晴れ。今日もあたたか。
石田英敬、吉見俊哉、マイク・フェザーストーン編「メディア哲学」を読む。
内容が面白いかというと微妙。
こちらの理解力不足のせいならいいのだが。
感覚器官によってしか「世界」を見られないわれわれの「条件」が
さまざまなメディアによって「馴致」されさらに「特定の条件付け」をされると。
わかりやすく言えば電車の中でスマホを見ている客が増えること。
自分好みの情報しか見ないので「世界」が動かなくなることなど。
そのことに敏感であるべきだというのはいいとして
そこに「新たな展開」はあるのかどうか。
活版印刷、写真、レコード、ラジオ、映画、テレビ、ヴィデオ、CDなど。
「記録媒体」が「発達」するたびにわれわれの「記憶能力」が「衰えた」だけ。
どれだけ「情報」が増えようと結局それを判断するのは人間でしかなく。
「ビッグデータ」が従来とは異なる判断をもたらすことがあるとはいえ。
どんなテクノロジーであろうと「許容する」のが人間ならば
気になるのはテクノロジーの「判断」が人間の判断に優先される時のみ。
株に関してはすでにそのような状況が「現実」になっているのだろうか。
だとするならその「世界」についての「報告」がほしいところ。
おそらくある種の「カオス」が発生しつつそこそこに収まるような予想など。
「振れ」は大きくなるとは思うけれど。
さて。
日曜はどうやら血縁関係で近くの川べりに出かけて花見などすることになりそう。
図書館に行けるかどうか。
ありがたいことはあれこれあれどもどうにもめんどくさいのが身内。
とりあえず寿命が来るまでは許容するつもり。
石田英敬、吉見俊哉、マイク・フェザーストーン編「メディア哲学」を読む。
内容が面白いかというと微妙。
こちらの理解力不足のせいならいいのだが。
感覚器官によってしか「世界」を見られないわれわれの「条件」が
さまざまなメディアによって「馴致」されさらに「特定の条件付け」をされると。
わかりやすく言えば電車の中でスマホを見ている客が増えること。
自分好みの情報しか見ないので「世界」が動かなくなることなど。
そのことに敏感であるべきだというのはいいとして
そこに「新たな展開」はあるのかどうか。
活版印刷、写真、レコード、ラジオ、映画、テレビ、ヴィデオ、CDなど。
「記録媒体」が「発達」するたびにわれわれの「記憶能力」が「衰えた」だけ。
どれだけ「情報」が増えようと結局それを判断するのは人間でしかなく。
「ビッグデータ」が従来とは異なる判断をもたらすことがあるとはいえ。
どんなテクノロジーであろうと「許容する」のが人間ならば
気になるのはテクノロジーの「判断」が人間の判断に優先される時のみ。
株に関してはすでにそのような状況が「現実」になっているのだろうか。
だとするならその「世界」についての「報告」がほしいところ。
おそらくある種の「カオス」が発生しつつそこそこに収まるような予想など。
「振れ」は大きくなるとは思うけれど。
さて。
日曜はどうやら血縁関係で近くの川べりに出かけて花見などすることになりそう。
図書館に行けるかどうか。
ありがたいことはあれこれあれどもどうにもめんどくさいのが身内。
とりあえず寿命が来るまでは許容するつもり。
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