退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「どうしようもないこと」について2

2015-06-16 03:01:06 | Weblog
『晴れ。暑い。

鈴木大介「最貧困女子」を読む。

「貧乏」は「少ない収入でも周囲との関係で楽しく暮らせる」こと。
「貧困」は「少ない収入で楽しく暮らせる関係を断たれる」こと。

とりあえずそう「定義」するとわかりやすいのか。
著者のさらに具体的な「定義」は以下の通り。

「三つの無縁=家族・地域・制度」と「三つの障害=精神・発達・知的」を
「同時に抱えている存在」が「最貧困女子」だと。

いまだにあるいは今だからこそこんな「現実」があるのかとあらためて思った次第。
なるほど街行く人々の表情が「死んでいる」背景はこれかと。

それぞれに「抱えきれないもの」があって。
ここまでひどくはなくとも似たようなことがおそらく「日常」なのだろう。

正直彼女たちを受け止められそうにない。
「聖人」と「医者」と「制度」の組み合わせでどうにかならないものかと思うのみ。』

と書いて昨日は寝る。

くもり。蒸し暑い。

永田浩三「NHKと政治権力」を読む。

副題に「番組改変事件当事者の証言」。
プロデューサー長井暁の記者会見はマル激で見た記憶がある。

「慰安婦問題」を扱った番組が自民党の政治家の「圧力」によって改変させられたという話。
その政治家の中には現首相の名前も。

なるほど「大きな組織」の中にいるとこうなるのかという内容。
今どき「ジャーナリスト」をするなら苦しくとも「フリー」が望ましい実態がここに。

法律によって予算を握られている「弱味」は
結局「スポンサーに対する弱味」であることはどのTV局でも同じこと。

ただし予算の原資を作っているのは国民なのだから
政権与党がそれをどうにかできる「システム」がおかしいのも事実。

「三権分立」と言いながら内閣が最高裁長官を決める「インチキ」に目をつぶるようなもの。
「仲間内の人間」を据えることが「当然」になる所以でもある。

それにしてもある種の「脅し」がまかり通る「世界」よ。
ちょっと前の選挙でTVに対して自民党はそれを堂々と行ったりしていたけれど。

さて。

繰り返すが「敵ながらあっぱれ」と思える関係は築けないものだろうか。
少なくともわれわれの「代表」はそうではない。

「話せばわかるか」という言葉は
徹底的に話した後でつぶやくくらいが「倫理」。

わが国において「生産的な議論」が行われる日が来るだろうかと思うと
残念ながら難しいと言わざるをえず。

「目クソ鼻クソを笑う」事態はいつまで続く「ぬかるみ」ぞ。
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