見分けることのできる「視線」を持ちたいもの。
そして「何事か」を感じさせる「発信」もできれば。

いかにも「野暮」な望みだと知りつつ
あれこれと気の多いままに。

「ゴジラ」が監督以外は「成瀬組」で撮られたことを迂闊にも初めて気付いた次第。

いやはや。
「頼りない自分」とは我慢して付き合うよりない。
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