退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「消費」について

2012-04-15 02:46:10 | Weblog
くもり。小雨もパラつく。

ソウルバーへ行く。
マスターがあれこれと病気に襲われていることを聞く。

無理しないようにと伝える。
ランチは二週間後から始まる模様。

最初のうちは店にひとりきりだったけれど
その後お客さんもやってきてグッド。

お子の話に大いに笑い楽しい時間を満喫する。
繰り返すが興味のある向きは一度訪ねていただきたい。

「新しい貧困」読了。

著者について事実誤認があったので書いておく。
名前だけで勝手にドイツ人だと思っていたのだが実はユダヤ系ポーランド人だった。

1925年生まれで第二次大戦中はナチスの支配からソ連に逃れ
戦後母国に戻るものの「反体制運動」と「ユダヤ人差別」で教授職を失いイギリスに落ち着くことに。

なるほど「訳者あとがき」にあるように
そうした境遇が「世界に対する理解」を深めたというか「過去の再現」を見出すことになったのかも。

著者の「絶望と希望」を垣間見たような気分になる。
「同じ不幸」が繰り返されるのは誰にとっても耐えがたいことではあり。

「貧しさ」が「罪」だとされ
その種の人々が「刑務所という居留地」に押し込められるのはいかにもな「不正義」。

21世紀に「ゲットー」が「復活」し「植民地主義」も堂々と行われるとは。
なんともはや絶句するよりなく。

「冷戦」が終わったことで人々が「自国の内」に「敵」を見出す「貧しさ」よ。
たえず「敵」がいないと「安心」できないという「構造」を平気で生きる「貧しさ」よ。

誰もが「安楽」に暮らせることは「無条件」に「正しい」はずなのに。

「ナイキのスニーカー」は「ヴェトナムの劣悪な搾取工場」で作られ
「バービー人形の服装」は「スマトラの児童労働」によって作られ。

「スタバのカフェラテ」は「グアテマラのコーヒー園」、
「シェルの石油」は「ニジェール・デルタの汚染された貧しい村」に「さかのぼる」ことは知っておこう。

あなたの「何気ない消費活動」が「貧しき人々」をそこから抜け出せなくさせている「事実」がある。
「まともな消費者」としてそのあたりはきちんと意識しておきたいものではある。
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