退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「人気アニメが残念ながら面白くないことと韓国のプレッシャーの凄まじさあるいは中国人と日本人の違いに関する解釈」について

2024-01-25 01:56:53 | Weblog
くもりときどき雪。ビニール傘に積って前が見にくいくらいの降りも。

昨日はまた爆睡。
疲れていた模様。

ようやく「呪術廻戦シーズン2 懐玉・玉折」を観終わる。
残念ながらやはり面白くないことを確認する。

物語が少し動いたのは虎杖と真人との戦いのあたりのみ。
といっても結局は「戦いの魅力」なのだが。

「仲間たちの死」もあまり活きていず。
物語がつながっていないので「退場するだけ」になっていて。

本作がウケているのだとすればこれも「劣化」か。
キャラクターと絵面にしか反応できないということで。

どうやら「歴史」はおろか「時間の流れ」にも意識が及ばないよう。
「その場限り」で感情を揺さぶられるのがお好きらしい。

チェ・ジウン「ママにはならないことにしました」を読む。

韓国では「ママにはならないこと」が相当に「異様」だと思われるよう。
もちろん当人たちの中にもあれこれ「迷い」はあるのだけれど。

かの国では子育ての経済的負担が異様に大きく。
わが国もそうだけれどその比ではないくらい。

夫婦で働いていても余裕がないほど。
ならば子どもを産まないという選択もむしろ「普通」になっておかしくないのだが。

祖父母や親世代の「結婚したら子どもを作るのが当然」というプレッシャーたるや。
「それが当然」と思う人々がもたらす「差別」についてあらためて。

繰り返すが時代とともに「常識」は変わるもの。
特定の時代のそれを他人に押し付けるのは出来ればやめた方がいいことは確か。

井上優「相席で黙っていられるか 日中言語行動比較論」を読む。

「自分と外国人との違い」が実は十分に理解できるものだという見立て。
少しだけ韓国語も交えて。

「自分の当然」をいたずらに優先することなく。
理解の仕方で「そういうことか」と納得できるのだと。

詳細は本書まで。
ただしこの種のことは現在では余計に難しいだろうと思うことしきり。

互いを非難する前に「実りある会話」をするのがすでに相当ハードルが高く。
「共通前提」も失われて久しく。

中国人が「会話」によって「われわれの場所」を作るという解釈を覚えておこう。
日本人はむしろ「相手の領域を犯さないこと」に腐心することも。
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