退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「雑草の楽しさと『擁護されるべき自由』あるいは『圧倒的に鈍感なわが国の民度』」について

2019-06-21 02:22:41 | Weblog
晴れ。32度だとか。

根本正之「雑草社会がつくる日本らしい自然」を読む。

冒頭の写真の風景はそれぞれに好ましいけれど
全体の内容は素人にはやや複雑すぎるかも。

むしろひとつの雑草に絞って詳しく書いてもらった後で
横の拡がりを教えてもらった方がよかったような。

毎日歩く道端にはさまざまな雑草が生えているので
少しは個体として認識したいと思って借りてきた次第。

素敵な色彩を教えてくれる花々も悪くないが
固有種が何気なく共生している姿もなかなかに魅力的。

近所に雑草の専門家でもいればありがたいものの。
とりあえずよそ見しながら歩くことは今後も変わりなさそう。

フィリップ・ノイス「ギヴァー 記憶を注ぐ者」(’14)を観る。

「平和な共同体」が実は色彩も感情も薬によって抑制された「世界」。
職業も言葉遣いも生死も長老たちによって決められ。

いたずらに酷い争いを引き起こす「人間の弱さ」を思って
長老たちは「争いのない世界」を実現するために徹底した「管理」を。

「記憶を受け継ぐ者」として選ばれたジョナスはそれらを知って違和感を覚え。
「永遠の友情」を誓ったフィオナやアッシャーにそのことを伝えようとするのだがというお話。

「敢えて自由を選ぶこと」に意味を見出した物語は
むしろあらためて「われわれの愚かさ」を浮き彫りにして考えさせる仕組み。

「ギヴァー」にジェフ・ブリッジス、長老の代表にメリル・ストリープ。
「ギヴァーの娘」にテイラー・スイフトなど。

ジョナスの父親は名優ステラン・スカルスガルトの息子アレクサンダー。
母親には「鬼教師ミセス・ティングル」(’99)が懐かしいケイティ・ホームズなど。

本作は「自由の回復」が「ハッピーエンド」として描かれている。
ただしわれわれがそれを本当に「意義あるもの」に出来るかどうかは微妙。

もちろん「香港の現在」については「自由の維持」を応援したい。
ことわが国に関して言えばそうした「リアルな危機」を感じられるのかは相当にあやしい。

すでに「好ましくない言論」が封じられつつあると同時に
どこにも「好ましい議論」がない現在を思えば。

「現在の権力者たち」が圧倒的に「インチキ」である一方
われわれの「民度」がそれを「保証」していることを忘れずに。
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