退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「早期外国語教育より母国語教育をということ」について

2016-08-03 02:40:12 | Weblog
晴れときどきくもり。今日も雷と雨。

昨日はさすがに疲れて寝てしまう。

今日は科学系の本を読んだもののやや荷が重く。
数式を全部理解するほどの余裕もなく終わる。

そう言えば安田敏朗「国語審議会 迷走の60年」を読んだのだった。

戦中は植民地の住民たちに「わかりやすい日本語」を与えるため
戦後は「敗戦」から「生まれ変わる」ためにいろんな意見が出た模様。

それぞれの「情熱」を納得するのはやや難しそう。
「まともな日本語」を「普通の人々」が使えなくなりつつある現代はいかに。

個人的な結論は「国語審議会などいらない」という簡潔なもの。
それぞれが好きな言葉を自由に使えるのが好ましいだけ。

ひとつだけハッキリしているのは
できれば「いろんな日本語」を使える方が楽しいかもということ。

「これしか知らない」もしくは「こうしか言えない」というのは避けたい。
もっともそれが今となってはかなりの「贅沢」であることは承知の上で。

少なくともどこかから「これを使いなさい」と言われる筋合いはないはず。

さて。

どうやら小学校の5年から英語を教えることになる模様。
繰り返すが母国語もその文化も歴史も満足に知らないまま英語を学んでどうしようというのか。

ひょっとして「圧倒的な英語コンプレックス」のなせる業だとしたら迷惑なだけで。
これらの「システム」を推し進める人々を具体的に知りたいもの。

「伝えたいものがあってこその外国語」だという「事実」を知ろう。
さらには向こうからこちらに歩み寄る手段もあるわけで。

ある時代の「限定的な思い」のみによって
あれこれ「要らぬこと」をするのはやめていただきたい。
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